石巻で…2 | リングアナ阿部誠のブログ

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3月11日:18時頃。

避難所になるはずだった石巻市総合体育館は古い建物で危険なため「○○中学校と○○中学校が避難所ですからそちらに移動してください。」とアナウンスがあり殆どの方々はそちらへ移動。


リングスタッフはトラックに待機し依然ニュースに目をやる。

高齢者の方を含め20人弱の方々は総合体育館のロビーに残る。

この頃から携帯電話が完全に圏外になりメールのやり取りもできないようになった。

石巻は雪が降っていた…。


19時30分頃。

営業の高橋さんが菊地選手と動くと言い出したので、自分と296さんも「高橋さんと一緒に動きます。ここにいても何も解らないし、今の状況を知りたい。もしかしたら石巻を出られるかもしれないし!!」と黒木さんに伝えると「こんな暗い中危険だから今は待機してたほうがいい。道は波で流された車が散乱してるし、まだ水が退かなくて通れないから。明日になって明るくなってから考えよう」と言われました。


覚悟を決めたはずだったのに…


体験したことのない事態に完全に焦ってました。

黒木さんがいなければ焦って街に出て引き返すどこかトラックが水没して動かなくなり、未だに身動きが取れない状況になってたかもしれません…。

最終的に高橋さんもこの日は総合体育館で1夜を明かすことにしました。

街灯もつかないので、街中は車のライトしか明かりはなく非常に暗かったです。


21時頃。

何もする事がないからトラックで仮眠することに。

ただ寝ても15分くらいで目を覚まし、また寝て15分くらいで目を覚ましを3~4回繰り返した時点で膝・腰が痛くなり体育館の中へ。


中へ入ると石油ストーブが2台あり、そこまで寒くなかったので296氏が長机を2台並べ売店で使用してるテーブルクロスを机にひき、もう一枚をかけ布団代わりにする簡易ベットを作ってくれたので、ボンバー斉藤レフェリー、神林レフェリー自分の4人は体育館のロビーで寝ることにしました。

それに1日中トラックのエンジンかけてるとこの先貴重となるであろう燃料も勿体無いし…。


やっぱ横になって脚を伸ばせると、トラックで座りながらよりも長い時間寝れました。

2時間くらい寝てたけど急に起きてしまったのです。

原因は信じられない寒さ!!!


ストーブが消えてしまい、凄まじいスピードで体育館のロビーの気温は下がりました。だってこの頃はやんでたけどちょっと前までは雪が降ってたんですから。


あまりの寒さに自分はトラックへ移動し、エンジンをかけ暖房で身体を温めることに…。


12日:0時30分頃。

身体を温めてると今後の毎晩続くであろう寒さとの戦いに何かいい方法を考えないと本当にまずい、凍死を真剣に考えさせられました。東北の3月は東京の方が考えてる以上に厳しいのです。


ある程度温まり燃料の心配もあったので、衣服を着込むことにしてTシャツは2枚、ジャンパー3枚、パーカー、下はトランクスにジャージ、ナイロンスエット2枚、靴下2枚。


エンジンを止め外に出ると街が暗いから星が綺麗で綺麗で…。

星を見ながら『神様は試練を乗り越えられない人には試練は与えない』って昔誰かが言ってたなと思い出し、だったら自分はこの試練を乗り越えられるんだと思ってたら泣けてきました…。

泣けてきたけど泣いてどうにでもなるなら泣く。

泣いてってしょうがないし、今は生き残らなきゃならない状況だから泣き言は言わないと星を見ながら決意!!!

それにしても、石巻の星空は災害なんてまるでなかったように綺麗でした…。

流れ星も見えたし。


星空を見ながら体育館の入り口に向かってると、体育館の左の方が明るかったのです。

何故明るかったのか?

後から知ったのですが、それは近くの学校が火事だったから…。

どうやらその小学校は消火活動もきちんとできず、長時間燃え続け全焼したようです。


体育館へ戻ると296氏と神林がブルーシートで囲いをして簡易テントを作ってくれてたのでその中へ。

自分がトラックから戻るときに後楽園大会か銚子大会で京平さんにお饅頭を差し入れされた方がいて、そのお饅頭の残りをパンフレット売り場の箱から発見したので簡易テントで頂きました。

296氏、神林、自分もその時食べた饅頭が避難生活で1番美味しく印象に残ってます。

饅頭を食べた後は疲れか、胃が膨れた安心感からなのか8時前までグッスリ寝る…。


8時頃。

296さんの「移動だって」の声に起きる。

原因を聞くと総合体育館が遺体安置所になるから。


荷物をまとめてると、体育館に使えそうなものはないかと一足先に起床し、体育館中を探しに行ってた神林が戻ってきて「ステージにシーツで包まれた遺体がありました。」と一言。

どうやら遺体は既に運ばれていたようなんです。

この時点では石巻からはまだ出れないと判明。


石巻の自分達がいた場所は海に面していて、更に本土からは川に囲まれているから、そこから出るには3本の橋のどれかを渡る必要があります。

でもその橋が全て塞がれていて誰も通行することは出来なかったのです。


9時頃。

我々は近くの石巻高校へ避難。

我々が到着した時点で既に人は大勢いて自分たちの場所なんてありません…。


ただ地震で崩れた長机をきちんと整理すれば人数分の場所を確保できそうだったので、296氏、ボン様、神林、自分は普段リングを作ってるチームワークで机をさっさと整理。


途中罵声も浴びせられました。「そんなことして崩れたらどうすんだよ!!怪我するだろ!!」と…。

そんなの計算してるから高くは積まないし、そこに入るのは我々だけだからもし机が崩れ怪我をしても自分達です。

なんとかスペースを確保し、下にいる黒木さんや高橋さんを呼びに行ったら何も言わず我々が作ったスペースに入ってくる人がいるのです。

先程、罵声を浴びせてきた人の家族でした…。


それはないでしょ!!!


自分では何もしないで、人がやってるのを手伝いもしないで、ただ見ていて、出来上がったら何も言わずに入ってくる。

おばあちゃんだったし、一言「一緒にちょっといい」って聞いてもらえれば助け合わなきゃ生き残れないし我々は誰も断らないよ…。


人間の嫌な1面が見えてしまいました。


結局296氏、ボン様、神林、自分の4人は2階で黒木さん達は1階でと別れることに。


この時点では隣の人は全然知らない他人だけど手を伸ばしてもぶつからないくらいだったし、やることもないので皆で寝ることにしました。


続きます。