マーヒーです♪

 

いつも私のブログに訪れてくださり、

ありがとうございます☆彡^^

 

初めて私のブログに訪れてくださったお方は、

まずは、私のプロフィールをお読みになって

いただきたいです。m(__)m

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 あなたの親子関係修復のヒントが

 見つかるかもしれませんょ~♪

 なぜならば、私のプロフィールでは

 私自身のズタボロだった親子関係を

 なんとか修復した実体験を包み隠さずに

 お届けしているからです...。

 お役に立てれば幸いです。

 

 

いやぁ~、2024年、、

今日は1月2日ですよ、、、

 

昨日1月1日の元日は、

北陸地方の震度7超の

大地震が発生し、

そして、、

今日1月2日は、

輸送機とJAL旅客機の

大事故が起きてしました。

 

JALの300名を超えた方々は、

1名の死者も出さず脱出できたようですが、

輸送機側は機長が重症、

その他のスタッフ5名は全員お亡くなりに

なってしまいました。

 

この輸送機は、

実は昨日の北陸地震への物資輸送のために

羽田空港を飛び立とうとしていたとのこと。

 

無念でなりません。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

気を取り直して

私の連載ストーリー第2話を

お届けしたいと思います。

 

 

その前に、
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《連載ストーリー》
親子の絆☆最強伝説

 

    
連載ストーリーの目次はコチラ

 

前回までのあらすじ:


私が29歳の頃に
第一子が誕生したお話を
お届けしました。
一人っ子だった私は、
我が子をまるで兄弟のように
捉えていたこともあり、
喜びは言葉で表すことが難しい位に
大きかった記憶があります。

 

   【絆物語-第02話】(辛い過去の回想)我が子誕生の裏側で起きていた事実

 

第一子を授かったのは、
私が29歳、妻が33歳の頃でした。

私は20歳の頃に

結婚していますので、
9年の歳月を経て我が子を

授かったわけですが、
実は私達夫婦は、
その2年前にも

子供を授かる機会を得ていました。
私が27歳の頃です。

27歳の頃の私は、
派遣会社から

プログラム開発会社へ転職をし、
その会社である程度の

地位を築けていました。

そこの会社の支社ではあったのですが、
No.2のポジションに就いており、
そこそこの社会人としての信頼を

獲得できていました。
給料も年相応の年収以上のものを

得ていました。

そこで、妻と相談をして、
いよいよ子供を作ろうと

いう話になったのです。


そして、無事に妻は妊娠。


ところが、、


私達夫婦は、
その子を

流産してしまったのです。


流産の原因は、
様々だと思います。

お互いの
日々の健康管理や、
ストレス軽減 等々
様々なことが出来ていなかったと
考えられたことでしょう。

ただ、
私は一つだけ
自分自身に

思い当たる節がありました。

妊娠している
可能性のある妻を
当時、私が大切にしていた
バイクの後ろに乗せて
ちょっとしたツーリングを

妻と楽しんでしまったのです。


「え?そんなことで流産しないでしょ?」


と、あなたは思われるかもしれません...。

この時に乗っていた私のバイクは、
ヤマハの単気筒の大型バイクでして
とにかく振動が激しかったのです。

この振動が、
私個人的にはとても心地良く
いつもは一人で

バイクにまたがっていたのに、
ある日に限って、
季節が冬から春を迎え
天気の良さが相まって
妻をバイクの後ろに乗せて
近場までツーリングに
行きたくなったのです。

2人で軽快に街中を走り抜けて
気持ちよく当時住んでいた
アパートに戻りました。

その後、
暫く経ってから
妻の様子が
いつもと変わってきて


「もしかしたら
 妊娠しているのかも?」



と言われて、
近くの産婦人科へ
妻を連れて行ったのです。


そこで妊娠が発覚し、
2人で手を取り合って
喜びを分かち合いました。


ただ、、

この時に、私は


(「妊娠している妻を
  あの振動の強いバイクの後ろに乗せて
  ツーリングに行ったのは
  マズかったのではないだろうか?」)



という一末の不安を
抱きました。

そして、
そこから約1ヶ月後に
再び産婦人科に行った時、
検診の結果、
既に妻のお腹の中の子が
動いていないという事実を
告げられたのです。

この時、
妻は私に明るく笑顔で
振舞ってくれました。


「私、、
 元々身体が弱いからね・・・」



と...。


私からは妻へ


「あの時のバイクの
 ツーリングが
 原因だったのかもしれない・・・」



と告げたのですが、
妻からは


「それが原因かは分からないから
 また一緒に前向きに頑張ろう」



言われました。


そして、
そこから数日後に
再び妻と産婦人科へ訪れ、
妻の身体から
動かなくなった
小さな我が子を
取り出してもらいました。


私達は、
病院の小さな部屋で
抱きしめ合いながら
お互い号泣しました...。


ちなみに、
この時の記憶は
今でもシッカリと
私の脳裏に焼き付いていて
私はこの直後に
バイクを手離しました。

今でもあの時に
妻をバイクに乗せていなかったらと
悔いることがあります・・・


そこから2年を経て、
念願の我が子を手に入れたのです。

原因は、
バイクじゃなかったかも
しれませんので、
この2年間は、
夫婦共に体調管理を
万全の状態に整えました。

私達夫婦は、
お互い身体が強い方では
ありませんでしたので、
とにかく積極的に食事に気を付けて、
そして、
栄養学を学んでサプリメントも
積極的に摂るようにしました。
※この記事を書いている
 今時点で私は54歳ですが、
 この20代の頃から
 健康に対する自己投資は
 徹底的に貫いて来ています。
 健康こそが大切だということを
 私は流産の経験と
 念願の我が子の誕生によって
 意識するようになったのです。




(つづく)

 

 

次回予告:


念願の我が子を授かった私は、
とにかく "この子のために" という
想いを強く持ち、子育てに励み、
更なるステップアップを図るのでした。

 

つづきはコチラ

 

    
連載ストーリーの目次はコチラ

 

 

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お読みになられましたら、

ぜひぜひご感想をお聞かせくださいね♪♪^^

 

 

あなたが本当に
あなたのお子さんを愛しているのならば、
必ずその想いは届く日が訪れます。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。



マーヒー

 

 

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