半醒半睡。 -111ページ目

半醒半睡。

夢か現か・・・日々この連続

今年の夏は、これで終わり・・・だろうか(。┰ω┰。)

毎日が涼しい・・・いや、寒い(((=ω=)))ブルブル

 

連続真夏日記録更新!から急転直下のこの気温。

 

まるで・・・年寄を苛めているとしか言いようがないp(´⌒`q)

 

 

 

そろそろお昼ご飯だ~~と思っていた所にピンポーン♪

 

「差し入れ~」

と、上の階の奥様。

 

(ノ≧∀)ノわぁ~い♪シュークリームだぁ~♪

 

 

 

初めて聞いたお店のシュークリーム。

で、ネットで検索してみた・・・(ホント便利な世の中だね~)

 

フムフム・・・メロンパンも美味しそうだ( ๑ ❛ ڡ ❛ ๑ )

移動販売もやっているらしい╰(✿´⌣`✿)╯♡

お店でも、移動販売車でも、出会ったら是非買ってみよー

 

 

 

 

 

 

朝起きて、資源ごみを出そうか?と思ったものの出すほどの量がなかった。

ゴミでその人の生活がわかるって言うけれど・・・そうなんだろーねー

最近はゴミさえ少ない・・・というか、ほゞ出ない。

私の食生活・・・超貧困。

というか、偏り感が半端ないかも(* ̄‥ ̄*)ゝ

 

で、何とな~~く思い立って

「涼しくなってきたのでお弁当でも作ろうか」

と、相も変わらずガラーン+スッキリの冷蔵庫から目ぼしい食材を搔き集めて

代わり映えのしないお弁当の出来上がり。

 

まぁ、私の胃袋へ直行するだけだから・・・こんなモンでOKなのだ~

 

今日のお昼ご飯

オバチャン特製『有り合わせ弁当』またの名を『超貧弱弁当』

 

いつも色味が一緒だなぁ・・・

ま、中身が一緒だモン・・・仕方ないか(*´罒`*)ニヒヒ

 

 

お昼ご飯食べて、『棚から牡丹餅おやつ』も頂いて

 

満腹、満足~~~゚州ノ≧∀≦州

 

 

 

 

 

 

 

 

このところの目の疲れ方が半端じゃない。

そう思うなら、本を読むのを休めばいい・・・のだけれど

それが出来たなら苦労はない・・・という情けなさ。(゚うェ´。)゚

 

作り直した眼鏡も合わなくなってきたような・・・

本当に少しは考えなきゃ(ー`´ー) 懐にも響く。

 

と思いつつも今朝方『天地明察』上下を読了。

と言っても再読なんだけれど・・・

 

 

 

主人公は

囲碁の家元四家の一つ安井家の長男として生まれた渋川春海。

13歳で2世安井算哲を継ぐも・・・

(安井→保井→渋川と性を変えています)

身分制度ガッチガチの江戸時代・・・まぁ色々とあったんだろうね。

 

それでも天才と言うか、能力の高い人というのは

自分の思いに素直に従う・・・と言うか、

そういう巡りあわせが往々にしてあると言うか。

( ̄ー ̄(_ _( ̄ー ̄(_ _  ウラヤマシイネ❤

 

 

囲碁棋士であり神道家、そして天文学者。

 

幼少時から数学や暦法、天文暦学に興味を持ちそれらを学び

それまでの暦の誤差を指摘し、日本各地で緯度経度の測量をして改暦が実現。

その結果として日本初の地球儀・天球儀も作成された。

 

 

一言で(一言では言い切れないけれど)紹介するならば、こんな感じ?

