ホテルで行われた由美と祐一の見合いはいまだに気持ちが整理出来
ない祐一以外はまとまる方向へ向かっていた。この見合いに対しあま
りのる気ではなかった由美の母香那子(かなこ)でさえ息子ができる
喜びに浸っている、息子としては年がいった息子ではあるがそれでも
嬉しいようだ。見合いは概ね成功したといえるだろうだが由美の父親
広治(ひろはる)は祐一から返事を貰っていなかった。
「祐一君、娘をお願いできないだろうか」
頭を深く下げ祐一に願う広治をみて祐一は黙っていられなかった。
「頭をあげてください、伊藤さん。いやお父さん」
「祐一君、父と呼んで頂けるのか。で、では」
広治に言われ収入のことは一旦棚に置きそれでもまだ祐一には不安
材料が残っていた、それは自分が農業をしている事に関するものだ。
「由美さんは農業はしたことないですよね」
「あの華奢な体形ではきつい畑仕事は無理だと思います」
例えば妻になったとしても由美は会社員だ、休みはゆっくりして貰いた
い。今はいいけどいずれ由美にも手伝って貰わなければならなくなる。
その時、由美に出来るのだろうかと不安に思っていた。
「祐一君、ああ見えてあの娘(こ)は性根が座った娘でね、ちょっとやそ
っとで根を上げる魂(たま)じゃないのだよ、舐められては困るな」
”たまをなめるのは娘のほうだ”と広治は言いそうになったが堪えた。
「農作業ってそんなにきついのかね」
「例えば草むしりですが今やってるのが葱の草むしりを言えば腰曲げて
ひと柵13メートルくらいですかね、腰曲げながら13メートル前進する
わけです。それを5本、一日で5本は無理ですから3本はやります。」
「それはきつい、暑い日もやるのだろ」
「やりますが炎天下のなかではやりません、早朝起きて一仕事してから
帰宅し朝食をとりまた畑へ11時頃帰宅して今度は昼休みし3時か4
時また畑へ帰宅するのは19時くらいになります」
祐一の説明を聞いてそこまで詳細に言わなくても良いとは思ったが考
え方をかえればこの男は由美のことを本気で考えてると感じた。
「娘がいうとおり、君は正直な男だな」
「いえ農業は結構時間に不規則なんですよ、それを理解してもらいたく
て話しました」
「早朝と君は言ったがその時間は」
「早い時で午前3時、普通は4時。無論これは夏場のことですが」
”由美に起きれるのか”と広治は心配になってきた。
「では最後の質問になるが君は由美と一緒に畑仕事したいかね」
「それは勿論考えていました。一緒に働ければどんなに幸せだろうと」
「出来れば一緒に畑にでたい、そのための指導も自分は惜しまない」
「それさえ聞ければいい」
僅かな沈黙の時間が流れ広治は口を開いた。
「祐一君では1日農業体験をさせて貰うとしようじゃないか、わたしも
同席する」
「君はその体験、いや研修かな。そこで由美が農業人として妻として
由美を見極めてもらうとしよう、もし無理だと君が判断したのならわ
たしが責任をもって由美には諦めてもらうと約束しよう」
イヤハヤなんともお父さんはさすがは社長、行動力があるなと祐一は
改めて思った。まさか目の前の広治が畑に行くと言い出すとは考えて
いなかった。この行動力が祐一と由美には欠けていたものだ。
「おとうさんでわたしは審査したことがないのですが一体どうすれば」
「そうだなではわたしがチェックシートを用意するから君はそのシート
に従ってチェックすれば良いとしよう」
「お忙しい身分なのにいいのですか」
「構わない」
広治は実に奇妙な展開となたものだと思った、だがこれならこれで楽
しいかもしれない。どの書式にするか、ワードで作るかそれとも久しぶ
りにパワーポイントで作ろうかと考えたらワクワクしてくる。ましてやっ
てみたかった農業に挑戦できる、これは千載一遇のチャンスであると
広治は思った。すでに脳内からは娘由美のことなど頭から消え、例え
見合いは破談となっても農業の伝手が出来たことが嬉しかった。
戻ってきた由美とその母香那子、祐一の母多恵の3人は席に座る。
