秀一郎と幸子が帰宅すると待っていたのは母を含めた4人。
深夜、幸子の部屋で祝いの宴会を催したのであるが
同時刻 桐生家の寝室では胸を押さえ母 裕子は苦しそうに
寝返りを打っていた。
だが突然ではない、以前から母親 裕子は夜になると発作のように
胸が痛みだし朝になると痛みは消える。
裕子は年齢による病気だからと諦めていたのだが・・・・
夫である登美男も知らないのだからまして秀一郎や光男が
知る由もない。
母の隠れた病気を知らないままに婚約祝賀会の計画を練る
笑顔の秀一郎と幸子、長かった独身生活にピリオドを打つ兄
を心から喜ぶ弟 光男と妻 詩織そして幸子の母 芳江は
こんなに幸せな事はないと浮かれていた。
季節は冬の寒さを忘れたかのように咲く梅の花と美しい声を
奏でるウグイスやメジロ達。
穏やかな暖かい日が訪れるようになった3月初旬のことだった。
桐生家の庭は梅の花によってピンク一色で彩どられ太陽の
日差しが心地よい穏やかな土曜日の朝。
朝から桐生家のキッチンは慌しい
母 裕子と次男の嫁 詩織はエプロンをつけて料理の下ごしらえ
で忙しく動き回っていた。秀一郎と光男は買出しに出かけていた
為に家にはいない。
今日は桐生家で秀一郎と幸子の婚約祝賀会がはじまるのだ。
「おかぁさま、煮物味付けこれでどうでしょうか?」
「うん、おいしいわ」
古い家だというのにキッチンだけは新しい、3バーナーを装備した
近代的なシステムキッチンを備える桐生家の台所では
戦場で戦う兵士のように女性二人は奮闘していた。
「やはりお寿司は頼んだほうがいいですよねぇ」
「そうねぇ、9人前だと大変な出費だから宅配寿司にしよう」
「オードブルは光男たちに頼んだからいいとしてご飯は
やはり炊いたほうがいいかしらね?」
「いえおかぁさま、お寿司頼んだからご飯よりもお蕎麦のほうが
いいと思います。炊かなくてもいいのでは?」
9人前の料理を二人で作るのは大変な作業、はし18本
お椀9個さらに大中小の皿、調味料、コップをテーブルに並べ
なければならない。
買出しから帰ってきた秀一郎と光男は車から大量の食材
オードブルと日本酒、ワインのビンを数本をキッチンに運び
それが終わると人数分の食器を並べなければならなかった。
父親の登美男はどうしたのかと言えば古い男尊女卑世代で
ある父は準備を手伝うことはなく一人庭で植木の手入れを
していた。
今の人が見たら
”何もこんなときにしなくてもいいのに”
と思うことだろう。
登美男もそんなことは百も承知だった
今の時代の夫婦のあり方と違い昔の夫婦はお互いに役目を
持っていた。男は外に出て働き家族を守るもの、女は家を守るもの
お互いがそれぞれの領分を理解し介入しない。
そうしてバランスをとっていたのが昔の夫婦であった。
9人分の食事の用意、大変だということは母 裕子にも
わかっていたことで相手側の広瀬芳江もそれは予想していた
予想できたからこそ手伝いの申し出を述べたのであるが
それを丁重に断ったのは裕子である。
”お客様だから”と
桐生家台所の主として意地と誇りが裕子にもあったのかもしれない
普段あまり大勢の来客などない桐生家、来ても近所にある農家の
人たち数人だけ。そんな家だから嫁候補とその両親が訪れるので
現状維持というわけにはいかない。
ただでさ料理つくりに忙しい、それでも家の片付けと掃除は別。
12月の師走でもないのに箪笥などの家具や電化製品を動かし
その姿はまるで大掃除をしているようだった。
婚約祝賀会の予定は事前に聞いていたので前もってやっておけば
いいのに当日に行うそれが桐生家の血筋だった。
あと数時間で訪問客がやってくるというのに・・・・
「こんにちわぁ」
