【国は見殺し「コロナでお寺がどんどん消滅」で国民が被る深刻な影響】
とても気になるタイトルの記事が目に留まったので読んでみました。
ネットで見かけただけ・・・の記事を読んだだけです。
記事の背景を調べることも無く、思ったことをあれこれ述べるのは如何なものか・・・
とは思いますが、あくまでも私見ですのでご勘弁を(´-ω-`;)ゞ
色々な意見があっても良いだろうと言う程度の気持ちです。(無責任かな?)
何が何でも「違うだろう!」などと声を荒げるつもりなど微塵もありません。
まず!オバチャンは世間が狭いので知識が偏っています。
デパ地下で美味しそうな麻婆豆腐を買って帰宅。さて食べようか!と思ったら
殆どパックの隅っこに寄ってしまっていた・・・というくらい偏っています。
(全く意味不明な例えでスミマセン・・・)
その上、とにかく文章は行ったり来たりの脱線三昧、プラス間違いなく支離滅裂です。
言葉遣いを間違えていたり、大きな勘違いで物事を捉えていたりする傾向があるので
「それは違うゾ!」と思ったら教えてくださいね。素直に聞く耳だけは持っています(o◔艸◔o)
記事を紹介せずに一方的に私の偏見でお話してはいけないと思いますので
お時間があれば是非読んでみてください。
国は見殺し「コロナでお寺がどんどん消滅」で国民が被る深刻な影響 (msn.com)
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確かにコロナ禍に於いてあらゆる方面で深刻な状況になっていることは事実だと思います。
コロナ禍で業績が伸びているのは極々一部の企業だけでしょうし、
業績が伸びているからと言って羨んだり妬んだりなどするわけがありません。
今のこの時期に必要なものを提供してくれているのですから・・・有難いと思うだけです。
ただ納得いかないのは、一番忙しく一番危険に晒されている医療従事者が
何の報奨もなく、それどころか賞与も削られるという現実に胸が痛みます。
それでも、ただただ使命感で動いているということに・・・・・・本当に頭が下がります。
記事にあった通り、お寺も深刻な状況であるのは間違いないと思います。
「月参りをお休みされる方も多いんですよ。家にいるのはご高齢の方ばかりですしね。
月に一度とは言え、このコロナ禍で家人以外と接触するのは怖いと思いますよ。」
我が家に毎月来てくださるお寺さんが昨年そう仰っていたことを覚えています。
お寺サイドのことではなく檀家さんの感染不安を気遣ってのお話だったのですが
この一年、お寺の行事はほぼ中止でしたし、当然、お寺の収入は減るだろうなぁ・・・
くらいのことは私にも想像ができます。口には出しませんが・・・
お坊さんが何人もいるお寺ですから、そう思ってしまうのは当然と言えば当然です。
私達の親の世代くらいまでは、お寺との縁というのはそれなりに深かったと思います。
開拓時代からの地主が多い土地柄でしたし、地主でなくても地域に長く住んでいる方は
多くいます。代々檀家・・・そういう家が多っかったのです・・・昔は。
1960年半ばくらいから地域の人口が急増。ドーナツ化現象というのでしょうか?
開発が凄かった・・・町の真ん中を流れる小川は埋められ道路になり、その道路も拡張され
ビルが建ち、あっという間に地下鉄が通って・・・以前の面影は皆無。町から街になってしまいました。
見方を変えれば、土地に縁の無い人々が急増した・・・とも言える訳です。
(私は中途半端に古い住人だというだけで『土地に縁の無い人々』の一人です)
日本中に企業の本支店が点在し、転勤族というワードが一世を風靡?したのもこの頃からかな?