「由美、おまえ今度祐一君と畑仕事をしてみろ。その結果次第で祐一
君はおまえとの見合いの返事を決めるそうだ」
広治は由美の答えを予測していた、今時の若い女は暑くても嫌だし
寒くても嫌まして手が汚れる仕事は絶対やらない。会社の女子社員
をいろいろと見てきた社長の意見であった、由美も例外ではない。
「それはいつ行けばいいの」
「だよな、うんいやだろう、当然だ」
「何言ってるのパパ、嫌なんて言ってないよ」
「なに!嫌じゃないのかこの時期畑は寒いぞ、虫だっているだろうし
そのキレイな爪も汚れるんだぞ」
「確かに虫はいやだけど汚れは洗えばいいじゃない、爪はね剥がせ
るのよ」
そう言うと由美は自分のキレイに塗られた爪を剥がして見せた。つけ
爪だった。これには祐一も広治も多恵も残虐なものでも見るように目
を背けていた。爪をはがす、これは実に痛いものだ。
だが由美の指は赤く染まる事はなく 剥がした爪の下にはピンクの爪
が見えた。これには3人が驚いた、つける爪があると知らなかった。
「つけ爪なのよ、つけまつ毛みたいなものだわ」
「あくまでこれはファッションなのだけど爪の傷を保護する目的もある」
「そんなものがあるのか、では今度パパもつけてみるかな」
「え!!」
「キモイからやめてパパ」
市販されているつける爪はファッション目的で作られたものですべてと
言ってもいいほど女性向けに作られている、華やかな色に塗られた物
ばかりなのだがそれを広治は知らなかった。
「では来週の日曜日は予定あいてるかな祐一君」
「来週ってそんなに焦らなくてもいいんじゃないですか」
「善は急げというだろ、思い立ったが吉日との諺もあるじゃないか」
「ですがあなた、由美ちゃんの予定もあるだろうし」
由美はバッグからメモ帳を取り出してボールペンで書きこんでいた。
「わたしは大丈夫よママ、もう予定組んだから」
「由美はそういうけどわたくし、来週は役員たち奥様達とお食事会が
あり欠席することは無理なのですよ」
「ああいい、おまえはこなくても問題はない」
「・・・そんな」
由美の母香那子も実は農業に興味を持っていた、以前から夫である
広治にどこか借りる畑はないかと相談していたくらいだ。それなのに
来なくても問題がないという夫に怒りさえ覚えた。だがこれしきの事
で諦めては社長の妻は務まらないというもの。
「祐一さん土曜日は如何かしら」
「何言ってるんだ、すでに日曜と決定した。農業体験は1日のみ」
「そうよママ、今更なに言ってるの。祐一さんにご迷惑じゃない」
「どうしても?」
そこで香那子は祐一の母、多恵に泣きついてみた。
「おかぁ様お願いですからわたくしに是非ご指導をくださいませ」
「わたしゃ叶わないがいいのか祐一」
「叶えてあげなよ」
「ちょうど土曜日には小松菜の種を捲こうと思っていたんだわ」
「ぜ、是非」
そこで広治に向かっていた空気は流れを止め、空気の流れは向きを
かえ流れ始めた。
「そういうことならわたしも行かなくてはな」
「あらあなた、先程ご自分で農業体験は1日限りとおっしゃっていまし
たではありませんか?確か土曜にゴルフコンペがあるって聞きまし
たけど。」
「ゴルフコンペなら誰かに変わってもらえばいい、役員はたくさんおる」
「もともとわたしはゴルフなんて好きじゃないんだよ」
「今のお言葉、取引先の社長方がお聞きになったらどう思うかしら」
そういうと香那子は小型の音声録音機(レコーダー)を夫に着きだし
た。香那子は今までの会話はすべて録音していたのだ。
「くっ、卑怯な」
「由美ちゃんのおかぁさんって怖いな」
「あら、女は用心深いものなの。あれくらいで怖がっては駄目よ祐一
さん、ママはもっと怖いんだから」
由美の言葉それは由美の母だけに適用されるものではないと祐一
には思えた。もしかしたら自分は恐ろしい女と結婚しようとしてるので
はないかと考えると背筋が凍てつく気がした。そこで思い出したのは
ある男の名言「キレイなバラほど棘は伸びる」棘とは角のことである。
