見事な旅立ち | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

見事な旅立ち

毎週日曜あさ6時25分からオンエア

ニッポン放送「ひだまりハウス」ヒマワリ


今週のゲストは女優の名取裕子さん
ご両親との思い出やお父様が再婚された


名取さんにとっては新しいお母さん
継母が認知症と診断され長く寄り添った
お話をしていただきましたがラジオでは


ここまで詳しく振り返るのは初めて
名取さんの飾らない人柄が伝わってくる
貴重な家族ヒストリーを伺えましたクローバー


大学生の時にデビューしてからずっと
第一線で活躍し続けている名取裕子さん。


お母様にがんが見つかりますがすでに 
手の施しようがなく半年間ほど闘病し
亡くなった時は名取さんはまだ中学生。


料理上手で白い割烹着が似合うお母様は
制服のスカートの裾を娘の成長に合わせて


さりげなく長くする気配りが出来たりと
名取さんにとって自慢の母親だったそう。


入院中から家事をみんなで分担しますが
お兄さんは受験や部活があり食事作りは
自然に自分の役目になったと名取さん。


父親と子供だけの暮らしは大変だろうと
親戚の薦めがありお父様は1年後に再婚。


新しいお母さんの印象は正直言うと最悪ショック!


お嫁さんになったのであって貴方たちの
母親になるつもりはないと告げられたそう。


ただ大人になって当時を振り返ってみると
40代後半で初婚だった継母は青春時代を


戦争に奪われ働いてきた女性で結婚に
夢や憧れを抱いていて名取さんのお父様と


一緒になれて本当に嬉しかったんだと
今ならその気持ちが理解できると名取さん。


職場は銀座でお洒落で乙女チックだった
お母さんは家事は一切できず料理は苦手で


鍋を何度も焦がしてしまうので名取さんが
私がやるから!?と言ってしまうほど。。。


今でも思い出すのはお父様のお弁当は
豪華なチキンなのに子供のお弁当の中身は
白米にコロッケを乗せて新聞に包むだけ叫び


早く自立したいと名取さんは大学在学中に
一人暮らしを始めますが全てをこなすのは  


とても大変で実は継母なりに家のことを
やっていてくれたことに気づいたそうです。


私も18歳から母親代わりをしていましたが
家事が本当に大変なのは身に染みています。


私がやらなければ食器も洗濯物も何も
片付かずご飯は待っていても出てこなくて
母親の有り難みを痛感させられましたあせる


名取さんのお母さんに異変が起きたのは
60代後半のことで転んで骨折をしたり


味噌汁の出汁を取らず具が同じだったり
すき焼きにたくあんを入れたりと当時は
おっちょこちょいねと家族で笑い話に。


老年性アルツハイマーと診断を受けますが
歳を取れば忘れっぽくなるのも当たり前で
自宅で変わらぬ暮らしを送ることを選択。


そんな中でお父様にがんが見つかり他界。


父亡き後、認知症が進行している母を
1人にはしておけないと介護付きの施設を
兄夫婦と探して入居することを決めます。


勝手にモノを処分したり詐欺に遭いかけたり
大変だったそうですが大きな舞台で座長を
務めるなど活躍していた名取さんですが


当時は著名人が介護を語れる時代ではなく
苦労を感じさせることはありませんでした。


お金を配ってしまうことがあったそうですが
これは頼っていたご主人が突然居なくなり


不安でいっぱいだった継母の淋しい想いが
お金への執着という形で現れたと名取さんは
きちんと彼女の気持ちを理解していました。


とてもお洒落だった継母のために華やかで
大ぶりなアクセサリーを名取さんはよく


プレゼントしたそうですが無くしても
困らないようにプラスチックのものを選び


身に付ける時に戸惑わないモノをと
色々心を尽くしていたことが伝わります。


お金に関しては1万円ではなく千円札を
束にしたものを渡す工夫をしたそうです。


また国内外のロケ先からはお母さんが
行った気になれるように絵葉書を沢山
送っていてお母さんも喜んでくれたそう。


元気だった頃はドライブや回転寿司に
行ったりして母娘の時間を過ごします。


認知症が進行したお母さんはお父様の
3回忌を迎えた時にはもうご主人のことも


分からなくなっていましたが不思議と
名取さんのことは覚えていて声を掛けると
顔色がパッとピンク色になったそうです。


「もう頑張らなくていいよ」という娘の
名取さんの言葉を聴き旅立ったお母さん。


長年暮らした介護施設のスタッフにも
見送ってもらえたそうで優しく出来たのは


介護を任せることで適度な距離感を保て
お互いに気持ちが楽になったからで改めて
とても良い環境だったと振り返ります。


奇しくも実母とは14年、継母とは42年。。。
人と人との縁は不思議なものだと思います。


母の部屋を整理すると出てきたのは
数個のアクセサリー、旅行の写真など
名取さんがプレゼントしたごく僅な物。


余分なものを残さなかったお母さん
見事な旅立ちだったと思ったと名取さんクローバー


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女優の名取裕子さんの家族ヒストリー
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