私が住んでいた地域も、その転勤族がとても多い地域だったようです。
そういう状況で育ち親になった私達を含め、今の希薄な人間関係の中で生きている子供や孫は
葬式は当然親が出すもの・・・祖父母が行うもの・・・だと思っているだろうし
自分が執り行う段になれば、経済的な理由や時流にも乗って葬式も超簡略化。
お墓など、元々あれば・・・ですが新規に建てるなど考えもしないでしょう。
日本中、いや世界中を飛び回るかもしれないグローバルな時代。
この土地にいつまで落ち着いて生活できるものやら・・・と思うと
ましてや、檀家などに・・・とんでもナイナイ!・・・といった感じでしょう。当然です。
言いたいことを並べて今更なんですが、私自身も反省することばかりです。
娘達にそういう(人生を終えた人を送る)ことをキッチリ教えてこなかった。
親としての責任を果たしてこなかった。
私自身いつも右往左往、行き当たりばったりの人生です。
その場凌ぎで生きてきた報いでしょうか・・・
今では娘達には社会の中でいろいろ学んで行ってくれればありがたい・・・と他力本願。
機会が有れば私自身が知ったことは伝えていこうと思ってはいる母ですが・・・
これからの時代に合うものを取捨選択していかなければならないのは子供達。
まぁ、それでも知識として持っている分には邪魔にはならないだろう・・・と思ってはいます。
昔のような教え込む教育が良いのか?と言えばそうではないと思うし
かといって本人の自由にさせているばかりでは何も知らないままだと思うし
学校任せで親のやるべきことを放棄しては社会不適合者になりかねないし・・・
本来なら『親』『学校』『地域』というその関りが大事であるのに、欠けるものが多くて
自分や我が子を含め今のような若者が多くなっていったのではないかと考えられます。
昔が良かったという訳ではない、かといって今が良いかというとハッキリ違うと思います。
私達親もそうだと思うし、何故か急に自由になった、モノが溢れ急に豊かになった
でも、人がどんどん歪んでいった・・・大切なものが人からモノになった・・・
そう・・・大切なものが人からモノになった・・・
記事の中で、コロナのせいで三蜜回避の為に葬式が簡略化、法事も行わなくなった・・・
それでお寺が衰退していく・・・というのは、ちょっと違うのじゃないかと思ったのです。
・・・ずいぶん前から『お寺離れ』は進んでいたのではないでしょうか?
私達の世代の子供は精々二人。一人っ子の方もいらしゃるし、子供がいない方もいます。
子供に負担を掛けさせないために、自分達の行く末を日頃から色々と考えています。
それが『無宗教での葬儀』『葬儀の簡略化』『墓をもたない選択』などに繋がっているのだと思います。
以前、葬儀関連の仕事をしていて色々なタイプのお葬式があることを知りました。
葬儀を出す側の選択肢が増えたということです。
逆を言えば、葬儀を請け負う側は数多い選択肢の中の一つになってしまった。
仏式ばかりじゃない・・・ということへの気づき、そしてその情報は周囲に浸透していくのです。
自分達に合ったあり方を若者たちはどんどん選択していきます。
代々、脈々と受け継がれていたものは・・・当然あっさりと切り替わることになります。
これが時代の流れであり、変化なのでしょうね。
本来なら先祖の、少なくても身近な祖父母の年忌法要くらいは経験させてあげるべきなのでしょうが
ここまで核家族化してしまった日本の社会や家族の在り方を思うと、それはなかなか難しい問題です。
人の死を理解できない子供や若者がいたり、大人でさえも死に無関心な人もいます。
そう考えれば、先祖を敬うだの、両親を大事にするだの・・・当たり前の事さえも・・・伝わらない。
核家族化し始めた段階で今のような社会になるのは目に見えていた筈です。
核家族化の中、自分が生きていくだけで精一杯なのに親の年忌法要など考えられる訳もありません。
自分達の身を削ってまでするべきことだとは考えていません。
というより、もしそうしなければいけないなら「どうやって縮小しようか?」と考えを巡らすことでしょう。
できるだけしなくていいような弁解理由を考えることでしょう。
「なんてことを!」と言わないで。それが現代の日本の社会です。
豪華な結婚式を挙げるのは生きているから。未来が明るく輝いているように思うから。
本人や親や周囲の人達の希望で執り行うものです。
お葬式は生きている人間が亡くなった人に対するケジメとして行うものだと私は思っています。
世間に知らしめるための葬儀ではない・・・だから、その人その人の考えで執り行えばいい。
葬儀の規模が大きかろうと小さかろうと、そういう事は問題ではないと思うのです。
大事なことは死者を弔う気持ちだと思います。
記事にはこうあります。
『仏教界にはむしろ追い風が吹いていた』
死亡数が出生数を上回る『死者優位の時代が続く』とみられる。
死者が増えれば弔いの機会も増える・・・・云々
何か、とても悲しくなりませんか?
