というわけで、まっちゃの両親のアルバムでみた血の池地獄とか
地獄巡り……でござい。
山の上の方からめぐるのがおすすめとあったので
別府駅からバスに乗ることにしました。
地獄巡りの観光バスもあるのだけれど
路線バスに。バスの運転手さんが西口からたくさん出ていますよと。
ちゃんと しおりに 西口って書いてあるじゃんねぇ。よく読みましょう!
というわけで 鬼石坊主地獄で、共通券を求めまして
地獄めぐり始まり始まり。
深度:ナトリウム、一塩化物泉
泉温:約99度
733年(天平5)に「口の経、丈餘、湯の 色黒く、泥常に流れず」と「豊後風土記」に登場するほど歴史が古く、
元禄7年(1694)に訪れた貝原益軒は「豊国紀行」に「円内坊 地獄とて熱湯あり泥土なり」と記す。
灰色の熱泥が沸騰する様子が坊主頭に似ている事が名前の由来。
田畑の所々にこのような地獄は、点在していましたが、熱泥により稲が育たず人々の暮らしも出来ない、
まさに地獄の土地でした。
しかしその奇異なる自然現象は、逆に人々の注目を集め、見物客が畦道を歩いて見て廻りはじめたのです。
それが「地獄見物」の最初の景色でした。
日露戦争以後、その人気に拍車がかかり、明治43年(1910)に、
我が国で初めての入場料(2銭)を取る「地獄見物」が、この地の「海地獄」から始まると、
次いで「血の池地獄」「坊主地獄」「八幡地獄」「紺屋地獄」が地獄遊覧を開始し、
大変な人気を呼び、最大数十ケ所の地獄巡りにまで発展しました。
前日の竹瓦温泉の店主さんのお父様が日露戦争に行って、外国人は
日本のこういう温泉地をよく知っていたから太平洋戦争の時に
爆弾落とさなかったんですよ。と
戦争前後に外国人が来てたんでしょうか……
海地獄
今から約1200年前、貞観九年正月、鶴見岳噴火と共に出来た熱泉のひとつが海地獄です。
水面が海のようなコバルトブルーに見えることからその名が付けられるようになりました。
温度は約98度あり、泉脈まで深さは200メートル以上と言われています。
泉質は酸性、水面が青く美しく見えるのは、温泉成分に“硫酸鉄”を多く溶解しているためです。
温泉熱を利用してアマゾン地方原産の大鬼蓮(オオオニバス)や
熱帯性睡蓮を栽培しています。
ダンテにしても、ミルトンにしても、ブレークにしても、その描いた天国はちっとも美しくなければ面白いこともない。
それなのに、地獄篇となると、まったく凄まじい楽しさだ。そこにいはいきものの残虐さが遺憾なく表現され、僕など極楽へやってもらうよりは地獄行きを願いたい。
偉大な詩人や作家によって描写される天国も地獄も、近代人にとっては恐ろしい所でもなく、羨ましいところでなくなった。
しかしながら我が別府に遊ぶと八大地獄が現前する。これは確かに恐ろしい地獄に相違ない。熱湯が噴出し、轟々と地鳴りがなり、生きた序題な鯉が数えきれないほど蠢き、鬼こそ目に見えないが足を滑らしたら、一瞬にしてこの世のものではないのだ。地獄の釜より熱いだろうと思うと地獄へ行きたい根性などかき消えてしまう。
人間は一度は現世の地獄を見、何等かの意味でおのれを空しうして反省し生きる道を考えるには別府の地獄の諸相を目の当たりに見ることを寧ろお勧めしたい。地獄をくぐって生き返った人間こそ本当に人間だからだ。
今 東光 著 海地獄HPより
与謝野晶子(昭和6年来県)
とよ国の浜の砂ゆに自らを 鶴の玉子とおもへるは誰
闇の夜も西海の潮なほ光 高崎山ののぞまるるかな
帰らん日さらに思はじよそに見む
別府の空きの桟橋の船
この世なる豊の別府の海地獄 瑠璃の波より白雲ぞ湧く
かまど地獄
泉温98℃の噴気で、古来より氏神の八幡竈門神社の大祭に、地獄の噴気で御供飯を炊いていた事が名前の由来。
