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MCNP-media cross network premium/RENSA

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出会いの連鎖-RENSA-を求めて。

メディアの旅人はあなたです。

「盤上の向日葵」(ソニー・ピクチャーズエンターテインメント=松竹)

 

 監督:熊澤尚人

 原作:柚月裕子

 脚本:熊澤尚人

 

 坂口健太郎 佐々木蔵之介 土屋太鳳 高杉真宙 音尾琢真

 柄本明 渡辺いっけい 木村多江 小日向文世 渡辺謙

 

 おすすめ度…★★★☆☆ 満足度…★★★★☆

 

 
ちょっと迷っていたんですけどね、また渡辺謙かってのもあったりして、予告編を何度も観ていたので何となく作品の方向性もわかるし、優先順位的には後回しでもいいかなと思ってました。
 
それでも昔から好きな女優さんの土屋太鳳が出ているのでスクリーンで観ておくか…そんな感じでタイムテーブルも少なくなってきた中でさくっと鑑賞。
 
いや、びっくりしました。
けっこう好きなタイプの作品でした。
 
予告編でもいい感じだと思っていたサザンの主題歌がエンドロールに流れる時間も最後まで余韻に浸っていました。
 
作品のベースは将棋の世界を描いた人間ドラマですが、どちらかというとアンダーワールドのクライムミステリに近いのかな。
 
大ヒット公開中の話題作「国宝」と同様に渡辺謙演じるアクの強いキャラクターが文字通り強烈なので、そういう意味では苦手な人は最初から拒否反応で辛いかもしれませんね。
 
山中で発見された白骨死体と一緒に埋葬されていた希少な将棋の駒。
その持ち主であるアマチュアながら天才棋士としてのし上がってきた上条桂介が容疑者として捜査線上に上がってくる。
 
ストーリーはまず犯人の存在ありきで展開し、その生きてきた過去を追いながらなぜ容疑者になったのかという真実に迫っていく。
 
虐げられた幼少期から将棋の世界にのめり込んでいく青年上条桂介に坂口健太郎。
その棋士としての才能を見抜いて彼に関わっていく鬼殺しの重慶と呼ばれる孤高の真剣師東明重慶に渡辺謙。
 
真剣師という言葉は初めて知ったけれど、賭け勝負で生計を立てるいわゆる裏の世界の人らしい。
真っ先に思い出すのは角川映画「麻雀放浪記」(1984)あたりかな。
 
その鬼気迫る勝負師としての立ち振る舞いはどこか歌舞伎などの伝統芸能にも通じるものがあるのだろう。
 
一方で金の無心で桂介につきまとう音尾琢真演じる父親康一のクズっぷりもなかなかのものだが、その過去についてのいきさつが明らかになったとき、桂介自身の中ですべてが崩れていくシーンは圧巻だった。
 
さらに小学生時代の桂介に将棋の楽しさを伝える恩師に小日向文世、その妻に木村多江という演技派が周りを固めるキャストも手堅い。
 
そして桂介を殺人犯と確信し、彼が関わった人たちに聴き込みを続ける刑事に佐々木蔵之介、その部下でかつてはプロ棋士を目指していた若手刑事に高杉真宙。
二人の刑事が上条桂介の過去に迫っていく展開を名作「砂の器」に準えている人も多いようだけれど、原作はもちろん映画版もドラマ版も見ていないので何ともいえない。
 
いずれにしてもいい役者たちが揃ったことで画面が最後までぶれることなく締まったのはよかった。
 
あとで調べたら小池重明というモデルとなった実在の真剣師の存在がわかった。
また桂介のライバルとなる天才棋士壬生芳樹なる人物のモデルは明らかに羽生善治だろうということは誰でも気づくだろう。
 
幼少期の桂介と出会い将棋を通して彼に援助していく元教師唐沢とのエピソードは感動的ではあるけれど、結果として唐沢が桂介に託した初代菊水月の名駒がその後の彼の人生を狂わせていくことになる。
 
唐沢の援助もあって東大に進学した桂介は苦しい生活の中で塾講師のアルバイトに勤しむ日々。
そんな中で将棋を通して重慶と運命的な出会いがあり、彼の真剣師としての東北の旅についていくことになるが、結果として重慶に裏切られ渡辺いっけい演じる真剣を仕切る男に大切にしていた菊水月の名駒を奪われてしまう。
 
このことをきっかけに将棋の世界から距離を置くことになる桂介は、やがてりんご園を営む奈津子と出会い静かで穏やかな日々を送っている。
しかしそこに金の無心で父親康一が現われ、再び桂介の運命が大きく動き出す。
 