私はきっとこの文章に苛立ちを覚えたのかもしれません。
死者を弔って下さるのはとても有難いことです。
でも、文章からはどうしても『死者が増えることを期待している』としか読み取れません。
『追い風』という言葉にはそういう意味が含まれているのではありませんか?
『追い風』・・・など、身内間だけの言葉にしてください。
広く国民に「あなた方の死を待っています」・・・と聞こえてなりません。
私の超思い過ごしでしょうか?
今やお寺は全国に77,000ヶ寺もあるといいます。
数が多いことでクイズ番組でも取り上げられる歯科医院よりも多いのです。
ましてや、2年前に58,000件を超えたというコンビニよりも多いことを考えると
実際にお寺ってそれほどに現代人の身近にあるのか・・?と正直言って驚きでした。
これ程お寺離れしている中で、お寺だって淘汰されていくのが自然の流れだと言う気もします。
お寺でも檀家がいないお寺もあるし、全部が全部このように考えているとは思えませんが
今なお新しく建立されているお寺もあります。
知人でお寺に生まれた兄弟・・・兄は住職を継いで弟は新しくお寺を建てました。
分家システム?武士の家のようだな・・・と思った記憶があります。
そりゃ・・・お寺の数も増えるだろうなぁ!
お寺が近くにあったら、時には心強いだろうけれど
そうそう『何かがある』わけではないし、法事だって頻繁にある訳ではない。
77,000ヶ寺・・・確かに、大変でしょう・・・
お寺への思いも色々です。
「毎月お坊さん呼んで、あなた余裕があるのねー」
(余裕なんかないよ・・・自分が納得するまで・・・)
「仏壇には月命日くらいしか花も供物もあげないよ・・・普通」
(誰がそう決めたんだよ!お花も供物も私の気持ちだよ)
「毎月お寺さんに来てもらうのは勿体ないから止めた。一年に一回にした。」
(人それぞれだから、いいんじゃないの?)
「檀家やめたわ・・・維持費とか勿体ないもの」
(・・・人それぞれだから・・・でもなんていう言い方なんだろー)
それぞれ別人の言葉です。
仲の良い友人もいたり、近所の人だったり・・・
でも、人それぞれの気持ちだから私がどうのこうの言うような問題でもありません。
ただ、少しばかり悲しくなったことは事実です。
私などとは比べられないくらい余裕のある暮らしをされていていて数多くの習い事や
海外旅行国内旅行をしていても、お寺さんに対しての思いをこのように話します。
私のまわりのごく一部の人かもしれませんが、これが私のまわりでの現実なのです。
住んでいる地域も年齢も全くバラバラで、お付き合いも浅い深いはありますが
こういう風に思っている人がいることは事実です。
老い先短い私と同年代の方の言葉ですから、子や孫の代になれば・・・言わずもがな・・・です。
今は確かに『コロナでお寺がどんどん消滅』という状況になっていっているのかもしれませんが
コロナウィルスが蔓延しなくても、今のような時代の流れ・世間の風潮にあっては
お寺を維持していくということが、いずれ難しくなっていく・・・ということなのではないでしょうか?
考えるべきはコロナウィルスではなく、人の考え方や気持ちだと思うのですが。
現在、お寺に足を運ぶのはほゞお年寄りではないでしょうか?
若い方なら、檀家さんや信心深い方々・・・・・
(私は殆ど足を運ぶことはありません。)
その昔のお寺は地域や住民の中心にあったものだったと本で読んだような気がします。
時代が大きく変わってしまって・・・遂に葬儀担当・・・と言うより死者への引導係?
いや、葬儀も変わってきているからそれもなくなってしまったのでしょうか?
そもそも昔のお寺は葬儀などするところではなく僧侶の修行の場であったと言います。
人生の最期を看取ってもらって・・・死出の旅に送り出してもらう・・・ようになってから
人々は御仏の下で修業されたお坊さんに送り出して貰えて有難かったのだろうと思います。
葬式仏教の始まりです。
現代人はどうなんでしょう?
家族に不幸が訪れた時、今迄縁のないお寺や葬儀屋さんをどうやって探すでしょう?