また1~6丁目までの6つの地獄があり、1カ所で様々な地獄を楽しめる贅沢な地獄。
かまど地獄の名物 温泉ぴーたん(地獄むしたまご)や醤油ぷりん、抹茶の石垣まんじゅう、ラムネなど。
まっちゃも温泉ぴーたん 案内のおじいさんが ゆずこしょうしょうゆ かけてくれて
美味でした~。
なんか コリアン率高く、、そしてみんなラムネ。
そして、ラムネが開けられない……
まっちゃたち世代は、子どもの頃よくラムネ飲んでたから
開け方がわからないってナイけど。。
案内のおじいちゃん、やってあげようとするんだけど
あー、わかったわかったって 開けられないし
結局、おじいさんが開けてて。。
来るコリアン来るコリアン同じで。ラムネ開けてみたいんだねきっと。
おじいさん 一押しのゆずこしょう醤油は 売店にあって
使い切ったらオンラインであるよ~って宣伝。
たしかに何にかけてもおいしそう。
鬼山地獄は、別名「ワニ地獄」とも呼ばれています。
地下187mから自然に沸き出している沸騰泉で99.1℃の高温泉。
ゴホッ ゴホッという音と波打つ池で、吹き上げる蒸気と沸騰する熱水がうかがえます。
湧出量は、1時間に8トン、1日で200トン。
別府市全体では 源泉数2800,1日約10万トン。
大正12年に日本で初めて温泉熱を利用し、ワニの飼育を開始しました。
現在、クロコダイル科、アリゲーター科など、約70頭のワニを飼育しています。
泉質は、ナトリウム一塩化物泉、温度約99.1度
白池地獄
昭和6年(1931年)創業。田園地帯であった当地に、創業者である初代社長が掘り当てたものです。
噴出した無色透明の温泉が、池の底面に落ちる際に温度と圧力が低下することにより、
自然に蒼白い色目なることに因んで「白池地獄」と命名されました。
熱帯魚館、県指定重要文化財の向原石幢、国東塔、郷土美術が展示されている「二豊南画堂」がある。
さて、、ここから血の池地獄までは、2?3?キロ。
バスかタクシーかで移動することになります。。
ちょうどバスが行ったばかり、、
とまっていたタクシーのおじさんが 数百円で行きますよ~って
実際には、1000円くらい?50円おまけしてもらいました。
バスで200円だけれど、30分時間を買った?
血の池地獄。。
地獄門を通りますと 手温泉?の横に鬼
嘘つきではなかったようで、かまれませんでした(ここに真実の口のいわれはないけど)
血の池地獄は、日本で一番古い天然の地獄で、なんと1,300年以上前から存在しています。
池が 強烈に赤く、高温の地下で化学反応を起こした酸化鉄、酸化マグネシウム等を
含んだ赤い熱泥が堆積しているからだといわれています。
78度の熱湯に赤く染まった池から、湯気がたちのぼる光景は、まさしく地獄絵図。
おどろおどろしい雰囲気が漂います。
薬師観音の横にある売店には、池から湧き出る粘土から作られた血の池軟膏が売っています。
戦前から皮膚病の治療に使われている定番商品で、しもやけや火傷などにも効果があるのだそう。
足湯は、ちょっと熱め、足を出したり浸したりしてまったりしました。
そしてお隣
間欠泉と呼ばれる、一定周期で熱水や水蒸気が噴き上がる温泉。
30mの高さまで噴き上がるほどの勢いで一気に噴出し辺りに熱気が伝わります。
吹き上がる量が多いため囲いで押さえているとのこと。
さて、、ここで1時すぎ。
血の池地獄で降ろしてもらったタクシーのおじさんが
これからどうするの?時間もてあますでしょう?とか
別府と湯布院はセットだよとか
ロープウェイは とか とか営業かけてきますが
駅近辺で 外湯もいいかな~と タクシーのおじさんにbye-byeして
バスで別府駅に向かいます。
そして前記事の 駅前高等温泉でした
そして、、ラストにつづきますぅ。