石巻で…3 | リングアナ阿部誠のブログ

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プロレス関連ネタや巡業先で食べた美味しいもの、プライベートネタを書き込んでます。

3月12日:昼頃。
トラックに積んでいる発電機で携帯を充電しようとなり、仮眠を止め総合体育館へ移動。


携帯を充電中ひっきりなしに警察のワンボックスカーがリングトラックとグッズトラックの間に止まる。


警察官は3~4人で一つのチームを組み行動してるようで、車から警官が下り、後ろのドアを開けシートに包まれた遺体を用意されたタンカのようなものに乗せ体育館の中へ運んで行きました。

ご遺体を体育館の中へ運び終え、またすぐに街へ出発。

すると時間差で別の警察車両がやって来てまたご遺体を体育館へ。その車両が出発をするとまた別の警察車両が来るの繰り返しでした。


この時、体育館の入口はヘドロの臭いが充満してました。運ばれて来たご遺体は、津波に飲み込まれ亡くなられヘドロの中からやっと捜し出してもらえた方々ばかりなんだと予想することが出来ました…。


2時間くらい総合体育館にいて、充電も完了したし自分達が避難している石巻高校に戻ることに。


帰ってくると、壁には…

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安否を知らせる紙や、街の情報が書かれた紙が沢山張られてました。

寝床へ行くと、自分と隣の人の間に強引に2人が割り込みもう一方の隣の人296さんとの距離が20センチくらいになってて自分達がいなかった間にドンドンスペースは奪われてました。

あの何も言わずに入ってきたおばあちゃんの家族です。

あまりこんなことは書きたくないけど、あの家族は揃ってどうしようもないね。

たった一言「家族が多いのでもうちょっといいですか?」って言ってくれればいいのに。

最終的には自分達が机を整理して開拓した場所の半分を取られてしまいました…。


17時10分頃。

石巻高校の校庭に日の丸が入ったヘリコプターが着陸。

部屋にいた皆から自然に拍手が沸き起こる。


きっと皆、救援物資に期待してたんでしょう…。


18時頃。

「配給です」と聞こえ初めて我々も列に並んだ。

もらえたのは…

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薄く小さな煎餅1枚。。。

正直これだけ?って感じた。

石巻高校は指定された避難所ではなく、避難所に入れなかった人達のために石巻高校が厚意で避難できる場所を提供してくれてるので救援物資は指定の避難所優先。

石巻高校までは回ってこないのが原因だった。

この煎餅は近くのお店からの差し入れだったようです。


19時頃。

後楽園大会で全日本プロレスのお菓子ゾーンへと差し入れしていただいたクッキーを296氏、ボン様、神林、お話をするようになった男性二人、女性の方と分け合い食べる。

あのクッキーお腹に溜まったので助かりました。徳山市体育館さんありがとうございました。


20時頃。

菅総理の会見がラジオから聞こえてきた。

「本日被災地の福島に降りました。仙台・石巻はヘリで上空から見ました。」って内容。

聞いてて上空にいるなら救助活動をしろとまでは言わないけど、降りてポーズでもいいから1人でも2人でも被災者に「大丈夫ですか?」の一言くらいかけろよ日本の代表だろって怒りを感じる。

都内と違ってヘリを着陸させられる場所なんて沢山あるんだから!!!


21時半頃。

寝てると、石巻大会を応援してくださっってた方からカップラーメンの差し入れがあり他の方々には申し訳なかったけど人が来ない学校の隅でリングスタッフ、営業の高橋さん、菊地選手と頂く。

外だったので寒く、お湯がぬるくなってて麺は固かったけど今まで食べたどのカップラーメンよりも美味しい気がしました…。

カップラーメンを食べた後は暗い部屋に戻り、体力を温存するため寝ることに。


絶対にこの試練は乗り越えられる、乗り越えられる、乗り越えられるを繰り返し心の中で思ってたら、気がつけば朝だった…。



13日:8時頃。

遂に避難者のストレスが爆発し始めた。

市の職員さんに

・トイレが汚すぎる

・なんで○○中学校にはおにぎりや水の配給があるのにこっちは煎餅1枚なんだ

・夜が寒すぎる

等々怒鳴りながら要求していた。

それを聞いていて、トイレが汚いのは一人一人が意識して綺麗に使わなないからでしょ。おにぎりや水が欲しいなら○○中へ行くべき。寒いのは皆一緒だよ、市の職員さんに怒鳴ったって気持ちは解るけどただの八つ当たりで何も解決はしないでしょと思ってました。実際にここは避難所ではないんだから…。


9時頃。

カップラーメンを差し入れしてくださった方に呼ばれ、再び総合体育館へ。

今度はゆで卵を差し入れしていただいた。

たった1個のゆで卵だけど嬉しかったなぁ…。

ゆで卵を食べた後は天気もいいし数時間総合体育館にいる。

たまたまロビーにいたとき、アリーナから警察関係者が出てきて扉が開きました。


中に数十人ののご遺体があるのが見えました。


自分達が体育館にいる2~3時間の間にも次から次にご遺体が運び込まれ、シートのチャックが開いていて、ヘドロまみれになってたご遺体も見ました。


最初はご遺体が運ばれるたびに目を背けていたけど、段々この凄惨な当たり前の光景から目を背けてはいけない、この災害でなくなった方々の分まで生き残った我々は絶対に生きなきゃならないし希望を捨ててはいけないんだと思うようになったんです。


なのでこの頃1度はチャレンジして出来なかった大便も、既に経験済だったスタッフにやり方を教えてもらい成功しました。48時間ぶりの大便です。たとえ誰かの便があっても、気にしてられません。生き延びるためにはいつかは乗り越えなきゃならないんだから!!

もう綺麗事だけじゃ生き残れない世界だったし…。


最大の不安を解消した自分は296氏と体育館付近の街がどんな状況なのかトラックで移動し、トラックで行けない場所は歩いて確認することにしました。


そこでの写真です。

本当はアップするべきなのか悩みましたが、国内に災害でこうなってしまってる場所が本当にある。

もしこの先も災害が来たときにちょっとでも役に立てばと思いアップします。

ただこの写真よりもっともっと酷い場所は沢山あります。

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想像を絶する光景でした。車はひっくり返り、重なり、信じられないくらい大きな看板や建造物の破片が道の真ん中に放置され、町中ヘドロだらけ…。

改めてM9の地震、津波の怖さを実感させられ同時によく生き残れたなと思わされました。

だってこの写真を撮った場所は11日の試合会場となるはずだった石巻総合体育館から歩いて10分位の場所ですからね。

今考えると我々にとっては全ての歯車がいい方向に動いていたんだと思います。


作業前に燃料を入れずに時間がたっぷりあった休憩時間に入れに行ってたらどうなっていたか?休憩時間にゆっくりドラックストアーに買い物へ行ってたらどうなっていたのか?

たった、たった数時間違ってたら自分も津波に巻き込まれもうこの世にはいなかったと思います…。


歩き回ってて自衛隊の方と話をしました。

「石巻を出れる橋は今どんな状況ですか?」すると「1本は通れるようになりました。だけどまだ水が完全には退いてない場所があるけどトラックなら大丈夫でしょう。」とのこと。

296氏と急いで石巻高校へ戻り、黒木親方・高橋さんと話し合った結果、明るいうちに動こう。


もしも途中で動けなくなったらその時にその場所で考えようと話がまとまり一か八かで我々全日本プロレスリングスタッフは石巻を出発することにしたのです。


続きます。