土屋太鳳が演じる奈津子はこの作品で唯一といっていいストーリーに絡む女性で、出会いのシーンでは桂介が生き別れた母親の面影を彼女に重ねる。
 
この奈津子とのエピソードは原作にないもののようで、映画的なビジュアルとしてはタイトルの「盤上の向日葵」に重なるのだろうが、実はこの向日葵と母親への思いを描く部分がこの映画の弱点でもある。
 
他の多くのレビュー等で語られているように「盤上の向日葵」というタイトルの向日葵の部分が効果的に使われていない。
 
幼少期の桂介が記憶しているひまわり畑の中の母親の面影が、映像的だけでなくその心模様として描き切れていないのが残念。
 
また将棋に詳しい人には対局の描き方が物足りないようだけれど、東北を巡る重慶の文字通りの真剣勝負に凝縮されてしまった感はある。
 
いずれにしても「盤上の向日葵」というタイトルに名前負けしている部分は確かにありそうで、そのあたりは上下巻の大作らしい原作小説を読むしかないのかなと思う。
 
桂介の幼少期を演じた小野桜介君の真っすぐな佇まいが素晴らしい。
それがあってこその青年期以降の闇を抱えた桂介の笑顔を失った坂口健太郎の表情が生きてくる。
 
お目当ての土屋太鳳は結婚出産を経ていい顔の役者になったと思う。
若い頃のがむしゃら感がいい意味で薄まったのだろう。
 
諏訪を舞台にした貧しい幼少期、重慶と東北を渡り歩く青年期、それぞれの風景の切り替えも映画的には悪くない。
 
エンドロールに静かに流れるサザンオールスターズの「暮れゆく街のふたり」のメロディも、予告編ではサビで過剰な演出効果を狙っていたが、本編では静かにゆったりと流れて余韻を残す。
 

 ローソン・ユナイテッドシネマ前橋 スクリーン7

 

 

「爆弾」(2025/ワーナー・ブラザース)

 

 監督:永井聡

 原作:呉勝浩

 脚本:谷津弘幸 山浦雄大

 

 山田裕貴 伊藤沙莉 染谷祥太 坂東龍汰 寛一郎 中田青渚

 片岡千之助 加藤雅也 夏川結衣 渡部篤郎 佐藤二朗

 

 おすすめ度…★★☆☆☆ 満足度…★★★☆☆

 

 
プロモーション段階から佐藤二朗の圧倒的な存在感で話題のこの映画。
 
ひと言でいうと胸くその悪くなる作品だ。
予告編等で取調室の山田裕貴が「クソが!」と唸るのが正しい。
 
普段の佐藤二朗のコメディタッチの怪演を楽しみにしていると別の意味で裏切られる。
彼が演じるスズキタゴサクはとことんいやな奴で、キャラクターとして感情移入する術もないというか、文字通り反吐が出るくらいの不快な人物である。
 
もちろんそれを嬉々として演じている佐藤二朗が凄いのだけれど、いつものお気楽なイメージでこの作品を観ると痛い目にあうかもしれない。
 
事前のプロモーションでは佐藤二朗VS山田裕貴の構図がメインになっているけれど、それはストーリーの後半部分であり、まず染谷将太演じる等々力の取り調べがあり、そこから本庁からやってきた渡部篤郎の清宮へとバトンタッチされる。
 
その後取り調べに立ち会う寛一郎の伊勢もタゴサクの策士ぶりに翻弄され、その結果所轄の坂東龍汰と伊藤沙莉の制服警官組が巻き込まれていく。
 
山田裕貴演じる類家刑事は上司である清宮がタゴサクの前に陥落するのを受けて、満を持してタゴサクと対峙していく。
 
酒屋の自販機を壊し店主を殴って逮捕された浮浪者風の中年男が野方署の取調室にいる。
 
最初はただの酔っ払いと思われていた男はスズキタゴサクと名乗り、それ以外のことはよく覚えていないと嘯いて取り調べに当たった等々力を困惑させる。
 
しかしその供述の中で彼が仄めかした言葉通りに秋葉原で爆発事故が起きたことから、一転してその後の連続爆破予告を疑われることになる。
 
等々力がスズキタゴサクから感じたその無邪気な言動とは裏腹に、相次いで都内各所で連続爆発事件が発生し、ついに死傷者が出てしまう。
 
重大事案に発展したことで本庁捜査一課の清宮とその部下類家の両刑事が野方署に乗り込んできて等々力から取り調べを引き継ぐ。
 
しかしその取り調べをあざけるかのように次第に自分のペースで翻弄していくタゴサクの術中にはまっていく清宮。
一方でタゴサクの会話の中に事件のヒントが隠されていると悟った類家は、冷静にその真意を読み解き次の爆破予告が起こる場所を特定していく。
 
