パスタ〜Kazの「いてくれてありがとう」ノート

パスタ〜Kazの「いてくれてありがとう」ノート

関根一夫の感じていること、気になっていること、そして説教ノート、写真などあれこれ掲載予定です。

【日ごとの糧】(ローズンゲンによる)
2022年1月19日

貧しい人を嘲る者は造り主をみくびる者。
災いのときに喜ぶ者は赦されない。
(箴言17章5節)

憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
(マタイによる福音書5章7節)
*****
貧しい人を嘲る人、災いにあっている人たちのことを
喜ぶ人への厳しい言葉が箴言には書かれています。
でも、私たちの社会では自己責任という言葉を用いて
貧しい人たちを切り捨てる雰囲気があふれています。
また、災害に遭った人たち、避難してきた人たちに対して
いじめがあったり、誹謗中傷があったりしていることも
知られています。
それは、憐れみの心の欠如であり、優しさの欠如でもあります。
さらに言えば、わたしたちはお互いに「誰かに支えられ、
誰かに優しくされながらここまで生きてこれた」という出来事を
忘れてしまっている証拠なのかもしれません。
最近、誰かに優しい言葉をかけたことが思い出せますか?
誰かにありがとうをきちんと伝えてきましたか?

「憐れみ深い人」はお金持ちであるか、貧しい人であるか、あまり
関係ないようです。振り返って、私は豊かな人たちからも支えられ
、社会的に必ずしも豊かとは言えない人たちからも支えられてきました。
「憐れみ深い心」は神の憐れみ深さに触れられ、心が動かされる
ことで成長するもののようです。
私自身は、「憐れみ深い人」の枠には入っていない人間のように
感じています。それでも、憐れみ深い人たちに支えられてきたことは体験と
して実感しています。
そして、わたしもそうありたいと願いつつ生きています。
皆様の本当に豊かな憐れみ深さによる支援、祈り、協力などを
心から感謝しています。


******
「日ごとの糧をご一緒に」はこちらです。
https://youtu.be/A5trTckqk9Y



 

【心のメタボ】

ある雑誌に俳優の松重豊さんと禅宗のお坊さんとの対談が書かれていて
そこに興味深い内容がありました。ちょっといくつかまとめてみました。
***
「心のメタボ」
「我欲に縛られ、心が曇ってしまうこと。身体的なメタボは
他人の目から見ても認識できますが、心についた贅肉は
自分で気づくしかない。禅の狙いは、贅肉のない心で日々の
生活に真(まこと)を見出すことにあります。

【坐する】ということ
坐の字を分解すると「人」「人」「土」となります。
人と人は、今の自分と本来の自分が対峙している様を
表しています。そしてかつては野外で座っていたために「土」
を合わせています。
やがて室内でも座るようになったので「まだれ」(广)の
座を使うようになりました。
つまり、座禅は、今の自分自身に問いかけ続ける修行なのです。
昨今、多くの人が向き合っているのは自分ではなくスマホですね。
****
心にこびりついた贅肉という「心のメタボ」、そして本来の自分と向き合う
という意識を育むための「坐」
私は心にも身体にも贅肉がくっついていて、不健康だなぁと感じることが
あります。
無理に削ぎ落とすことはできませんが、ゆっくり、でも、しっかり
調整しながら心と身体の贅肉を落としていきたいと思います。
そして、自分と向き合うということについては、聖書の教えている人間の在り方
を土台に、それを向き合うべき鏡として意識しながら、丁寧に向き合い続けたい
と思っています。
****
「いてくれてありがとう」はこちらです。
https://youtu.be/5uBkBvhEMgQ



 

 

【ありがとうの袋に】

  

「新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

80歳を超えた方がカウンセリング室に入ってきて挨拶してくれました。

昨日がその方にお会いする今年初めてのカウンセリングでした。

 

「今日は来る途中でネギを抜いているおじさんに会ったので、何本か貰ってきて

みんなでお昼に少し刻んで料理にいれてもらいました。残ったものを水に入れて

しばらくすれば根っこが出てくると思うからそしたら地面に植えようと思うんです。

ニンニクは直接、土に植えると芽がでてくるんですよね」

とほとんどこの方のカウンセリングには関係ないようなお話が続きました。

 

あれこれお話を聞いているうちにこんなことを話してくれました。

「今年も孫にお年玉をあげたんですよ。ふたりいてね、一人は中学生。

一人は小学校6年生。それでね、お年玉を入れる袋を探したけれど

お年玉って書いてある袋がなかったんですよ。それで別のきれいな袋に

入れてあげたの。よく見たらね、その袋には「ありがとう」って書いてあったんですよ。

ほら、先生がいつだったかハガキに「いてくれてありがとう」って書いてくれたでしょ。

あれがとても嬉しかったので、その「ありがとう」って書いてある袋の「ありがとう」の

横にね「いてくれて」って書き足して孫にお年玉をあげました。

孫がわかってくれるかどうかわからないけれど、あまり言われてないと思うので

いいかなと思って書いたんですよ。良い言葉ですよね。いてくれてありがとう」

 

嬉しそうに話してくださるこの方の表情を見て、日常的な出来事を聞かせていただくこと、

そして嬉しいことを聞かせていただくことも大事な大事なカウンセリングなのだと思いました。

 

****

「いてくれてありがとう」はこちらです。

https://youtu.be/ofCb5NxTMnI

【日ごとの糧】(ローズンゲンによる)
2022年1月18日

 あなたの杖をもって御自分の民を牧してください
あなたの嗣業である羊の群れを。
彼らが豊かな牧場の森にただひとり守られて住み
遠い昔のように、バシャンとギレアドで草をはむことができるように。
(ミカ書7章14節)

 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。
羊はその声を知っているので、ついて行く。
(ヨハネによる福音書10章4節)
++++
私たちはいろいろな場面で「羊飼い」のような存在を必要と
しています。いいえ、生まれた時から誰かに助けられ、支えられ
ながらここまで来れたというのが正解かもしれません。
誰が私の「羊飼い」的な存在なのか。
ある人にとっては両親、ある人にとっては学校の先生、あるいは
会社の上司、ある人にとっては友人、いろいろな人たちが
折に触れて羊飼い的な役割を果たしてくれています。

聖書は、神が私たち人間にとっての羊飼いなのだと教えています。
その羊飼いは誠実で羊を愛し、羊の幸福のことを願いつつ指導
してくれる存在です。
だからこそ、その方の言葉に耳を傾け、その方の歩む方向に
目を向け、ゆっくり、しかし、しっかりついていければ
良いわけですね。
そういう羊飼いがいてくれることがわかると、何かとても
安心できます。

*****
「日ごとの糧をご一緒に」はこちらです。
https://youtu.be/ZPcUXvwjtj0