♪浄光明寺の続編 ʕ•ᴥ•ʔ |  Never up  never in

 Never up  never in

カップに届かないボールは決して入らない…
気持ちは いつも 43cmオーバー。

なんちゃって主婦によるゴルフ日記。。

八月に訪れたにもかかわらず、、

筆がなかなか進まなかったのは

拝観日ではない日に訪ねてしまったことにあり

木曜は なにかと用事がありのびのびになっていたことによる。

 

で、手を負傷し、ゴルフレッスンをお休みしたので

建長寺で先の納経御朱印をいただき 浄光妙寺へ。

 

拝観受付をしますと

よかったらご案内いたしますが?

そこへ、橫浜や逗子などで歴史案内みたいなのをされているという方と

一緒に説明を受けたのでしたが

とてもいい質問をされていた。

説明とともに つれづれなるままに記しておきたいと

おもいたった次第です。

 

浄光明寺は鎌倉市扇ヶ谷にある古義真言宗の寺院。
1251年(建長三年)の創建で、開山は真聖国師真阿、

開基は五代執権北条時頼あるいは六代執権北条長時とされる。
最初は浄土宗系の寺だったが、

三世、四世と旧仏教系の住持が続き真言・天台・禅・律の四宗兼学となった。

(ご本尊の阿弥陀如来が、めずらしく宝冠をのせているのは

鎌倉時代には なかったものだが、真言宗になった時に

真言宗の大日如来さまみたいなのをかぶらせたいみたいなので

かぶることになったのではなかろうか?とのことだった。

宝冠は菩薩さまとかがかぶるモノらしいが大日如来さまはかぶっているとか。

そのときに 後ろの光背も作られたということです。

なので、博物館とかに貸し出し展示されるときには

宝冠も光背もなく元々のお姿で展示されるとのこと。

そして光背についても説明してくださいました・・・

。「あみだくじ」(昔は線を中心から放射線状に引いていた)や

「あみだ被(かぶ)り」(帽子を後頭部にひっかけて浅く被る)という言葉は、

阿弥陀仏の光背(こうはい)の形からきたものです。

また「十八番」という言葉には、

法蔵菩薩の四十八願のうちの第十八願(阿弥陀仏を信じ念仏する者を必ず成仏させる)を

本願として重要視することから、最も得意なことを指ずようになったという。

あとカラオケね!と。

 

さて、話をもとにもどして 阿弥陀如来さま。

中国(宋)の文化も取り入れられ、そのひとつに土紋という

粘土、漆を混ぜたものを型抜きした模様を服装の模様に貼り付けてあり

鎌倉独自のもの。
土紋が崩れてしまうので収蔵庫に移設し湿度管理等を行い

雨の日には拝観受付をしていないとのこと。


鎌倉時代を通じて北条氏の菩提寺として栄え、

幕府滅亡後にも足利氏の時代になっても栄えていたのは

赤橋流北条氏、最後の執権守時の妹 登子が足利尊氏の正室であったから。

足利尊氏と弟・直義で、堂宇の建立、
寺領や仏舎利の寄進を行い、
最盛期には玉泉院、慈恩院、華蔵院など十以上の支院を抱えていたというが、

鎌倉公方が去った後は保護者を失い衰退した。

 

 

イヌマキの樹。

マキの樹って樹齢の古いものがけっこうありますね。

鎌倉巡礼で、よくみかける気がします。。

イヌマキは 縁結びの神様なんですよ。

というのはね、実が離れないんです・・・といただきました♪

 
 
 


にほんブログ村 女性ゴルファー
↑ ポチ推奨