 

 

 

こういう偉人達の話を聞く度に思います。

私の13歳時とは、とても比較できません・:*ゞ(∇≦* )

春海が測量を始めたという21歳・・・さて、私は何をしていたか(*ノωノ)

 

 

 

昔の人の持つエネルギーって凄いよね。

 

現代に生きる私などは、何もかもが御膳立てされた中に生れてきて

これが当たり前のように感じてしまっています。

戦時中どころか戦後のゴタゴタも知らないお気楽世代のハシリかもしれません。

 

大昔から日本は今のような社会だったように勘違いしている若者もいるという

そんな話も耳にしました・・・(笑えないけれど)

 

 

まぁ、今も昔もあらゆる分野に真摯に向き合う学究の徒のおかげで

私のような凡人は、のほほんと暮らせていられるのだと思います。

近代化されたことで人々の暮らしは豊かになったけれど

そういう状況に甘んじている私のような人間も多いだろうことは確かだよね・・・

 

 

もう少し一生懸命にならなきゃなぁ~

 

 

 

 

 

ヌクヌク人間に栄養補給~♪

今日のおやつは、YATSUDOKIの『シャトーレザン』

 

 

レーズン入りのバターサンドクッキーです。

結構アッサリ目・・・

 

 

 

 

 

 

 

むかしむかしの話です。

 

生徒数が増えていて、中学入学当時は一クラス40数人で15クラス。

かなり広範囲からの通学を余儀なくされていたので

少し前から、いくつもの学校が新設されていた時でした。

そのために1年生の時にはクラス替えが2度はあったかと・・・

そんな感じで、1年生の時の思い出はほゞ無し・・・

1年間のバタバタから漸く落ち着いて、2年生に進級。

2年3年は持ち上がりで、クラスの顔触れは変わりません。

 

引っ越してきてまだ数年だった私は、まだその土地に慣れていなくて

家と学校との往復だけの毎日でした。

日時の記憶は定かではありませんが、その頃の話です。

クラスの男子の一人が突然亡くなったという話を朝、担任から聞かされました。

 

何故亡くなったのか?を知らされることもありませんでした。

特に仲良くしていた訳でもなく、私自身活動的な子でもなかったのですが

亡くなった・・・という一言の報告だけで済まされていい話ではないような気がして

 

授業が終わるや否や友人と二人で亡くなったH君の家へ向かいました。

今なら供物や供花でも持参するのでしょうが・・・(*_ _)人

世間を知らない子供でしたから、H君の家へ向かうことしか考えていませんでした。

 

 

H君のお家はお母さんとの二人暮らしでした。

お母さんは私達を温かく迎えてくれました。

 

自殺でした・・・

 

お母さんもどうしてこのようなことになったのか、と

息子の死をなかなか受け入れられないようでした。

 

「学校から来てくれたお友達はあなた達だけ・・・」

「ありがとう」という言葉を頂きましたが、

二人とも何も言えなくなって・・・H君の冥福を祈ることだけで精一杯でした。

言葉を失ったまま、私達はH君の家を後にしました。

 

私が知る限りいじめなどは見受けられなかったように思います。

今でも思い出します。

H君の選択肢は「死」しかなかったのだろうか?

H君はどんな思いで死を選んだのだろう・・・

私達が何か少しでも関わってあげられなかっただろうか?って。

 

あの後、お母さんはどういう人生を歩まれただろう・・・って。

 

 

 

それから少しして

同じクラスの男子が心臓の手術のために上京しました。

 

K君の実家は開業医でした。

より高度な医療を求めて上京しての手術だったのだと思います。

 

行動に制限を受けての通学だったし、

手術して元気になって、今迄できなかったいろいろな夢を叶えたかっただろうし。

手術の成功に大きな期待を抱いていただろう・・・と

健康そのものだけが取り柄の当時の私はそう思っていました。

クラスのみんなも手術の成功を信じて疑っていなかったと思います。

 

 

しかし、元気なK君の顔を見ることはありませんでした。

 

 

生きることを切に望んで手術に臨んだK君

自ら生きることを諦めたH君。

 

同じ時期に二人のクラスメイトを失った私達でした。

13・4歳・・・まだ中学生でした。

 

 

 

身内ばかりでなく、友人や知人の死も多く経験してきましたが

この二人のクラスメイトの死が長年心の中に留まっていて

未だにこうして思い出させるのです。

 

 

今日の送り盆を機に、彼らへの思いをも供養させてもらいましょう。

どうぞ安らかに・・・

 

 

 

 

 

今日のおやつは、YATSUDOKIの『ガレットブルトンヌ』