月曜日の午後、出勤した会社で由美は秘書室の西尾良子と会ってい
た。由美は秘書室への移動を決意し西尾に相談していたのである。
「そう移動する決心がついたのね、わたしとしても嬉しい」
「はい先輩どうかよろしくお願い致します」
秘書としては初めての仕事になる由美は担当役員が常務あたりだろ
うと考えていた、だが書類をめくり見ていた西尾から聞いたのは。
「え~とね、由美さんには社長秘書をお願いしますね」
「いきなり社長秘書ですかわたしに出来るとは思えないのですが」
「大丈夫よ由美さん、あなたは自分で考えてるよりずっと優秀だし」
「あなたは社長の行動を覚えそのための約束、予約などをとれば
いいだけなのよ。体力的にきついこともあるだろうけど頑張って」
「体力的にきついとはどのような事なのですか」
「あなたは腰が丈夫そうだから問題ないと思うわ」
西尾が言ったことをきいて重い荷物を持つこともあるのかと由美は考
えていた。だが秘書経験者であればそのよな業務は有りえないと思
うことだろうが今の由美にはわからなかった。
「そうね、明日にでも一度社長に面談しに行きましょう」
「辞令が出て秘書として働くのは来週月曜日あたりかしら」
「はい、わかりました。よろしくお願いします」
「ではまた明日ね」
日が明けての翌日火曜日、午前中の受付業務は他の女性社員に
変わって貰った由美は西尾室長に連れられ社長室のドアを叩いた。
”コン 、コン、コン”
ドアノックを3回すると中から声が掛けられた
「はい、どうぞ」
「失礼いたします、社長。このたび秘書室へ移動になりました伊藤由
美をご紹介致します」
「伊藤です、不手際もあると存じますがよろしくお願い致します」
「ほう君が伊藤由美さんか噂は聞いていますよ、噂以上の美人だね」
「お褒めいただき光栄です
濃紺のスーツを着る由美の身体を足先のパンプスから舐めるように上
へ見上げる社長の粘っこい視線に由美は身を捩った。まるでそれは自
分の身体に毛虫が這いまわっている感覚を覚えた。そして社長の何も
かも見通してしてしまうかのような黒い瞳に畏怖してしまう。
社長室を退出する際も自分のお尻に社長の強い視線を感じた。スカー
トをはいているのに由美は下着姿を見られている気分になった。
「西尾先輩お聞きしたいんですが」
「なにかしら」
「あの社長って女子社員を見つめる時はいつもあのように見るんです
か」
「あの様とはどういうことかしら」
「からだのすべてを覗きこむようないやらしい視線です」
「ああ、中年オヤジなんてみなそうよ。わたしは気にしてないけどね」
「あの社長と二人っきりの部屋でわたし、大丈夫でしょうか」
「そんな事くらいで挫けてどうするの?あなたには幻滅したわ」
「とにかくこれは会社の仕事なんだから頑張りなさい」
去りゆく西尾の後ろ姿を見送る由美は今いちど確認するように自分に
言い聞かせるように呟いた「業務なんだから頑張らなくちゃ」。
セクハラが話題の社会情勢、社長みずからが規則を破るとは思えず
由美は社長を信じる事にした。午後からは通常の受付業務をしなけれ
ばならない、この不安な気持ちを打ち消しいつも通りの笑顔で人に接
しようと思った。会社へ人が訪ねて来た時は笑顔で応対するが1日の
あいだには必ず誰もこない空白時間がある。
そんな時はついついよくないことを考えてしまうものだ。来週からあの
社長と由美は同じ社長室で朝から夕方まで勤務しなければならないと
思うと憂鬱になってしまう。それでも数日後には佑一と会えると思えば
気分は晴れた。
由美がベッドの上で目覚めたのは朝5時半外はまだ薄暗い。この時期
日の出は6時近く、由美が起きてまずやることはシャワーを浴びること
風呂場で洗顔して歯磨きその後シャワーを浴びる。由美の若い肉体
は水弾きがよい、頭部からシャワーをかけると白い肢体には丸くなっ
た水滴が零れては落ちる。長い黒髪に手櫛ですくと真っすぐな髪は抵
抗なく指は髪の先端までスムーズに移動していく。
風呂から上がりタオルを巻いた身体からタオルが落ちると下着を身に
