力強く生きた証~無償の愛をくれた志乃へ~ | おっぱいトレード

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ブログネタ:犬と猫、どっちが好き? 参加中
本文はここから

こんにちは、macchanです。



今日はネタから一本。
犬と猫どっちが好きか??




そりゃ使っている画像を見ていただければ一目瞭然。
猫です。最近のお気に入りの呼び方は「にゃんちき」です。




家では(家といっても実家)私が幼少の頃から
猫を飼っており、猫とmacchan家は深い関わりが
あるといえます。




今、画面に映っているにゃんちきは3匹目で
その前に2匹の猫を飼っておりました。




一匹目は、私が小学生の頃に失踪したので割愛します。
今日は2匹目の子の話をちょっとしてみようかと思います。




名前は志乃と言い、オス猫です。
家はいつもそうなのですが、オス猫にメスの名前を
付けたがります。




私が小学6年生の頃に、里親募集から貰ってきた志乃。
当初はメスだと聞いていたのに、日が経つごとに
オスな部分が大きくなっていく。




え?え?というまに半年後、オスという事が判明しました。
またチンチラと雑種の混合だったのですけど
幼少時はチンチラの面影を残しつつも
1年で立派な日本猫となりました。詐欺です。




そんな志乃。
私は兄弟がいなかった為、いつも志乃を愛情と言う名の
暴力でいじめていました。
今思うと、そんな時分の私をひっぱたいてやりたいのですが
その
頃は、学校でなにか嫌なことがあると志乃に当たっていました。




特に中学時代は、センチな年頃であり
ちょっとイライラするとすぐに志乃に当たるという
バカガキだったにも関わらず、志乃はその思いを汲み取ってか
私をあやすかの様になつく・・・




わけもなく、最高に嫌われていました。
私が家に帰ってくると一目散に逃げます。
もうほんと、お前それでも家族かといわんばかりに
一目散です。
幼少時期に苛めると猫は、なつかなくなるらしいですが
もう典型的な人見知り猫になりました。




そんな青春時代を一緒に過ごした私と志乃は
高校~プー太郎になるにつれてどんどん仲良く




なるわけもなく、お互い疎遠な仲になっていきました。




丁度20才くらいのころ、私が成人式で自尊心をこてんぱんに
打ちのめされてトボトボ帰って来ると(成人式の出来事は過去記事参照してね)




珍しく志乃が出迎えてくれました。
すこし距離を置く様になってから、許してもらえたのか
若干なつくようになってきたのです。




その頃の志乃は、家に母がいないときだけ
私にゴロゴロなつき、母が帰って来ると
あんた誰?みたいなとんでもない2面性を持つ猫と
なっておりました。




私があ~疲れたと帰ってきた日。
何故か志乃がゴロゴロなつきながら擦り寄ってきました。




私は「なにいきなり?きもっ!」とか思いながらも、久しぶりに
なつかれたこともあり、ちょっと嬉しかったのを
覚えております。




そんなことを経てからは、結構仲良く過ごしてきた私たち。
私がPCで作業していると、膝の上にちょこんと乗って来て
凄い勢いで頭を私のアゴに擦りつけては、毛を撒き散らして
私を窒息させるんじゃないかってほど、顔に毛を擦りつけたり。。。




まぁ、仲良くやってたってことですね。
小さい頃、仲がわるかった二人が仲良くなってきたって感じです。




そして2年前・・・




私がいつものように土日返上で仕事をヒーヒーやらされていると
母から一通のメールをもらいました。




「志乃がもうダメかもしれない・・・」



え?この前まであんなに元気だったのに!?
私は意味がわからず母に電話をしました。



話によると、始めは体の調子がおかしいのか物を吐くようになった。
そして、足を引きずって歩くようになったので様子がおかしいと
病院に連れて行ったら




「肝臓が弱って、尿毒素を分解できずに体中にその毒が回っている」
「非常に危険な状態なので、すぐに入院が必要」




母は気を動転させながら私に説明をしました。
私は「大丈夫だから、とにかく落ち着けてって」となだめ
とりあえず病院に顔をだすからと電話を切りました。




私は内心は非常に困惑しておりました。
ほんの数日前まではあんなに元気だったのに・・・
膝の上で私の顔を毛むくじゃらにさせていたのに・・・




気付くとこめかみが熱くなっていました。
・・・とにかく容態をみにいこうと、その日は
さっさと上がらせてもらい病院へ。




そこで会った志乃は・・・
もう数日前に会っていた元気な志乃ではありませんでした。




ぐったりと横たわり、目はうつろで
本当に私や母の事が分かっているのか?



