MACF礼拝説教要旨2024年3月31日 | パスタ〜Kazの「いてくれてありがとう」ノート

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MACF礼拝説教要旨
2024年3月31日
「イエスキリストの十字架の死と復活」
 
使徒言行録2章22ー24節
22イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。
ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。
神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、
不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに
証明なさいました。
あなたがた自身が既に知っているとおりです。 
23このイエスを神は、お定めになった計画により、
あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、
あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、
十字架につけて殺してしまったのです。 
24しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、
復活させられました。イエスが死に支配されたままで
おられるなどということは、ありえなかったからです。
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ここに出てくる説教はイエス様を知らないと裏切り、十字架にかかるイエス様を直視することができず、イエス様の死と復活のあとでもおどおどして自信を失っていた使徒ペトロによるものです。あのおどおどした雰囲気がまるで嘘のように明快にイエスとは誰なのかを明示しています。
 
1)神から遣わされた救い主・癒し主
ペトロは22節のなかでイエスというお方は神様によって遣わされた正真正銘の救い主であり神の御子なのだと教えています。イエス様は決して人生の途中で、自分の中の力に気づいて
主、とか、救い主になったわけではなく、最初から神の御子であったのだと主張しています。そして、イエス様を通して実行されたすべての奇跡、癒やし、説教、そして十字架と復活さえも神様の計画により、神様ご自身がお働きになったことなのだと言うのです。
あの奇跡もあの奇跡も単にイエス様には力があるということを教えたかったのではなく、このお方の背後には父なる神がおられ、そのお方に促され、そのお方の力と一緒になって神が愛を持って働いてくださっていることと、イエス様はその神様の心を実行に移すために
遣わされたのだということがわかるはずだとペトロは力説します。
 
2)十字架における人間の大きな罪
ペトロは十字架のことを引き合いに出して、この悪は「あなたがた」「私たち人間」が責任を取るべき「罪」であり「悪」なのだと指摘します。
先週、わたしたちはイエス様の十字架への道行きを連想しました。
その途中イエス様に向けられた軽蔑や罵倒、それらのある部分は間違いなく私たちの心にも存在します。
私たちの罪がイエス様を十字架に追いやったとも言えるかもしれません。
つまり、私たち人間の悪と罪がイエス様を十字架に追いやったのですが、イエス様はまさにそのことのために十字架を担い、十字架で裁かれて死なれたのです。
イエス様はあなたの罪と悪を十字架の上に引き受け、そこで裁かれ、あなたの死をしなれたのです。
罪の死の虜になっていた、わたし、あなた、そのものになって十字架で死なれたのです。
 
3)イエスが死に支配されたままでおられるなどあり得ない
ところが、それらすべては神様の計画によるものであり、そのうえ、イエス様は神の御子
罪と死からの救い主だったので、死に支配され続けることなど不可能でした。
支配すること」でしたが、イエス様は、それを打ち破ったのです。
神様を支配する力などあり得ないのです。イエス様のもたらす解放は全き自由と安息への招きでもあります。次元の違う新しい世界がそこにはあるのです

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Youtubeでの礼拝説教はこちらです。
https://youtu.be/F1mMGLpT7cM


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