「痛~い」
「救急箱どこだっけ?」
どこの家、誰でもよくやる切創、大袈裟だが事故ともいえる。
キャベツの千切り、魚を捌いて、硬いカボチャの切断に於いて刃物
を扱う以上危険が付き纏い油断や奢りちょっとした気の迷いから指
を切ってしまう。
だが佐々岡霧(ささおか きり)の場合はちょっと普通の切り方と
違い刃先では切らず安全な筈の峰(魚のうろこを取る場合に使う)
に手を当て力を入れたら手の掌が切れてしまった。
「ただいま」
「霧、その手どうした」
「晃人くんあの包丁変だよ」
最初は大袈裟に包帯を巻いているのだろうと思ったがよく見ると手
のひらから血が滲んでいるので掌を切ったらしい。
「刃で切ったんじゃなくて包丁の背で切れたの、おかしいでしょ」
「ちょっと包丁貸して」
包丁を見た限りでは鈍く光る刃、胴、峰以外では切れそうもない極
普通の包丁でおかしいところは見当たらない。ディスカウントショ
ップで展示していた時は桐の木箱に収まり名のある逸品のような気
がしたから1000円という価格にしては安いと考え購入した。こ
の時点で晃人には事の重大さが考えらえず呪いなどの非科学的なも
のは現代社会ではないと信じていた。
「処分してよ」
「使わなきゃいいだけだろ?」
妻が哀願するが晃人には受け入れることは出来なかった、逸品だと
信じていたので置いておけばそのうち値段が上がるだろうと値段が
吊り上がるのを信じていたからだ。
ケースに入れたまま使わずにキッチンの引き出しに収納して1年の
月日が流れ包丁の事など記憶から忘れかけた頃再び暗闇から解き放
たれる。
晃人が会社の同僚を連れて家へお訪れたので料理を作らない訳には
いかず下準備をしようと思ったがキッチンの包丁掛けにどういう訳
か包丁が一本もかけられていない、料理は時間との勝負で包丁を探
している暇などない、そんな時に桐の箱に入る包丁を霧(きり)は
見つけた。
霊能者の世界では何人もの手に渡り殺人事件、殺傷未遂、自殺と何
件もの事件の引き金になった包丁が世に出回っているとの噂がある
徳が高い霊能者によればその包丁はホームセンターで売るちょっと
他の包丁よりお高い普通の包丁だったが使い手により使う度洗い水
分をとり研ぎ澄まされ可愛がられたお陰で魂が宿ったそうだ。愛用
していた人の死後、包丁は捨てられたと考え悲哀は憎悪と変わり憎
しみが増幅され呪いとなった。故人の身内により俗世に売りに出さ
れたと聞く。
霧は魚料理を出そうと魚を3枚に卸そうとしたが背骨に刃が通らず
刃を調べようと指先で刃をなぞってみると熱い感覚と共に痛みが霧
に襲い掛かった。
「キャぁー」
「どうした」
「ゆ、指が・・・」
左手の人差し指が第一関節の骨まで切れ指がゴムの様にブラブラし
ている。噴き出した血でショックを受けたのか霧は立ったまま気絶
したようで俯いたまま何も言わない。
心配して駆け寄る同僚たちが見守る刹那、霧の指に包帯を巻く晃人
の動きが止まり崩れ落ちて倒れてしまう。一体何が起こったのか理
解に苦しむ同僚たちを尻目に晃人は胸に刺さった包丁を引き抜くと
”コトン”と
血塗られた包丁が落下し周囲には血のりで床を塗った。
眼を見開き口を大きく開いて倒れる晃人は心臓一撃で絶命したが惨
劇は終わりではなく警察に携帯で電話していた40代男性は背後か
ら首を切られ卒倒、逃げようとする20代女性は背中に宙を舞う包
丁が刺さり倒された。30代の男性は殺人を見た衝撃で心臓麻痺を
起こし失神した。
事件を起こした凶器は証拠品として通常は警察に保管されるがこの
包丁に関しては警察の保管庫からいつの間にか消えてしまう。証拠
品がないと起訴で問題となり警察は当初誰かが持ちだした可能性も
考慮したが保管室にはカメラがありモニターできるシステムになっ
ている。勿論録画を再生してみたが怪しい人物は映る事が無かった
がおかしな点がなかった訳ではない、黒い影が保管庫の扉をすり抜
