桐生家の門を叩いた悠里の前に現れたのは弟の嫁で義妹
である詩織であった。門前払いを覚悟して訪問した悠里
もっとも今日は素直に引き下がるつもりなど毛頭ない。
「両親は心身を病んでおりますので・・・」
やはり門前払いなのかと思った悠里は拳に力が入り覚悟を
決めた。”ずうずうしい女と思われても”と簡単には帰らない
ぞと思っていた。
だが・・・「どのようなお話で来られたのかわかりませんが
とりあえずお上がりください」と居間へ通された。
最も詩織自身にも訪問した訳は想像していたのではあるが。
居間で待っていたのは俯いた桐生父母と目を閉じて腕を
組んだ弟光男である。この桐生一族みな悠里とは面識が
あり特に母親は依然病院でお世話になった医師でもある。
それ故どんな話だろうと帰ってくれとは言えなかった。
どんな話、いや話の内容は秀一郎に関するものだと父の
富実男と母の裕子は理解していた。
「夜分お邪魔したのは秀一郎さんの面会に関する事です」
「幸子さんから聞かれて知ってはいるでしょうが彼の余命は
あと僅かしかありません。このままでいいのですか」
俯いていた父母は頭を上げた、その瞳は潤んでいた。
母の裕子は口を開けたが言葉を発することはない。
母の代わりに声をあげたのは息子光男である
「先生、両親はショックのあまり言語障害に陥りまして
不快に思われるでしょがわたしが代弁させて頂きます」
「わたしらはどんなに兄秀一郎に会いたいかわかりますか
でも病院へ行こうとすると足が動かなくなるんです」
「わたしははっきり言って兄の姿を見るのが怖い、やつれて
今にも死にそうな兄の姿を見るのが怖いんです」
「気持ちはわたしにもわかります光男さん」
「ですが今会わないと永遠の別れになるんですよ
お別れに立ち会うのは辛い事です。でも後々
悔やんで生きるよりはいいでしょう。だから
お願い 逃げないで」
悠里の説得により弟光男と妻詩織は行くことを
約束してくれたが両親は相変わらず無言であり
面会を拒否することを表すかのようだった。
そこで悠里は決して話さないでと約束した話
をすることにした。それは以前秀一郎が書いた小説
で主人公のモデルとなったのは秀一郎、母親役は
裕子ではなかったが秀一郎の記憶にある母親像が
物語にいつの間にか反映してしまったのかもしれない
小説の中で母親が発病し死去する設定とした。
在ろうことか現実の母である裕子が小説と同様の
大腸に関する病気となり秀一郎は焦った。
そこで設定を変更し主人公が病気で死去する事と
すると母裕子の容態は回復していった。それから数日後
修一郎は発病した。
これが口止めされていた話の内容である。
事実作家が書く小説の中にはこのような事例があり
秀一郎もこの不思議な力を信じていた。
そして悠里はこの話を桐生家の人々に聞かせた
「あり得ない」
「そうでしょうともわたしも未だに半信半疑です」
「ですがもしこれが事実であるとしたら・・・」
家族はとてもじゃないが信じられないといったが
母である裕子だけは口を手で押さえ泣き出した。
自分の死を息子が身代わりとなった、これは母親
としては耐えられない事だろう。
「この話は兄から聞いたんですか」と光男が悠里に
訊ねると悠里は首を横に振り
「いいえ幸子さんから聞きました。秀一郎さんは絶対に
母には言わないくれと懇願したそうです」
「母には夢があり一緒にお嫁さんと料理したい、自分は
今まで親孝行してこなかったからせめてこの夢だけは
実現させてやりたい。そう秀一郎さんは話したそうです」
「馬鹿な子」
はじめて裕子がポツリと言った、涙を流しながら。
「行かなくちゃ、わたしが行かないとあの子が」
「あのこが待ってるから」
裕子がそう言うと富美男は肩をやさしく叩いて
「明日皆で行こう」と言った。
そして翌日、桐生父と母そして次男夫妻は
聖アロワナ病院に入院する秀一郎の部屋へ。
それが今から3日前の事で秀一郎が入院
してから5日過ぎた日の事でだった。
時節は現在に
樹海へ行った日から12日が過ぎようとしていた。
9月の秋雨が続く日々、テレビでは天気予報で
新たに台風23号(キャサリン)が発生したと
報じていた、だが秀一郎と幸子はそれどころでは
なかった。
ここへきて秀一郎の容態が悪化して酸素吸入マス