そんな状態を見せられて、母は非常に落ち込んでおり
医者の話を聞くと
「もうダメである可能性が高いので、最後は家で看取るのが」
と最終宣告をされました。




もうダメ・・・・
志乃は、死ぬのか。




一気に過去の思い出がよみがえりました。
志乃が生まれて3ヶ月の頃から一緒に暮らして
苛めたり、無視されたり、かまれたり、じゃれあったり
・・・そういうことがもう出来なくなる。




母と二人で、私が車を運転して、母が志乃を抱きかかえてます。
母は「大丈夫だからね、ごめんね。」とすぐに医者に連れて行かなかった
自分を責めながら、志乃に謝っていました。




そんな母や志乃を、私はとても見ていられませんでした。
志乃の辛そうな息遣いを聞くたびに、私の胸は締め付けられて
「なんでもっと優しくしてやらなかったのだろう」
「もっと沢山あそんであげなかったのだろう」
という気持ちで一杯になりました。




助かってほしかった。。。
助かったら、沢山遊んであげたかったし
もっと愛を注げたかもしれない。




家に着くと、車を駐車場に運ぶ前に母と志乃を下ろして
家まで運びます。玄関まで連れて行って、すぐに車を
戻してきました。




はやく・・・はやく志乃の顔が見たい。




階段をかけあがって、玄関を開くと
・・・母が泣き崩れていました。



その瞬間、私の心を支えていたものが一気に
崩れ落ちました。




志乃が・・・亡くなった時でした。



何年ぶりか・・・・
私は声をあげて泣いてしまいました。




玄関で母と二人。
志乃の死に目を見ながら、しばらく泣いていました。




志乃が、目を見開きながら・・・動かない。
もう、この世にはいないんだ。
さっきまで生きていたのに。
苦しみながら、それでも必死に生きていたのに。




もう志乃は・・・・いない。



しばらくして、少し私と母は落ち着きを取り戻したので
母に最後の死に目がどんなだったかを聞きました。



志乃を毛布にくるんだまま、とりあえず玄関にゆっくり置き
志乃が入れるカゴをとってきて、戻ったら
震えながら志乃が母の方に歩いていったそうです。
悲鳴のような泣き声をあげながら母にちかづき
最後に「ニャァ!」っと言った後に力なく倒れたそうでした。



母は私が「志乃は亡くなった」と言うまで
志乃の死を受け入れることが出来ずに
何度も目を覚ましてと呼びかけていました。




私は母に
「志乃は最後死ぬ前に、母さんにありがとうという事を伝えたくて
母さんが玄関に戻ってくるまで必死に生きたんだよ。
最後に母に看取ってもらえて、志乃は本当に良かったと思うよ。」
と伝えました。




志乃はその後、私と母でささやかな葬儀を行い
遺骨は持って帰ってきました。
火葬場で、最後の別れを告げるときも泣きました。
小さな骨になって・・・これが志乃かと思ったとき
すこし現実見を帯びてきたような気がします。




志乃は、母や私に心を和ませる愛を振りまいてくれました。
見返りのない愛。
餌とかはほしがっちゃうけど、純粋に愛を与えてくれました。
沢山の思い出と共に、私は志乃の事をわすれないと思います。




そして、力強く最後まで生き通した志乃に怒られないように
私も力強く、あきらめずに生きていきたいと思います。




11年間。
私と一緒に過ごしてきた志乃がもうすぐ2年目の命日を迎えます。
その当時の事を思い出して、記事にしてみました。



まだ、この時のことを思い出すとちょっと目頭が熱くなります。



もし、大事な人や大切な人。飼っている動物でもかまいません。
ひどいことをしてしまったり、傷つけたりしてしまったとして
もし明日に死んでしまったら、もう何も伝えることができません。




そういう事をちょっと考えるだけでも
人は愛の道に戻れると思いました。
大切な人に愛を向けることができると思いました。




私は志乃と過ごした11年間はとても良かったものだと
感じながら、これからも生きていこうと思います。


そして志乃へ。
本当にありがとう、私たち家族に志乃は生きることの大切さを
学びました。無償の愛をたくさんもらいました。
ゆっくり休んでください。
まぁそのうちそっちに行くとおもいます(笑



長い文章でした。
ありがとうございます。