こんにちは。真帆です。
目の前の人の、一挙一動に、なんだかイライラもやもやすることって、ありませんか。
私は、妹と仲がよくて、しょっちゅう一緒に行動しているのですが、
妹の言い方がキツく、怒っているように感じて、
「あんなことで怒らなくてもいいのに」「なんで不機嫌なんだろう」って、思うことが、よくありました。
でも、今は、こう↑感じることは、全くありません
もう元気なのに、インフルエンザで出停中で、外出できない娘ちゃんのために、
娘の好きな食べ物をお土産に、
マスクで感染対策をして、お見舞いに来てくれる、とっても優しい妹です。
どうして、このように変わったのかというと・・・
もう、私がメッセージをちゃんと受け取ったからなんです。
思えば、昨年末。
私の周りには、“よく怒る人”や“不機嫌な人”がいっぱい現れ、
誰かが、誰かに怒られている場面を目にする機会も頻発していました
そのたびに、私は、
あんな風に怒らなくてもいいのに。心の器が小っちゃいな。
↑失礼な・・
な〜んて、ジャッジしていました。
私のなかに、
「怒ってはいけない」「人には優しく接しなければならない」「不機嫌でいてはいけない」
という、◯◯べき、◯◯ねばっていう制限があったんですね!
この↑制限は、結構、強烈に私をしばり、私に「物分りのいい人」を演じさせていた(汗)のですが、
年末のアンテナ工事のあまりのひどさ
↑
工事が済んでも映らないチャンネル。黒い屋根の上に、白いコードがブ〜ラブラ。担当者は、なにを言ってものらりくらり
に、何年ぶりか!という怒りを感じ、担当者にそれをぶつけ、
そのときの記事に、こう書いていました。
↓↓
私、そんなに穏やかでも優しい人でもなく、意外に気が強かったことを思い出しました(笑)これが、“私”なんだな!
って。
このときは「自分にちゃんと怒ることを許可してあげよう」と書きましたが、
もう少し心のしくみを詳しく見てみると・・・
私の心の奥底には、“怒り”も“不機嫌”も、自身のネガティブな性質として、元々あったのに、
私は、それを「よくないこと」「自分の嫌なところ」として、受け入れずに、抑圧していたので、
その抑圧された部分が、他人に影のように映り、
その他人に写った、自分の嫌な部分を、私は他人事として、安心して嫌うことができていた。
ということ。
そして、これって、実は、すっごい自己否定を繰り返していたということなんですよね。
では、なぜ、他人がこうやって、自分が抑圧している嫌な部分を見せてくれるかというと・・
それは、もう手放したいと思っている制限がそこにあるよ、のサイン。
手放すって、ゆるす・受け入れること、です
今まで、「怒ること」や「不機嫌」を自分の悪いところ、嫌な部分として、受け入れずに、抑圧してきたけれど、
それも、自分の一部として、許し、受け入れてあげる。
そうすると、もう、他人に、その嫌な部分を押し付ける必要も、他人に見せてもらう必要もなくなります
こうやって、1つ1つ、自分と仲直りしていくことで、現実がぐんと変わっていきますよ♡
今日も、みなさんにとって、素敵な一日となりますように♪