クを装着する日々が増え幸子にテレビを見る余裕
はない、もし二人とも元気であったのなら”キャサリン
”という新たな台風に興味を募らせただろうが。
病院内での結婚式まであと僅か2日。
頑張って欲しい、もう楽になってもいい、もう少しだけ、
このままもう目覚めないのかも。
幸子は心の中で思いが交差する。
秀一郎への見舞客は毎日多い、だが部屋が満員には
ならなかった。まるで誰かがスケジュールを作っている
かのように、桐生の家族と幸子の両親はもとより幸子の
会社の社員や秀一郎の弟光男の同僚、妻詩織の友人
SNSグループのメンバー、見合いでお世話になった松宮
翔子らだ。見舞客が多いのに部屋でニアミス(近距離接近)
した事は1度もない、日/30人 信じがたい事である。
部屋を訪れる客の中には面識もない者もいたし見舞いの
品も持ってこない者もいた。幸子は嫌な顔を見せずいつも
笑顔で迎え入れ退出の時は感謝の言葉を告げる。
ダークブラウンで統一された家具、小奇麗な明るい
部屋でデスクトップパソコンに向かいキーボードを叩く
40代半ばの女性がいた。
「はいリラです、ああパブロフ32さん。」
「水曜日の17時~19時の間なら空いてますよ」
「その前は生憎と親戚の方がお見えになられるので」
「ではそういうことで」
携帯電話を切るとパソコン画面に映るオフィスソフト
エクセルを編集して打ち込んでいく。あまりに多い
見舞客の対策としてリラが考えたのが見舞い計画
書の作成であった。神の奇跡、偶然などあり得ない
リラや仲間達の努力の賜物(たまもの)である。
リラのSNSグループのほか、みんカラ(車のSNS)
FB(フェイスブック)、ヤマケイ(登山のコミュニティ)
2輪のSNSにまで関連グループが波及し現在
メンバー数は総勢2000人を超えていた。
見舞客は朝9時から夜19時までが病院の定めた
ルールである、だが訪れる人は・・・
夜22時、病院の消灯時間は過ぎ病院内は静けさ
を取り戻す、秀一郎も付き添いの幸子も寝ている。
ドアが静かに開き再び閉まる。だが足音はない
白いモヤが人状になっていく、それが3体
やがて目鼻顔立ちが現れてきた、幽霊である。
「先般は有難うございました」
「おかげで成仏でき感謝しています」
秀一郎の痩せ細った姿を目のあたりにして涙流す
幽霊たちはゆっくり姿を消していった。
以前秀一郎が無念をはらしてあげたのだろう。
そういう霊がたくさんおり夜は霊からの見舞い時刻
となっている。
秀一郎は眠っていた、かれは夢をみていた。
彼の前には5才ほどの少女が声をかけている。
少女は”シユウちゃん”と秀一郎を呼ぶ
少女を見る秀一郎の目線は少女と同じ位か
夢の中では少女の事を知っているようで親しく
話している。
「シユウちゃん、待ってるよ」
そこで秀一郎は目覚めた。少女に心当たりは
あるものの名前がどうしてもわからない。幼いころ
一緒によく遊んだ記憶だけが残る。
この夢がなにを語っているのか、確かな事それは
あの世で秀一郎を待っている者がいること。
視線を移すとベッドの布団に顔を乗せて眠る幸子
の姿、熱いものが込上げる感覚を覚えた。
数日後、病室で秀一郎と幸子の結婚式がとりおこなわ
れた、親族ごく親しいものだけによる細やかな式。
つきあいのあるイエズス会に所属する牧師を招いた
正式な結婚式で幸子が用意した結婚指輪もある。
誓いの言葉をお互いが言ったところで秀一郎の容態は
急変し息も荒々しくなる、それでも震える手で幸子の
薬指に指輪を嵌めようとするが指が思い通りに動かない
「がんばって」
傍目からみても幸子は涙を流さないように我慢している
のがわかり両親は目頭を押さえずにはいられなかった
だが涙は流さない、泣かないと決めた幸子の想いに
応えるように。
指輪の交換が終わったところで途切れ途切れになりなが
ら秀一郎は必死で言葉を発した。
「と、とう さん。かぁ さ ん」
「喋るな秀一郎」
「めん・どう・・を・みる・・・・事ができ・・ない、ご・・めん」
そして秀一郎は息絶え人生を終えた。
病室内には誰も涙を流さない、だが幸子は天井の方で
‘しくしくしく”と女性が泣いてるのを聞いた。
いや気がした。
Fin
この物語はフィクションであり実在の人物、団体には
一切関係ありません