『創造の意味』より;人間=ミクロコスモスとマクロコスモス(5) | ベルジャーエフ『創造の意味』ノート

ベルジャーエフ『創造の意味』ノート

ベルジャーエフ論のメモですが、管理人は自分の生きる道として、「秘儀参入のタロット」を揺るぎなく確立しており、あくまでもその立場から捉えるベルジャーエフ論であることをお断りしておきます。

ーーーーさて、ここから「占星術」とミクロコスモスとの問題を少し取り上げて見いたい。

 

占星術とコスモスとしての人間

 

テキスト

(p.69)

 人間は宇宙の細片・破片ではなく、全き小宇宙であり、大宇宙のすべての質を自らの内に包含しており、自らを大宇宙に刻みつけ、また大宇宙を自らに刻み込む。神秘主義者たちの心理学は、常にコスミックである。例えば、この心理学にとって怒りとは、人間の魂の衝動であるばかりか、コスモスの衝動でもある。

 神秘主義者たちにあって特徴的なのは、「精神的物質主義」である。人間と人間の運命の内にはコスモスの全成層が、全天球が刻み込まれており、人間がその本性からしてコスミックな存在であるという彼らの深い確信の内に、占星術の不滅の真理がある。

 

(p.70)

 占星術は、人間とコスモスの切り離し得ない絆を見抜くことで真理への道を押し開いたが、この真理は天を知らぬ人間学にも、人間を知らぬ天文学にも、到達不可能なものである。・・・人間は自らの内にコスモスのあらゆる次元を包含し、自らの内で全宇宙を生き尽くすのだ。

 

 

コメント

――――占星術は、人間とコスモスの切り離し得ない絆を見抜くことで真理への道を押し開いた。→→→これは人間とマクロコスモスとの関係を言い、「ミクロコスモスとしての人間」を明らかにすることである。そして、「ミクロコスモスとしての人間」を明らかにできるのは、ミクロテウス(神の子)になった人間である。ミクロテウスは、絶対的人間キリストと結合した、秘儀参入者のことである。そこにおいて、初めて「人間は実在の中心である」ことを知る哲学が成り立つ。

 

 そしてベルジャーエフが言う、「人間の内に、公認の科学や卑近な日常意識の知らない、隠れたコスミックな力が潜んでいること」が開示される。

 

 そして、「神秘思想の不滅の真実」から逃れるには、虚無の内へ逃避するしかない。

 

 

 

 

天上のアダムと地上のアダム

 

テキスト

(p.71)

 カバラの『ゾハールの書』には、こう言われる;「人間は世界創造の総計であると同時に、その頂点である。人間が7日目に創られたのはそのためである。人間が出現するや、高次の世界も低次の世界も、一切は完結した。なぜなら一切は人間の内に含まれており、人間はすべてのかたちを合体させているのであるから」と。

 

 「人間とは、絶対的存在をも包含する普遍的存在、世界の似姿であるばかりではない。人間はまた、とりわけ神の似姿であり、この神とは、人間の限りない属性の総体である。人間は、地上における神の現存である。

 人間とは天上のアダムであり、このアダムは原初の至高の闇から立ち現れて、この地上のアダムを創る」。

 

 

コメント

――――人間は、“地上における神の現存である”と言う見識は、極めて深い。この人間は、「神の似姿としての人間」でなければならない。これは、キリストと合体した人間のことである。それは「天上のアダム」であり、ーーーーこのアダムは原初の闇から立ち現れて―――これは罪に死に、そこから復活したキリストのことである。われわれの求道によれば、このキリストは、「タロットの霊」によって探求者と結び合わされ、地上のアダムとなる。そしてこれは、新たなアイオーンの創造者となる。

 

 

テキスト

(p.71)

 天上の人間の奥義は内にある。地上の人間同様、天上のアダムとは内なるアダムであり、地上で成就するすべてのことは天上でも成就する。

 

 

コメント

――――ここで言う人間とは、「復活のキリストと合体した人間」、すなわち「秘儀参入者」のことである。だから、彼が地上で成就するすべてのことは、天上でも成就する。

 

 

 