自分の家に宗派などないし、あっても知らないわ・・・という人もいるでしょう。
手っ取り早くスマホやパソコンで検索するかもしれません。
「安いし面倒くさくない解決法が見つかったからもうこれでいいわ!」
巷で噂の格安葬儀屋さんにお任せして
亡くなった人は荼毘に付されて終わり・・・なんでしょうかね?
何もかもが簡単便利な時代です。
葬儀場でも火葬場でもオートメーション化されているような気持になります。
昔のように火葬場で見守る・・・なんてことはありません。
なんか・・・生きることへの気力が急に・・・萎えてくる感じです。
人は生きることに必死です。
世の中は人もモノも溢れ活気があるように見えます。
昔と違って便利なモノがどんどん作り出され、巷にモノが溢れています。
新しいものが次々に誕生し、古いものはどんどん処分されていってしまう。
何故か、人も同じように思えてしまってなりません。
でもモノはモノでしかありません。
人の代わりになってくれる便利なモノはたくさんありますが決して人にはなれません。
だからこそ、と言うかモノに固執しない年寄が執着するのは人との繋がりです。
中には「人嫌い」と豪語する方もいらっしゃるようですが・・・(ノ∀ ̄〃)
一回きりの人生、モノに囚われない生き方をしたいものです。
お寺は、いずれは自分もお世話になる『処』とのご縁を結ぶ場所と考えても良い訳です。
まぁ、行ったっきりで帰ってくることのない『処』ですけれどね( ̄∇ ̄;)
・・・・・人間が勝手に『ある』としている処な訳ですけれど。
『ない』けれど『ある』とする方が生きる意味があるのならその方が幸せだしね。
お寺では、そういうことを伝えて欲しいのです。
法話だの説教だの、昔はそういう場が多くありました。
今はお寺との関りも希薄になったせいか、お葬式でもありきたりなお話しか聞けません。
お寺が地域の中心にあった頃は住人との距離も近く把握していたでしょうけれど
今ではお寺と亡くなった方とのご縁がない・・・ということの方が多いかもしれません。
お葬式だけの依頼かもしれません。個人情報・・・的な問題もあるのかもしれません。
参列者も故人との縁があって会葬している訳でもない・・・からかもしれません。
立場上、会葬しただけ・・・とか・・・
まぁ、そんな浅い縁でも焼香していただけることに感謝・・・でしょうか。
葬儀がどんどん簡略化されて昔のような式次第・・・などここ数十年見たこともありません。
昔は町内会や勤務先の社員やらがお手伝いしたこともありましたが
そういう繋がりは、今では時代にそぐわないのか
葬儀の進行担当は葬儀社のスタッフ。
葬儀委員長やらお手伝いが必要な場合はその方面のプロ・・・です。
お客様から伺って、理由はハッキリしています。
「町内との関りが面倒くさい」
「会社で仕事以外の関りを持ちたくない」
「金銭で解決するなら後腐れがない」
もう数十年前からこういう傾向にあることから考えても
人の考え方が変化してきていることに考え方をシフトさせなければいけないのでしょうね。
まぁ、何でもかんでもシフトすれば良いってもんじゃぁないですけれど・・・(。-`ω´-)
お寺の役割・・・なんて難しいことは分かりませんが、こんなご時世だからこそ
【国は見殺し「コロナでお寺がどんどん消滅」で国民が被る深刻な影響】なんて叫ばず
お寺が出来る何らかの形で人々を見守ってくれても良いのでは?と思うのです。
今の私達の身近にあるお寺は観光寺・・・も、ですが、まず地元のお寺・・・
お寺の存在は葬式だけじゃない!除夜の鐘や初詣ばかりじゃない!ということに
人々は必ず気付くはずですから。
今は、世界中の人が困っているのです。
親が職を失い食事もままならないという子供だって大勢いるのです。
お寺も維持が大変なことは十分わかりますが『国は見殺し』などと言う言葉を
どうか・・・使わないでほしい・・・
お寺も経営難、僧侶も人間・・・でしょうけれど
綺麗ごとで腹は膨れぬ・・・でしょうけれど
延々と取り留めのない事ばかり書きました。
間違いを指摘してくださる方から有難くコメント頂戴します。
喋り(書き)疲れた・・・(。┰ω┰。)
栄養補給にイチゴ大福食べよ~
