ディック・フライ/O Fortuna(Apocalypse Chorus Mix)
ディック・フライは、リングス参戦時代に5回ものテーマ曲を変更したと記録があるが、中でも前項の初代テーマ曲「ヘル・ドライブ」と3代目のこの1曲、アポテオーシスの「オ・フォルトゥナ(Apocalyse Chorus Mix)」が、自分はお気に入りで、且つ入手にも手間取った思い出のテーマ曲。この曲の原曲は、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」の「おお、運命の女神よ(合唱) O Fortuna (Chorus)」をテクノ風にアレンジした曲で、シングルや複数のコンピレーションアルバムに収録されていたが、著作権等の理由により、シングルは廃盤、コンピレーションアルバムは、差換えになったり、ジャケットの表記が変わったりした曰くつきの曲。自分が初めてこの曲が収録されたCDを購入できたのは、1998年シドニー赴任時に、会社近くのHMVショップにて、「X-STATIC Vol. 4/ RADIKAL TECHNO」というコンピレーションアルバム。実際の会場使用曲では、この曲にDJの掛け声やサイレンが挿入されており、当初は編集曲として存在するものと思われていた曲が、後年、この音声も挿入されたCD「Turn Up The Bass House Party II - The Ultimate Megamix」も発売されていたことが判明、無事入手!このテーマ曲の探究詳細に関しては、「FIGHTING NETWORK RINGS」さんのサイトで解説されている。(凄いリサーチ!こういうの自分も大好きです!!)Apotheosisは、Luc Rigaux & Patrick Samoyからなるベルギー出身のテクノグループである。彼らは、古典的作品「カルミナ・ブラーナ」元々カール・オルフ作曲をサンプリングしたこの曲を、1991年初のシングルとしてリリースした。アンダーグラウンドでヒットしたこの曲は、フォルトゥナと呼ばれる別のテクノのバージョンも作り、この両曲は、すぐにヨーロッパでもクラブチャート入りした。しかしながら、カール・オルフの権利財団が、著作権違反を理由にレコード配信差し止め申請を行い、最終的にこの判断に従うことになった。カルミナ・ブラーナ(ラテン語: Carmina Burana)は19世紀初めにドイツ南部、バイエルン選帝侯領にあるベネディクト会のボイレン修道院(ベネディクトボイエルン: Benediktbeuern)で発見された詩歌集。カール・オルフがこれに基づいて作曲した同名の世俗カンタータがある。カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」は、舞台形式によるカンタータであり、『楽器群と魔術的な場面を伴って歌われる、独唱と合唱の為の世俗的歌曲 (Cantiones profanæ cantoribus et choris cantandæ comitantibus instrumentis atque imaginibus magicis,英訳例:Secular songs for singers and choruses to be sung together with instruments and magic images)』という副題が付いている。オルフは前記の詩歌集から24篇を選び(内1曲はオルフの自作)、曲を付けた。「初春に」「酒場で」「愛の誘い」の3部から成り、その前後に序とエピローグがつく。1936年に完成し、翌1937年7月8日にフランクフルトのフランクフルト歌劇場で初演され。全世界に名前を知られるようになった。混声合唱、少年合唱、ソプラノ・テノール・バリトンのソリスト、大規模なオーケストラという大きな編成である。酒や男女の睦み合いなどを歌った詞に、シンプルな和音及び強烈なリズムが特徴。20世紀を代表する楽曲である。歌詞は主にラテン語であるが、ドイツ式、イタリア式といった発音に関してはオルフは特にこだわっておらず、両方で演奏されている(一部の歌詞は中高ドイツ語や古フランス語が用いられている)。なお、副題にあるように本来は独唱者、バレエが音楽を象徴的に表現する舞台作品であり、バレエによる舞踊を伴わない演奏会形式は略式の演奏となる。しばしば歌劇場ではバレエを伴って舞台上演される。オルフは後に『カトゥーリ・カルミナ(英語版、ドイツ語版、イタリア語版)』(1943年)、『アフロディーテの勝利(英語版、ドイツ語版)』(1950年 - 1951年)を書き上げ、これらを3部作『トリオンフィ』(Trionfi、勝利)としてまとめることになる。演奏は約1時間。ピアノと打楽器や吹奏楽と合唱、抜粋で演奏されることも多い上、合唱と共に弦楽器は調的な繰り返しが多く容易なので大学オケなどのアマチュア団体にも可能である。