け証拠品の包丁の前まで来ると包丁が何もなかったかのように消え
てしまうが警察としては心霊現象など認めるなど断じてできない。
2019年冬19歳の少女を自殺に追い込み包丁の霊力は更に上が
りこれで犠牲者の累計はショック死も含め150人に昇ったせいで
霊力と怨念は更に強くなり包丁から妖力がオーラとなって纏う。
2020年春、ホームセンターに中古刃物切削市が行われ奴も一般
の中古品の間に紛れ込み桐の箱に収まる逸品として売りに出された
「いらっしゃいませ」
「この包丁がいいんです」
「こんな包丁あったかなぁ、値段札もうちのじゃないし」
「少々おまちください」
「はい」
今度はどんな奴を犠牲にしてやろうかなと考えていた包丁だったが
新しく買い手になる人物を見てなぜか懐かしさが込み上げる。
妖包丁”蘭丸”は殺傷を繰り返してきたが心の片隅では平穏を望んで
いたのかもしれず時折幸せだったあの人と暮らした日々を思い出し
遠くを見つめると我に返りどうにもならない無駄な望みであると諦
めていたのも本心だった。
30過ぎのしかも女性に知り会いなどいない、この世に生まれて百年
あまり30過ぎの女性など孫の様な年齢だから知り会いなどいない
しかしなんだろうこの穏やかで懐かしい気持ちは・・・いくら考え
ても包丁”蘭丸”にはわからなかった。
”この世の中、偽善ばかり神は偽善を推奨しているのを知っている
か”
”誰だおまえ”
”誰でもいい、敢えて言うならもう一人のおまえと言っておこうか”
”悪行、殺人、殺傷は多くの人が支持した場合には善行となる、少
数で異議を唱えると悪行になるのが人道だ。”
”人の道などどうでもいい、我は人間に非ず”
”次の女を殺せば貴様は神になれる”
”下らん、神など所詮偽善者、興味がない、消えろ”
三十路の女と暮らし始めて1週間、生活を共にすると癖や気質、性
格などが見えてくる。蘭丸は元来女性として生を受けたが27歳で
他界その後転生し包丁に宿ったものだから女性目線で見る事が出来
本音と建て前がある女性の考え方を知っていた。異性には毛糸のパ
ンツなんかおばさん臭いなんて笑うくせに影では愛用するそれが女
というものだがこの女は違う。その証拠に使い終わったら毎回包丁
を洗い毎回気持ちよく使えるように女には珍しく包丁を砥ぐこれだ
けでも異色なのに更にこの女は濡れた包丁を乾拭きしてくれる。
こんなに大事にしてくれるのは初めて、いや遠い昔に有った気がす
るというかいた。しかしそれが誰だったのか今では思い出せない。
「あれこの包丁拭いても拭いても濡れるわ」
包丁蘭丸は昔を思い出そうとすると自然と涙が溢れ止まらなかった
自分でも涙が出るのは不思議な感覚で涙を流すのは生き物に限られ
た恩恵だと思っていた。
一度は片づけた包丁だが思い出したようにトマトの皮むきを始めた
女は包丁が濡れていたせいで指の皮膚を切り裂いてしまう。肉を裂
いたてから時間を置き血が溢れてくる、その血を見た刹那に包丁は
過去の記憶が走馬燈となって蘇る。
呆やけていた男性の顔がはっきりと蘇る時蘭丸は全てを思い出し優
しかった70才の男性の笑顔皺が寄る目尻そのすべてがこの場にい
る女性と被ることで男性の親族で子孫だと気づいたら刃で傷をつけ
てしまった事を悔いた。
昔は男性の身体を切ったことはなく砥いで指に合たった時も男性の
ミスで落下した時も落ちる場所を変えるなど常に男性を護って来た
家畜が不本意で己の肉体で主人を傷つけた時の様に心の葛藤があっ
た。
蘭丸は心から誓った。
”2度と彼の人を傷つけたりしない”
以後蘭丸はどんな状況に陥っても彼女に害を及ぼす事はなく人を殺
める事もなくなり生涯この人間の為に尽くすことを誓った。人間で
ある以上寿命は訪れるその時は我も消滅すると覚悟を決めると妖気
は消え普通の包丁に変わり変化を遂げたのである。
おわり
この物語はフィクションであり実在の
人物団体には一切関係ありません
る