ストーリーは取調室でのタゴサクとの虚々実々の心理戦がベースとなり、次の爆破現場特定のために奔走する交番勤務の矢吹と倖田の制服警官たちも巻き込んで、想像を絶する規模の無差別殺傷事件へと展開していく。
 
原作小説は未読もほぼそれに沿った展開だというが、後半に向かってやや駆け足になるのは否めない。
 
最初に無邪気と捉えられたタゴサクの人間性も、実は狡猾かつ理論的な思考に満ちていることが次第に明らかになり、そのことで一層彼自身の不気味さや恐ろしさが浮き彫りになっていく。
 
所轄を仕切る正名僕蔵演じる鶴久の感情的な捜査方針や事件の背後に浮かび上がる自殺した加藤雅也の元刑事の過去など、一部不可解かつ不愉快な演出も鼻につくが、観る側の感情を揺さぶる効果もあったのかもしれない。
 
いずれにしても最後までスッキリ終わるとは言い難い展開で、心理サスペンスとしてもどこか腑に落ちない感覚が残ってしまう。
 
とにもかくにも観終わった後に残るその不可解な感じこそがこの作品の肝なのだろうが、正直エンターテインメントとしては正解だったかどうかは微妙なところかもしれない。
 
後半のメインとなっていく佐藤二朗と山田裕貴の取調室での対峙も面白いが、やはり前半の染谷祥太演じる等々力が取り調べを引き継いだ際に類家と交わす場面の静かな緊迫感がいい。
 
そしてなんといってもTHIS IS 渡部篤郎ともいうべき清宮の雰囲気が相変わらずの安定感で一瞬にして画面が引き締まる。
 
いずれにしてもすべて佐藤二朗のスズキタゴサクありきなので、改めてこの佐藤二朗という役者の懐の深さが空恐ろしくなった。
 
ただしくれぐれも佐藤二朗見たさにこの作品を選ばれる方にはそれなりの覚悟をということはお伝えしておきたい。
 
そして日本人の誰もが抱く正義感や悪を憎む心理その裏にある本質を文字通り深くえぐってくるので自分と向き合う覚悟は必要。
 

 ローソン・ユナイテッドシネマ前橋 スクリーン9

 

 

「てっぺんの向こうにあなたがいる」(2025/キノフィルムズ)

 

 監督:阪本順治

 原作:田部井淳子

 脚本:坂口理子

 

 吉永小百合 のん 木村文乃 若葉竜也 工藤阿須加

 茅島みずき 和田光沙 円井わん 天海祐希 佐藤浩市 

 

 おすすめ度…★★★☆☆ 満足度…★★★☆☆

 

 
女性登山家として世界で初めてエベレスト登頂を成し遂げた田部井淳子さんのことはリアルタイムで知っている。
 
この作品はその田部井淳子さんの実話をもとにしたフィクションであることをまず確認しておきたい。
 
田部井さんをモデルとした女性登山家田部純子の半生をその家族の物語として描いたストーリーは、1975年の偉業達成についての後日談も含めた過去のパートと癌に罹患し余命宣告されてからの残された時間とを絡ませながら進んでいく。
 
まず若かりし頃の田部夫妻をのんと工藤阿須加、その晩年を吉永小百合と佐藤浩市と演じ分けたのはよかった。
というか、そういうキャスティングにしたことで、吉永小百合ありきではなく。田部純子という主人公ありきの作品として完結できたことが大きい。
 
ここ数年の吉永小百合の出演映画では明らかに老いを感じさせるビジュアルのまま強引に実年齢より若い時代を演じるケースも多く、そこに少なからず違和感を覚えることもあった。
 
昨今の日本映画界では数少ない映画女優が吉永小百合だ。
映画女優と呼べる存在は若手では小松菜奈とか、最近の長澤まさみくらいで、多くの女優たちはドラマと映画を行ったり来たりの俳優業が普通になっている。
 
けしてそれが悪いというわけではなくて、昨今のメディアの中で活躍の場が広がったのは確かだし、例えばアメリカでは昔から映画メインの俳優とドラマメインの俳優とではある程度棲み分けがされていて、それぞれ各人のキャリアが形成されているのは知られていること。
 