§ 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ) FORTUNA IMPERATRIX MUNDI おお、運命の女神よ(合唱) O Fortuna (Chorus) 運命の女神の痛手を(合唱) Fortune plango vulnera (Chorus)§ 第1部: 初春に 1. PRIMO VERE 春の愉しい面ざしが(小合唱) Veris leta facies (Small Chorus) 万物を太陽は整えおさめる(バリトン独唱) Omnia sol temperat (Baritone Solo) 見よ、今は楽しい(合唱) Ecce gratum (Chorus)§ 芝生の上で UF DEM ANGER 踊り(オーケストラ) Dance (Orchestra) 森は花咲き繁る(合唱と小合唱) Flore silva (Chorus & Small Chorus) 小間物屋さん、色紅を下さい(2人のソプラノと合唱) Chramer, gip die varwe mir (Sopranos & Chorus) 円舞曲: ここで輪を描いて回るもの(合唱) - おいで、おいで、私の友だち(小合唱) Reie: Swaz Hie gat umbe (Chorus) - Chume, chum, geselle min (Small Chorus) たとえこの世界がみな(合唱) Were diu werlt alle min (Chorus)§ 第2部: 酒場で 2. IN TABERNA 胸のうちは、抑えようもない(バリトン独唱) Estuans Interius (Baritone Solo) 昔は湖に住まっていた(テノール独唱と男声合唱) Olim lacus colueram (Tenor Solo & Male Chorus) わしは僧院長さまだぞ(バリトン独唱と男声合唱) Ego sum abbas (Baritone Solo & Male Chorus) 酒場に私がいるときにゃ(男声合唱) In taberna quando sumus (Male Chorus)§ 第3部: 愛の誘い 3. COUR D'AMOURS 愛神はどこもかしこも飛び回る(ソプラノ独唱と少年合唱) Amor volat undique (Soprano Solo & Boy's Chorus) 昼間も夜も、何もかもが(バリトン独唱) Dies, nox et omnia (Baritone Solo) 少女が立っていた(ソプラノ独唱) Stetit puella (Soprano Solo) 私の胸をめぐっては(バリトン独唱と合唱) Circa mea pectora (Baritone Solo & Chorus) もし若者が乙女と一緒に(3人のテノール、バリトン、2人のバス) Si puer cum puellula (3 Tenors, Baritone, 2 Basses) おいで、おいで、さあきておくれ(二重合唱) Veni, veni, venias (Double Chorus) 天秤棒に心をかけて(ソプラノ独唱) In trutina (Soprano Solo) 今こそ愉悦の季節(ソプラノ独唱、バリトン独唱、合唱と少年合唱) Tempus est iocundum (Soprano, Baritone, Chorus & Boy's Chorus) とても、いとしいお方(ソプラノ独唱) Dilcissime (Soprano Solo)§ 白い花とヘレナ BLANZIFLOR ET HELENA アヴェ、この上なく姿美しい女(合唱) Ave formosissima (Chorus)§ 全世界の支配者なる運命の女神 FORTUNA IMPERATRIX MUNDI おお、運命の女神よ(合唱) O Fortuna (Chorus): 冒頭の曲を再び最後に持ってきている。カール・オルフ(Carl Orff、1895年7月10日 - 1982年3月29日)は、ドイツの作曲家。ミュンヘンに生まれ、同地で没した。カール・オルフは作曲家としてジャンルを特定させない特異性を持っていた。彼の作風は独自のジャンルを作り出しているからである。オルフ自身は、自分の音楽劇を、しばしば『世界劇』(„Welttheater“又は „Theatrum Mundi“) と呼んでいた。1937年6月8日、フランクフルト・アム・マインの市立劇場で初演された「カルミナ・ブラーナ」 (Carmina Burana) は大成功を修めドイツ各都市で上演された。しかし、第2次世界大戦の勃発によってドイツと他国との文化の交流が断絶したため、カール・オルフの名は同世代のイベール (1890-1962)、プロコフィエフ (1891-1953)、オネゲル (1892-1955)、ミヨー (1892-1974)、ヒンデミット (1895-1963) 等よりも国外で知られるようになるのは遅かった。結局国際的に名が知られるようになったのは1954年で、オルフが59歳頃でレコード化された後である。カルミナ・ブラーナの成功によって自信を得たオルフは、出版社ショットに寄せた手紙の中で、「今までの作品すべて破棄して欲しい。と言うのは私にとってカルミナ・ブラーナが本当の出発点になるからである」と記している。■ディック・フライ(Apotheosis - O Fortuna "Apocalypse Chorus Mix"※DJ無しバージョン)■Turn Up The Bass - House Party 2https://www.youtube.com/watch?v=XMO6tRFIOac