「あ!!」
屋外に出された家具類、マスクと頭巾をし作業服姿の光男と秀一郎
そして父 登美男は予想外の訪問者に驚いていた。
玄関先にいたのは本日主役のひとりとなる当事者幸子だった。
「皆さん、一体これは?」
「いやぁ~大掃除したほうがいいかなと思ってね」
見られていけない物を見られ照れながら言う父 登美男。
世間の一般常識でいえばテーブルには既に料理が置かれ準備は
整っているだろう、まして今日は当日である。
それが・・・・・・・テーブルはおろか居間はすべて外に運び出され
まるで引越し作業中の新居状態にある何もない部屋の如くガラリと
した部屋。
普通の女性なら当日に大掃除する一家にあきれ返る事であるが
幸子は一風変わっており多少天然ボケも入っていたのでスンナリ
受け入れ掃除の仲間に加わった。
当然、清楚なワンピース姿で来ていたのだがどういうわけか
持ってきたバッグの中にジャージが入っていた。
調理に忙しく居間で大掃除をしていたなどと夢にも思っていない
詩織と母 裕子。
出来上がった料理を盛り付けしラップをかけテーブルに置こうと
やってきた弟の妻 詩織は居間を見て愕然とした。
ある筈のテーブルがない!
「なによ、これ~~」
そしてふと横を見るとマスクと頭巾をかぶった幸子を見つけた
「さ、、幸子さん?」
幸子は会釈をする。
「おかぁ~~さぁ~~ん、大変です。ちょっとこっちへ」
詩織の叫び声に母 裕子は手を止めて居間に急いで着てみると
居間のすっかり変わっていた姿とそして掃除をする幸子に
怒りが爆発した。
「お客様になんてことさせてるの?秀一郎ーー」
「あなた~!!光男!!なんで大掃除なんか今頃してるのぉ」
「こんなことしてたら夜中になっちゃうじゃない!今すぐ元通りに
して!!」
これから嫁となるのだから手伝いたかった幸子を制止、まだ
結婚前だったので客として待っていて欲しい母の心情だった
居間を元通りにしてテーブルには多数の皿が置かれ宅配寿司
も届き祝賀会の準備は大方できた。
居間では秀一郎と幸子、父 登美男、弟 光男はテレビを見て
歓談していると幸子の両親 広瀬夫妻は到着した。
母 裕子と弟の嫁 詩織も一旦準備をやめて挨拶に向かい
一同揃ったところで挨拶。
秀一郎と幸子二人を中央にそれを両家で挟む形で着座、
それから10分経過後 見合い担当の松宮祥子が現れた
婚約式ではなく婚約祝賀会であるので堅苦しい流儀は
行われないが祝いのプレゼントは渡された。
父母から弟夫妻からそして弟夫妻の同僚たちから
幸子の仕事関係からと多数のプレゼントが届けられ床の間
を占拠する。
弟 光男と妻の詩織だけは幸子と幸子の両親に会うのは
はじめてだったので全員の自己紹介をやる事になり一旦
キッチンを離れ居間にやってきた母 裕子ではあるが
そのまま居間にいる事はできない、それは裕子の性分だった
「かぁさん、もういいから座れば?」
秀一郎と光男は動き回る母を心配して言葉をかけるのだが
「おいしい ぬか漬けの白菜を食べて貰いたいから」
そう言うと裕子は再び居間から出て裏の小屋に向かう。
祝賀会は大いに盛り上がり飲んだワインや日本酒の
アルコールで頬を染め顔は赤くなる。普通の会社と
違い弟は国税局、嫁 詩織は検事という仕事柄
話題には尽きなかったので話に熱中してしまう。
だが・・・・その頃、小屋へ白菜をぬか床から取り出して
いた母 裕子は突然胸の痛みを感じ小屋の床で倒れこん
でしまう。倒れながら 意識が次第に遠のいていく裕子。
「やっと息子に嫁が見つかった・・・・・・のに。」
それだけ言うと意識は消えた。
つづく
この物語はフィクションであり実在の人物とは一切
関係ありません