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妄想小説日記 わしの作文

わたしの妄想日記内にある”カゲロウの恋”の紹介するために作った
ブログです

痴呆症だった母が死んだ。

迷惑かけていた母、ガスの火は付けっぱなしで鍋を焦がしたり風呂の水は出しっぱなしで溢れさしたりスーパーで買ってきた食材をちょっと目を離しただけですべて袋を開けることも度々だった。

それでも生きてるだけで良いと我慢したのは痴呆症になる前はなんでもどんなことでも一人で頑張ってきた働き物だった母だからだ。

 

母がいると世話が大変だし日常茶飯事に後始末をやる羽目になる、

だから母が死んでも悲しみは沸いてこない。

 

「死んじまえよ」

「殺せばいいじゃないか」

 

売り言葉に買い言葉だった。

無論わたしは本気ではないが痴呆症となっていた母は本気で言っていたかもしれない。

言うことを聞かない母にあまりにも腹が立ち言ってはならないことを言ってしまったが出した言葉は戻せない。言ってしまったと後悔しても後の祭りで奥歯を嚙み締めた。痴呆症だから忘れるだろうと思っていたが母の記憶領域を見れる訳でもないどんなことを忘れて

何を言われたかひょっとしたら深く傷ついた言葉は忘れないかもしれない。

 

母は2階の部屋で寝ていたのだが痴呆症になる前は部屋を綺麗にしていた母も頭が変になったせいで散らかしても片付けず部屋の中は衣類や小物などが散乱していたし履いていたオムツも押し入れの中にさえ見つかった。部屋を片付ける為にわたしは2階に上がることにした、とりあえずオムツをすべて見つけ出し脱ぎ捨てられた服は洗わなければいけない。

 

母が死にあちこち脱ぎ散らかった衣類を集めて洗濯すると一度には運べない量の山となった、服の前にオムツを片付けるのだがオムツを一度にいくつも持つと汚物が転げ落ちた。固まったものはすぐ拾えるがやわらかいと床に張り付き擦る必要がでてくる。衣類は1階の風呂場まで運ぶ必要があり1度で運べず3度運んだ。なぜ洗濯機にでなく風呂場かというと洗濯機が壊れたせいで風呂場で桶を使わなければならないからだ。私が買ってあげた3面鏡の引き出しを整理すると何枚かの写真を見つけその中で小さな写真を見つけた。

わたしの幼いころの笑っている写真でそんな古い写真を捨てずに持っていたのかと思うとわたしは胸が詰まった。

 

不要になった母の長靴やタオルなど45ℓの半透明のビニール袋に

詰め込んでいたら昔のことを回想してしまった。

なんでも文句言わずやってきた母は一人で正月用のもちをついた、餅つきは機械だったがもち米を炊くのは竈だったので釜を3段重ねで一番下の釜は水を入れ2段3段目はもち米を炊く、もちろんもち米を研ぐ必要があり五合くらいを一つの釜に入れて重ねる。

 

60歳になったわたしは近年、米を炊くことがわたしにはできるが当時30歳くらいの頃は母任せだった、若い頃米を研ぐことを知っていたら手伝ってあげたのにと悔やんでしまう。

 

ある日のこと、夜自室のベッドで眠っていると母が現れた夢をみた

母は一点を見つめ笑ったり和んだ顔になったり時には怒ったりして泣いていた、何を見つめているんだろうと視点の先を見ると先日わたしが母の衣類を洗っていた時の姿そのものだった。

声をあげても母の耳に聞こえることはない、傍観者のように第3者の

存在のようで天井近くから見つめることしかできない。

 

場面は変わってお通夜の時、式でわたしが焼香していると母は腕を伸ばし手を差し出そうとているが近くに寄れないまるで誰かに羽交い絞めされてるようで動けずにいた。見ている自分と同じ人間が存在しているかと思うとおかしな気分だ。よく目を凝らしてみると徐々に見えてくる、母の両脇にいて母を抑える男たち二人の姿と泣きながら抵抗する母の姿。

 

”もういいだろう”

”あなたは特別な存在として霊界に上がらなけばならない”

”離せ、わたしが嫁のいないあの子の傍にいるんだ”

”いやだ、もっといるんだ”

”だめだ”

「やめろ、かあさんから離れろ」と

声をかけても聞こえる筈もなく母の姿は徐々に小さくなり煙のようになると消え去った。

 

朝目覚めると頬には涙で濡れていることにわたしは気づいたがなぜ瞳が濡れているのかわからなかったのは夢の記憶がなかったからだ

霊は現世に長くいると生きている生者に悪影響を齎す、病気になったり死んだりするが傍にいてくれたら死んでもいい。

しかし霊界の掟によれば現世に長く存在し人と暮らしてはならない取り決めがあり霊界の管理官は許すことは出来ないと誰かに聞いたことがある。

 

お通夜で最後のお別れの時が訪れた。

棺が移動され花や食べ物、靴などを装飾すると葬儀屋が言葉を投げた。

 

「最後のお別れです、言葉をかけてあげてください」

 

「ありがとう」

 

さようならとかお疲れ様とか言わずなんで感謝の言葉が自分の口から出たのだろう、定番の”ゆっくり休みなさい”とはいえなかった。

それは痴呆症になった母を見て感じた事だが身体を動かしている時

は自分が必要だと認めて貰えるからで逆に働ないで家で座っているだけだと自分の必要性がなく無駄な存在だと思え家のお荷物だけの存在になる、無心で働いているときは全てを忘れさせてくれるのだ

 

告別式を終え埋葬したがあの時お通夜で口から出た言葉が何故出たのか1年経った今でもわからない。