日本映画の場合は一時期斜陽といわれた時期もあって、映画よりテレビという時代を経て、いつしかスクリーンを活躍の場とする俳優も減ってきたのは事実だろう。
 
そんな中で昭和の時代からずっと映画をメインに活動しているのが吉永小百合であり、それだけでいつしか稀有な存在となってしまった。
 
自分はサユリストとかいう世代ではないので、彼女が日本映画の第一線で活躍していた時代の作品は観ていない。
最初にスクリーンで観た作品は彼女が悪女を演じて話題になった「天国の駅 HEAVEN STATION」(1984)で、同年公開の文芸作品「おはん」も続けて観ている。
 
この時期には年に2~3作品の主演映画があってまさに映画女優吉永小百合の面目躍如というところだが、90年代になると年1作品程度になり、2000年代に入ると2~3年に1作品まで減ってきている。
 
気づけば彼女も今年で齢80歳になっているわけで、それでも映画女優としてスクリーンで主役を張り続けていることだけですごいことなんだと最近は思う。
 
いつしかそんな吉永小百合の映画女優としての佇まいを最後まで見届けたく思うようになってか、数年に1本というサイクルがちょうどいいのか、どうしてもその出演映画が気になってしまう。
 
一方でここ数年のスクリーン上での吉永小百合の老いに抗う姿は時に痛々しくも思えたり、年相応の役を演じられたらきっと楽なのだろうにと考えたりもした。
 
それでも吉永小百合にはヒロインであり続ける宿命のようなものがある気がしてならない。
 
正直なところ演技についても最近は一本調子のところがあったり、時として大きく目を見開くなど表情に委ねる場面も多々見受けられる。
外見でいえば首筋やデコルテなどに隠せない老いは確実に見受けられたりもする。
 
本作では30代の若い時代をのんが演じることによって、吉永小百合は実年齢に近い70代の純子を演じた。
実際には2011年の東日本大震災の頃の話なので、現在の吉永小百合の年齢とほぼ同じ時代の女性を演じたことになる。
 
佐藤浩市との実年齢差を考えると夫婦役は微妙なのだけれど、考えたら吉永小百合世代で第一線で活躍している男優も少ないわけで、前作「こんにちは、母さん」で大泉洋が息子役だったことも考えると演じられる役の幅も狭まっているはずで、この先もヒロインとしてスクリーンで輝き続けるのも大変なんだろうなと実感した。
 
その意味でも今作のように世代を分けた物語でその壮年期を演じるというのはありなのかもしれない。
 
70年代ののんと工藤阿須加の若い夫婦と現代の田部夫妻のビジュアルはさすがに時を隔てすぎていて違和感がなくもないけれど、純子の盟友である新聞記者悦子の青年期を演じた茅島みずきから天海祐希へのバトンタッチはよかった。
 
その青年期の登山チームの仲間に円井わんが好演、朝ドラといい最近メディアの露出が確実に吹てきているのが嬉しい。
 
後半のパートでは東日本大震災がキーワードとなり、疎遠だった息子真太郎のエピソードが挿入される。
そうか、晩年の田部井さんも一緒にそれを体験した世代なんだなと思うと少し距離が縮まった気がする。
 
実際に田部井さんががん性腹膜炎で余命3ヶ月の診断を受けるのはこの震災のあとなのだけれど、映画では時系列が数年前倒しされている。
 
震災の翌年に余命宣告を受けるも、被災地の高校生たちとの富士山登頂が始まり、息子が企画の中心となったこの登山イベントで親子での登山が映画のクライマックスになる。
 
体力的にも山頂への登頂を諦めた純子が途中の7合目で夫とともにひと息入れるところへ息子から登頂成功の無線が入るシーンがいい。
 
その後も病と闘いながら夫婦でリハビリ登山を続ける二人の掛け合いがまるで夫婦漫才を聴いているようで心地よく、珍しく饒舌な吉永小百合の演技が見られたのは新たな発見だった。
 
晩年の緩和ケアの件で過剰な感動物語にならなかったのは、阪本順治監督ならでは演出が功を奏したか。
 
監督の阪本順治は「北のカナリアたち」(2012)以来の吉永小百合戸のタッグ。
あの作品も評判はいまいちも個人的には好きな一本だった。
「どついたるねん」(1989)から35年以上も経っているのかと感慨深さを感じつつ、いまも劇映画メインで頑張っていることを嬉しく思う。
 
ちなみに本作は東映や松竹が絡まないキノフィルムズの作品。
エンドロールの製作委員会にテレビメディアがクレジットされない作品も少なくなっただけになぜかホッとした。
 

 ローソン・ユナイテッドシネマ前橋 スクリーン3