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「コットンテール」

 “COTTONTAIL”(2023/英=日/ロングライド)

 

 監督:パトリック・ディキンソン

 脚本:パトリック・ディキンソン

 

 リリー・フランキー 錦戸亮 木村多江 高梨臨 恒松祐里

 工藤孝生 イーファ・ハインズ キアラン・ハインズ

 

 おすすめ度…★★★★☆ 満足度…★★★★★

 

 

 

 
冒頭、市場からタコの上物をしれっと万引きしたリリー・フランキー演じる主人公兼三郎がなじみの寿司屋に顔を出す場面。
 
店の戸を開けると「まだ仕込み前」という主人の声、しかし常連の兼三郎の顔を見ると笑顔でカウンターへ誘う。
持ち込んだタコをすぐに上物と見定める店主に「買ったんだよ」と白を切る兼三郎。
 
あーいつものリリー・フランキーだなという既視感で少し肩の力が抜ける。
でも今回はそのあとがいい。
 
店の主人が「奥さんは元気?」と尋ねるといつものように曖昧な表情で受け流すリリー・フランキー。
 
カウンターに座った健三郎は冷たいビールを頼んでから、自分の分ともう一人分の小皿と割り箸を隣の席に置く。
 
あーその人はもういないのだなとわかる。
 
そしてキンキンに冷えた瓶ビールが差し出されるとグラスをもう一つ要求し、隣の席の冷えたビールグラスに軽く当ててからに飲み干す。
 
次のカットで店の戸が開く。
若い女性がガラス戸を開けて入ってくる。
 
まさかの恒松祐里だ。
この瞬間にこの映画はアタリだと確信した。
 
遅くなったことを詫びる彼女の前には若かりし頃の兼三郎が座っている。
そのあとのやり取りで二人の初デートの日だとわかるが、そもそものなれそめや彼女の出自などは最後まで語られない。
 
このとき最初の店主との会話から、彼女が兼三郎の妻明子だということがわかる。
 
時間は戻り朝から瓶ビールを数本空けた兼三郎の携帯が鳴る。
 
自宅に帰ると息子が待っている。
そしてこの日が亡き妻の葬儀の当日であることが明らかになる。
 
この日寺の住職に預けられていた亡き妻明子の手紙が兼三郎に手渡される。
 
手紙には子どもの頃に両親と訪れたイギリスのウインダミア湖に遺灰を撒いてほしいと記されていた。
 
帰宅後、生前に明子が残した小箱の中から一枚の写真を取り出す兼三郎。
そこには湖畔を向いて立つ三人の親子の後ろ姿が写っていて、裏面にはウインダミア湖というメモ書きだけが残されている。
 
長らく兼三郎と疎遠だった息子の慧は妻のさつきそして孫のエミも一緒にイギリスに向かうことを提案する。
 
物語はイギリスに渡ってからの兼三郎と慧の確執と和解の時間が中心に描かれていく。
その過程で晩年若年性認知症になった明子のことや若い頃の二人のエピソードがフラッシュバックで挿入され、少しずつ健三郎が抱える苦悩の日々が明らかになっていく。
 
イギリスに到着後に孫のエミを勝手に連れ出したことで慧夫妻とひと騒動あった兼三郎は一人でホテルを出てウインダミア湖へ向かう。
 
作家である兼三郎はとりあえず最低限の英会話はできるが、いきなり電車を逆方向へ乗り間違えて、折り返しの駅ではすでに終電になってしまう。
 
携帯電話の充電も切れ迷ってたどり着いた田舎町で知り合った父娘の好意で一緒にウインダミア湖へ向かうことになる。
父親は兼三郎と同じく妻を亡くしたばかりで娘と二人暮らしだった。
 
そんな異国での父娘の姿に明子との日々や慧との確執の時間がオーヴァーラップする。
やがてホテルに残した慧と連絡がつき、さつきとエミも一緒に合流しウインダミア湖と記された写真の場所探しが始まる。
 
晩年の明子は認知症だけでなく難病も発症し、最後は病院のベッドで苦しみながら息を引き取った。
 
そのシーンの描き方にある含みを持たせている演出がうまい。
 
息子の慧を演じた錦戸亮がすっかりいい父親の顔を演じているのに驚いた。
彼が長年確執のあった父親を抱きしめるシーンがあるが、あれは英国人監督ならではの発想なのかな。
 
自分も短い期間であるけれど父親を自宅で介護しながら見送った経験があるので、そういえば一度も父親と抱き合うようなことはなかったなと思う。
 
もちろん単純に照れくさいのもあるけれど、自分が決して親孝行息子ではなかったことは自覚しているし、きっと父親も何か言いたいことがあったはずだと今でも思っている。
 
それでも晩年は父と二人暮らしの時間が長かったし、聴覚障害者で車の運転もしなかった父親にとって、ある意味で共依存の関係になっていたはずで、最後まで互いの本音をぶつけ合うこともなく終わってしまった。
 
だから兼三郎と慧の和解のシーンはとてつもなくうらやましいし、自分はこの先も一生父親にたいする告解の念を抱きながら生きていくのだと覚悟している。
 
晩年の認知症で苦しむ妻明子を演じた木村多江は本当に素晴らしかったけれど、あのリリー・フランキーの兼三郎を受け入れるには、彼女くらいの懐の深さがないと難しいだろうなと思う。
 
それにしてもである。
恒松祐里に尽きる。
 
彼女のあの横顔が最後まで脳裏に残っていて、久しぶりに気持ちよくスクリーンを後にすることかできた。
このところホラーだったり難しいテーマや長尺の作品が多かったしな。
 
本作は少し離れたシネコンで公開されていたけれど、作品選択の優先順位もあってなかなかタイムテーブルが合わなくて見逃がした。
 
ここしばらくはその後に地元のミニシアターにかかることが多くなって助かっている。
 
それにしても英国の湖水地方の美しさはよかった。
というか、イギリスの田舎を舞台にした作品で映し出される映像はいつ見ても心が洗われる。
 
久しぶりにジェームズ・アイヴォリーの「日の名残り」とか観たくなった。
 
入場時にポストカードをもらった。
 
 前橋シネマハウス シアター0