つける訳だが下着選びに余念が生じてなかなか決まらない。地味、派
手、下品、婆くさい、色気がない、露出度高すぎ、と様々な想いを巡ら
しそれらは交わり渦巻いていく。やっと下着が決まったと思ったら今度
はこのスカートにはこの下着じゃ合わないと宣う。全部だしてこれとこ
れとこれと選べば簡単なことなのだが由美は決断力が足りなかった。
6時半になり車で父の広治はやってきた。
「おとうさんちょっと待っていてくれる、今メイク中だから」
「メイクっておまえ」
広治が外で待つこと30分、何もなかったように笑顔で出てくる由美に
対し広治は言いたかった「ちょっと待って?それで30分か」と
「お前今日は畑仕事に行くんだよな」
「そうよ。でも祐一さんに会うんじゃない、メイクは女の身だしなみなの」
広治はその言葉で猫を思い出した、むかし飼っていた雌猫のキャンデ
ィ。広治の布団に入る前には必ず丁寧に毛繕いしてから潜り込んでき
た、あれも女の身だしなみとでもいうのか。
2時間かけて祐一の家まで車にてきた伊藤親子、来たのがわかってい
たかのように祐一は二人を出迎えた。ただ由美の顔を見つけめて動か
ない。
「祐一さん私の顔どこかおかしいですか」
「いやねやっぱりきれいな女性だなと見惚れてしまったんだ」
「いやね、祐一さんたら、もう」
「だけどね、今日は里芋を掘るからそのキレイな顔も土で汚れちゃうと
思うけどそれでもいいかな」
「大丈夫ですあとで顔を洗わせて貰えればいいから」
「構わないよ、それから爪の汚れはお湯でないと落ちないからね」
「では行きましょう」
軽トラに3人乗って畑までやってきた3人、助手席には由美が座った。
畑の1面には里芋の大きな葉が風で揺れていた。
「由美ちゃんは鎌を使い葉っぱを根元で切って、おとうさんは自分が
里芋を掘りだすので土の塊を地面にぶつけ子供の芋を分離させて
ください。」
里芋の収穫は葉の茎を鎌で刈り柵と並行して鍬を使って掘り進めて
親芋から生える子の芋は周囲の土を固め大きな土の塊として掘りだ
し地面に叩き落として子たる芋を親から分離させるのである。最初
由美には簡単な作業を作業をさせようと考え葉を落とし終えた今は
子たる芋の土落としをさせていたのだが由美の思いがけない申し出
に祐一は戸惑った。
「ねぇ祐一さん父と代わってみたいのだけれど」
「あれやりたいの?重いよ。大丈夫なのかい」
「うん、がんばる」
広治と祐一の二人は由美を傍観して見守っていたが由美の激しい
掛け声に顔を見合わせていた。
「よいしょっと」
「や~ん、もう離れてよ」
「こんちくしょう」
「ふーまだか、そりゃぁ」
「ね、祐一君。あのこは思っているほどヤワじゃないだろ」
「確かに、外見のきれいさと中身のしぶとさのアンバランスがいい」
休憩しようと祐一が由実に話しかけても由美は動きを止めない。
「由美ちゃんちょっと休憩したほうがいいよ」
「待ってもうちょっと」
「由美さん、休みましょうよ」
「祐一さん、そんな体力でどうするの?わたしが鍛えなおしてあげます」
「え!」
将来結婚したら尻を叩かれてしまいそうだ、祐一はそう思った。
月曜日、由美が秘書としてはじめての出勤日、社長室に入ると由美
は服を脱ぐことを強要された。
「服を脱ぎなさい」
「いやです、できません」
「君は業務命令に逆らうというのか」
「西尾室長にいいつけますよ」
「西尾君も了承しているよ、なぜなら君をここへ移動させるように命じた
のはわたしだからな」
「なんですって!それでは最初から社長はその気で」
「わかったら早くここへ来なさい、西尾君も他の秘書たちも通ってきた
道なんだよ」
「・・・そんな」
翌日から祐一は由美と連絡が途切れてしまった。由美がブログを更新
することもなくなり完全な音信不通となった。そして由美が住んでいた
マンションも誰も済んではいない。両親さえ娘の由美とは連絡する手
段がなく祐一はお手上げとなってしまう。由美に一体何が起こったの
かそれは社長と由美にしかわからない。