9月8日 (金) 曇り、ここにきて台風13号の進路が心配
成就院薬師堂の置山 角館きがた作
外題『忠義の導き 長篠の合戦』
人物「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」「奥平信昌」
「武田勝頼」
強右衛門さん、『どうする家康』の名シーンでした!
時は、天正三年(1575年)戦国時代。
武田信玄率いる赤備え武田軍は、三方ヶ原の合戦にて織田・徳川連合軍に圧勝した。徳川家康の領地・三河へ向けて侵攻するが
病気により武田信玄が急死してしまう。武田軍は、本国甲斐国へ
引き返すのであった。武田家のあとを継いだ武田勝頼。信玄の遺志を受け継ぎ、織田・徳川連合軍との戦いを継続し徳川の領地の長篠城を侵略し城を囲み攻撃を仕掛ける。
長篠城主の奥平信昌は、徳川家康に助けを求めるのであった。
助けの役目を預かったのが、この合戦での有名となる
鳥居強右衛門。六〇キロの距離を走り援軍要請後、戻る途中で
武田軍に処刑されるが、この勇気と忠義心によって長篠城は守られ、織田徳川連合と武田軍の設楽原での長篠大合戦が始まるのであった。
後に連合軍は、馬防柵と新戦法・鉄砲三段撃ちの鉄砲隊。この
作戦は、武田軍の伝統、騎馬隊に壊滅的な打撃を与え総崩れにし
織田・徳川連合軍の圧勝で終わり、織田信長の天下統一へ向けて
また一歩近づくのであった。