妄想小説日記 わしの作文 -14ページ目

妄想小説日記 わしの作文

わたしの妄想日記内にある”カゲロウの恋”の紹介するために作った
ブログです

人間50年やってきて51年目にして今までとは違う正月を過ごさねばならなくなった。

当然のように食べていたきんぴらごぼう、里芋の煮っころがしや雑煮に金時マメ、白菜の漬物やブリ大根などが正月に食べられなった

長年、毎年のように正月にあったので正月料理としては当たり前で

飽き飽きしていたから食べなかった。

 

だが母の死去で食卓には並ぶことはなく正月料理として当たり前ではなかったのを痛感した。

大根の雑煮ひとつ作るにしても厚めに大根を輪切りにして皮を切る

同じことを数回繰り返し薄く輪切りにして等分に切る。里芋を入れるのなら里芋だけで煮てあくを取る必要がある。雑煮でさえ下準備に時間が掛かる。

とてもじゃないが複数の料理なんて作れるものじゃない。

 

だが最近ではスーパーで下準備してある食材や料理などが売っている、作れなかったら買えばよいのだがそれも金があったらの話だ。

金のない我が家では母の元気でいたコロと他界した現在では正月料理の品目が減少していくのを止めることは出来ない。

 

寝正月などと世間から煽られ正月3が日は寝てばかりだったあの頃、

母は朝早く起きて料理をしていた。おせちは主婦が何もしなくていいように考え出されたと聞くが洗濯ものは風呂に入る以上翌日洗わなければならないから正月といえど何もしないで済ませられることはないし食事の片付けと準備は毎日しなくてはいけない。

 

では年末にほとんどのことを済ませておけばよいと思われるだろうが年末は大掃除や庭の清掃、ゴミ出し、正月食べる餅つきと鏡餅つくり、神棚の飾りつけ、障子の張替え、正月食べる料理つくりなど多忙を極める。年が明けたら神棚に供物を供えるし団子焼きの団子を作らねばならないから主婦は年が明けても多忙だ。

 

母が死去して母の生前のように出来なくなりお節料理も頼まなくなった、頼まなくなった理由は金銭的なことだけじゃなく頼んでたひとつに母が喜ぶ姿を見たかったことがあり居なくなったので注文してもしょうがないとの理由から頼まなくなった。

 

餅もあまり食べなくなったし鏡モチも作り手がいなくなったから供えることはない、障子は掃除も兼ねて毎年張り替えていたが破れた部分だけ補修している。年末恒例だった大掃除も簡素化するようになったし年末と春に恒例だった餅つきも今はやっていない。

使い手の消えた餅つき機もうごかなくなったし母の死去と同じくらいに洗濯機はボタンを押しても動かなくなった。

 

母が居なくなり我が家の正月も大分変化した、それほど母の影響力は大きい。

わたしには子供がいない為ひな祭りの3月と子供節句の5月は母が元気だった頃から何もしていなかったが母が居なくなった1年を迎えようとしている。

 

神社の町代をしたのを機に毎年除夜の鐘を打とうと思っていたが母の死去で今年は喪に服するため鐘を打てなくなった。

こんな事くらいで迷惑を掛けられたと思っていない、コメの炊きなおしやガスの火のつけっぱなしや風呂の水の出しっぱなし、履いていたおむつを脱いだ後の片付けなど迷惑を掛けられたが自分が若い時に掛けた迷惑を考えればお返しになるほどじゃない。

 

49日で仏教では埋葬する、年明けになるので35日で埋葬したが

本来の埋葬日に当たる49日は1月5日母が家にいる日まで残り僅かだ。

 

塔婆は死者への手紙だと一説にはあるが私の場合は塔婆でなく小説で母へ手紙を送ろうと考えた。

同じような小説を更新てしつこいと思われた事であろうが我慢して欲しい。