オハグロトンボがやってきた | いるぴょん たんしむ

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いるぴょんたんしむは韓国語で一筋ひとすじですという意味
2019.12~引っ越しした別府温泉にドハマリ中
2020.10末に大きさ5㎝の子宮体癌発覚!11月全摘手術1a期G2
12月~TC療法抗がん剤4回投与後経過観察中
☆充電期間は湯治のように温泉楽しでるまーぼう丼の日記です☆

すご~くお久しぶりのブログです

 

毎日毎日暑いですが

先日暑い中

お仕事中にドアを開けていたところ

黒くてヒラヒラしたものが入ってきた

 

蝶々か!?

黒い羽根を持ってたのが

私に向かってきてたけど

その後パソコンに停まって

羽を開いたり閉じたり

こんなの初めてみたよ~

 

 

 

ちょうど来ていた友人が

「オハグロトンボ 珍しいね」って

 

トンボなんだ

 

すごくきれいなトンボで

何度も羽を開閉する姿に見惚れていました

 

 

友人が

「義母さんが来たのかもよ~」って

 

昨年秋に大腸がん末期と診断された義母が

7月20日に亡くなって

葬儀を終えて2日後のこと

ちょうど義母の話をしていた時にやってきた

オハグロトンボ

 

検索してみると

「神様トンボ」とか「極楽トンボ」とも言われているそうな

 

ハグロトンボは神様トンボ、極楽トンボ、仏トンボなどの別名があります。

羽を閉じたり開いたりする姿が人が手を合わせて神様に祈る姿に似ているということから、

黒いトンボは神様の使いとして昔から大事にされてきたようです。

また、お盆の時期によく見かけるため「ご先祖様の魂がトンボとして帰ってきた」とも言われてきたようです。

 

神様の使いなの!?

義母さん初七日もまだなのに

来るのはちょっと早いんじゃないか~

 

義母は病気発覚してから

病院も薬も嫌だと

ずっと自宅療養でした

定期的に終末医療の先生が往診に来てくれて

検査は血液検査だけ

CTもMRIも撮ってないので

実際どんな症状だったかは

先生のお見立てだけでしたが

「年を越せるかどうか?」

「桜が見れるかどうか?」

「5月末までもつかどうか?」

そう言われながらも

7月の誕生日を超えて

86歳

その5日後に亡くなった

 

酷い貧血でしたが

輸血も点滴も嫌で

とにかく食べないと生きていられないからね

 

食べれるものは限られてましたが

6月までは

「ポテトサラダのキュウリやタケノコご飯のシャキシャキが美味しい」と

言ってたのが

6月中旬からは

歯ごたえあるものがダメになり

離乳食のようなものしか食べられなくなった

スイカや氷やプリン

 

義母誕生日の時のケーキとプリン
 

それも食べれなくなって

水も飲み込みにくくなって数日後でした

 

必死でトイレまで手すりをつたって

自分で歩いてトイレも出来てたのが

6月中旬から寝たきりになり

ついにオムツ

義父がお世話してみたけど老々介護は無理で

訪問介護の方にお世話になって

義母が自分で出来る事が減っていって

 

もういつお迎えがきてもおかしくない状況でしたが

本人はその自覚はあまりなかった様子

最後のお別れのような態度はなかったみたいです

 

最後まで自宅で

義母のわがままを何でも聞いてあげてた義父と

時々はわがままを諭していた旦那(息子長男)と

7月中旬に戻ってきてた義弟(次男)の

3人に看取られながら静かに息を引き取って

義母は幸せだったはずだけど

それがわかっていたかどうか

やってもらうことが当たり前と思ってたんじゃないかなと

言葉も態度もなかったのでわからないみたい

 

葬儀の心構えはしていて

男子3人が協力していろいろ決めて

私は居るだけで良かったので楽でした
 

お通夜で葬儀場に泊った夜

急に背中が痛くなってきて

寝返り打てず

歩くことも支障あるくらいヨチヨチ歩きになってしまった私!

