
1937年のオリジナルは宮崎駿が「アホ娘ですよ」なんて呼んでるのだが、まあちょっと今見ると目が点になるくらい価値観が違う。宮崎みたいに強くて意志的な女性が好きな人からすれば、美人というだけでまるっきり人任せにしていればいつか王子様が来て幸せが転がりこんでくるというのは虫がいいのにも程があるだろう。
世界発の長編アニメという映画史的な価値と技術的達成度からして名作には違いないが、九十年近く前の価値観の下の製作だから単純に今の価値観にアップデートすればいいのかというと、今しもポリコレに反発する勢力がトランプ政権誕生に合わせてか、反発がトランプを押し上げたのか、とにかく浮上してきたものだからややこしい。雑音が多すぎる。
白雪姫は前の王と王妃の正式な娘で、王妃が死んだあと王は悪役の魔女と再婚したので魔女が白雪姫の継母となるには違いないが、王は戦場に出ていき行方不明になる。姫は半ば記憶をなくしているのだが前王がいずれ出てくるのか、それではまるで展開が変わってしまうのではと思ったらやはり死んでましたとなる。ひっぱった分、中途半端。
七人の小人たちのDwarfという言葉は今回の原題からは外された。差別的なニュアンスがあるからなのは明白で、姫は小人たちと「一緒に」片付け・掃除する。当然だろう。
実写になってメイクやCGでこってり塗りたくられたからか、小人たちや動物たちはどうも魅力が薄れたと思う。エンドタイトルのふつうの絵の方が可愛い。
オリジナルでは魔女が白雪姫に毒を盛ったと思ったら自滅してしまい、じいっと姫を狙っているように見つめていたハゲタカがふわりと飛び立つところで実は魔女を狙ってたことがわかる演出が冴えていて、王子さまがキスして姫が目をさますところがラストになる。
リメイクでこのあと魔女がはっきり敵として立ちふさがるのは作劇の流れからして当然だろうが、魔法の鏡が白雪姫は心が美しいが魔女のあなたの美しさは表面だけと言うのは身も蓋もない。
相手の男は王子さまではなくロビン・フッドみたいな在野の英雄(というには頼りないが)で、自分で「ぼくは白馬の王子じゃないよ」なんて言ったりする。ただしその口づけで白雪姫が目をさますところだけそのまんまというのはいかんせん都合よすぎあっけなさすぎ。
姫が民ひとりひとりの個人的な事情を覚えて注意を払っているというあたりは、田中角栄の人たらしの手みたいで必ずしも立派なこととは思えない。
オリジナルのキャラクターデザインがベティ・ブープに似ているなあと思って調べてみたら、「ベティ・ブープの白雪姫」という短編が1933年に作られている。当時ディズニーのライバルだったフライシャー兄弟(Wikiではマックス・フライシャーのみの記載)の作品。
昔の女優さんによくあったおちょぼ口で垂れ目な顔を写したということになるか。