神の子キリストと結合した人間=秘儀参入者

コメント

――――さらに彼はベーメの『アウローラ』から引用して、次のように語る;

テキストの(p.76~77)からの引用;

 人間は世界創造を締め括る被造物であり、それゆえ天使たちよりも高い。神は悪魔にとっても神であり、全被造物の創造主である。しかし、人間の内においてのみ神は父であり、あるいは父たらんと欲する。神は人間を堕罪から救うために、天使ではなく人間になった。神は自らの心臓たるイエスを人々のもとへ遣わし、彼らを子として迎え容れようと手を差し伸べた。人間にはキリストを通してのみ、全被造物の頂点としての自らの真の使命を実現する力が与えられている。

 

ーーーーそして彼は、「ベーメの思惟の歩みはまったく非合理的であり、推論的ではなく、天上の和音のように、特殊な聴覚によってのみ感受されうる。」と述べる。つまり、これを述べるのは独断的哲学によってであり、天上の和音のようにキリストと心を通わせていなくてはーーーつまりわれわれの探求では、「タロットの霊」の中で呼吸していなくては、ーーーこれを感受して理解することはできないのである。

 

 そして「タロットの霊」の内にあってキリストと共に生きるなら、全被造物の頂点としての自らの真の使命を実現する力が与えられる。

 

 

テキスト

(p.77)

 小なる神(ミクロテウス)となるべきであった人間は、小なる世界(ミクロコスモス)となったが、それでも、ミクロテウスとなるべき使命と義務を喪失したわけではない。

 人間は全宇宙の中心であり、精髄であり、理想であり、焦点である。人間の外なるすべては創造者の四散した四肢に過ぎないが、人間の内ではすべてがこの上なく美しい和声へと、ミクロコスモスへと組み合わされている。人間とは、すべてにかかわり、すべてを楽しみ、すべてを摂取する普遍的感覚中枢といったものである。人間の個々の能力はどれをとっても、その内に完き世界を胚芽の形で含んでいる。

 すべての精神的なものとすべての感覚的なものの諸法則が、人間自身の諸法則に根ざしているという意味で、人間はその二元的本性によって真理そのものの鏡であり、その限りにおいて人間は神的本性に由来している。

 人間の内なる真に善き意志とは、彼の内なるキリストである。

 

 

コメント

ーーーーわれわれの探求によるタロットの「#20. Aeon アイオーン」とは、「タロットの霊」の内においてのみ生きるようになることである。その生き方だけが、ミクロテウスとなった人生である。その存在からだけ、全被造物の頂点としての、自らの真の使命を実現する力が与えられる。

 

 人間が動物的状態から高まってきたという「自然進化」と、「神的進化」との違いを、われわれは混同してはならない。

 

 人間の足下には運命が、つまり必然的な、自然に支配される本性があり、人間の頭上には摂理が、つまり自由な、自然を支配する本性がある。ーーー神秘思想家ファーブル・ドリヴェ。

 

 

テキスト

(p.82)

 しかし人間が新たな人間、精神的な不死不滅となった暁には、神の命に従い人間に仕え働いた全被造物もまた、人間と共に新たになり、不死にして、言うならば精神的存在となるであろう。ーーー新神学思想家シメオンの言葉。

 

 人間によるその尊厳の回復は、「絶対的人間たる神の子の世界への出現」を通して、つまり神の藉身(せきしん)を通してのみ成し得た。

 

ーーーーさらに彼の人間論は、以下に述べることにおいて絶頂に達する;

 

 

テキスト

(p.84)

 神=人的ヒエラルキーの再興は、神の子の藉身(せきしん)を通して、神の藉身、つまり絶対的・神的人間の、世界への出現を通してなされる。世界における人間の帝王としての地位は、神人によって堅固なものとなり、堕天使の原理は敗北する。

 新たなアダム(復活のキリスト)は、楽園における原初のアダムよりも、(コスモスの創造的発展の)より高次の段階として現れる。

 

 キリストを通じて新たな精神的人間へと蘇生したアダム(*われわれの探求では「秘儀参入者」)は、もはや受動的な打ちのめされた盲人ではなく、慧眼(けいがん)な創造者、神の子にして父の事業の継承者である。