このままだったらどうしようと思ったけど

葬儀終わった夜には背中痛は治ったの!

義母が「背中が痛い痛い」と言ってたことを思い出した

 

そういえば

亡くなって数時間後に

お寺の住職さんが枕経あげに来てくれた時に

玄関から一緒に

アブが入ってきて

義母寝てる部屋に一目散に飛んで

上の蛍光灯に一晩中停まってたんです

 

 

 

「アブなんて珍しいね」

お世話になったおばちゃんに会いたいと言ってたから

もしかしたらおばちゃんが来たのかな?

とも家族は言ってました

 

アブやトンボや

虫が魂を運んでくることは

迷信なのかもしれないけど

そんなこともあるのかもしれないですよねキラキラ

 

自宅で亡くなり

お通夜から葬儀の流れは

家族みんな初めてのことだったのですが

母の身内とご近所さんが少し来るだけの

小さいお式は滞りなく終わり

初七日も終わって

明日はニ七日

四十九日が9月なので

初盆は来年の8月なんだって

 

義母の介護が趣味だったかも?な位に

他に趣味がない義父は

しっかりしてたけど義母亡くなってからは

ボケてきてて

1人は心配だからと旦那はほぼ毎日

実家に通って

私は週2日くらいかな一緒に行ってます

 

5年前に早期退社して

愛知県から大分県に戻ってきた旦那の理由が

「親が元気なうちに戻って来たい」

 

帰ってすぐにコロナ期間

そして義母の体調悪くなる期間も増えて

結局介護の為に早く帰って来てたのか

だけど

60歳定年まで勤めて帰っていたなら

こんな風に後悔なく介護してあげることは

出来なかったから

ヨシなんじゃないかな

 

ブログ書いてない間に

ずっと忙しかったのでもなく

時間がある時は

ダラダラ寝そべって

テレビ観てたりすると時間はあっという間に過ぎていく

 

ブログはやっぱり習慣にしないと書けないね

自分にとって特別なことがあるとか

旅をするとか

ブログは自分への記録とも思っているので

空白期間が残念

短くても時々は記録しよう

 

つい最近作って食べた昼ご飯

コンクッス(豆乳麺)
 
韓国でこの季節しか食べれない
行って食べたいけど今は行けないから作るよ
豆乳・豆腐・ゴマ・クルミ・ナッツと
昆布出汁をミキサーで混ぜたスープ
麺はひやむぎ
それなりに美味しく出来た~
「今度父ちゃんにも作ってあげて」と旦那
 
義母のことがあって
いつまた韓国行けるようになるか
わからなかったので
6月にパスポート更新しなかったから
パスポート無しなのが久々です
だからいつでもすぐには飛べないけどね
秋頃には申請しよう

亡くなった時の銀行口座凍結の為に
遡って詳しく書いてある
戸籍謄本が必要で
義母の両親から
私たち息子世代までの
ファミリーヒストリーのような😁
市役所でもらってきたのを見せてもらうと
義母の生まれた場所が
全羅北道長水郡
全州から鎮安の馬耳山に行ったことあるんですが
そのもう少し先にある
長水郡

その後
引っ越して
益山郡裡里

終戦で山口県に引き揚げて来るまでの地名がこの謄本で分かった
義母は
「リリー」って所に住んでたと
どこだろう?って思ってた
漢字で見て初めて
群山近くにある町だと分かった

群山は行ったことあって
日本家屋も残ってる町だったよ
リリーと行ってたのは

裡里イリで
今は益山市と統合してるみたい

今度行ってみたい町が出来たよ
久々に韓国地方旅したくなった

免許更新も5年ぶりにあって
免許センターなら当日交付だけど
市の警察署に申請したら
講習の日が約1カ月後で免許もその時だと
 
その日が義母の初七日と被ってしまった!
免許優先していいと言われて行ってきた
愛知県の住所が記載されていたので
記念に古い免許ももらってきたよ
青の5年だった免許証が
大分県発行のゴールド免許になりました