滝沢馬琴の出自を尋ねる①…神田・清澄・九段下。 | MCNP-media cross network premium/RENSA

MCNP-media cross network premium/RENSA

音楽(Music)・映画(Cinema)・小説(Novel)・舞台(Play)…and...

出会いの連鎖-RENSA-を求めて。

メディアの旅人はあなたです。

夕方からのライブ観覧での上京。
同じタイミングで開催中の神田祭を見ようと思いあえて早めの出発。
 
その他になにか決めていたこともないので、電車で移動中にいろいろ調べていたところ、一つのプランを思いつきました。
 
現在、読んでいる文庫本が「曲亭馬琴 遺稿(森田誠吾著)-新潮文庫-」ということもあって、滝沢馬琴に関する都内の史跡をちょっと回ってみようか。
 
 
出てきた情報は、馬琴の出生地(清澄)と井戸跡(九段下)と住居跡(神田)、そして馬琴が眠る茗荷谷の墓所。
 
自分にとってすべてのエンターテインメントの原点が「南総里見八犬伝」であり、こうしてメディアとかかわりの中で様々なアプローチを楽しむようになったのも馬琴のおかげ。
 
一方で学生時代に通っていた茗荷谷の校舎の近くに墓所があることも知っていたものの、結局卒業するまで一度も訪れる機会のないまま今日に至っているという現実もあります。
 
さらに調べてみたら神田明神下の馬琴の住居跡はこれから移動するルート上にあることも判明。
 
生誕地から墓所までを順番通りに回ることは無理だけれど、すべて東京メトロを乗り継いで移動できるので、東京メトロ24時間券を使えば交通費も抑えられそう。
 
 
ということで、特に予定を変えることもなく上野から銀座線に乗り継いで9時半前には末広町下車。
 
やはり神田祭ということですでに警備のための警察車両なども見受けられます。
 
 
地上に出たら通りを中央通りを南へ進みすぐの路地を右折。
末広町の掲示板にも神田祭のポスター。
 
 
そのまま路地を進むと左手に公園。
この場所が滝沢馬琴住居跡となります。
 
芳林公園
千代田区外神田3-5-18
 

 

文政元年(1818)に馬琴の息子宗伯が母と妹を連れて転居。

その後、文政七年(1824)に馬琴もここに引っ越してきて、天保七年(1836)まで12年間を過ごしたようです。

 

 
芳林公園はビルの谷間にありますが広々としていて遊具やトイレも完備されていました。
 
 
 
この後は神田祭を見るために神田明神まで移動、昼食を御茶ノ水で済ませてから改めて馬琴ゆかりの史跡巡りを再開しました。
 
次に向かうのは半蔵門線の清澄白河。
つい最近まで何度も行き来した日本橋から水天宮界隈から少し先になります。
滝沢馬琴生誕の地がここにあります。
 
さて事前の情報収集の中で生誕地の碑がある場所は清澄白河駅から南に5分ほど下ったところらしい。
 
そこで出てきた住所が江東区平野1-7辺りというもの。
地図アプリで確認すると確かに徒歩で5分くらいの場所がその辺りなので、その周辺をひと回りすれば見つかるだろうと判断。
 
ところが平野1-7の区画をひと回りしてみてもそれらしいものは見当たらない。
念のため、平野1-8周辺を歩いてみても路地裏の住宅地でどうも違う感じ。
 
改めて別の情報をチェックしてみると清澄通りを南下すれば歩道沿いにあるらしい。
もしやと思ってさらに歩道を南に向かったら…。
 
 
とても分かりやすいところが目的地でした。
 
江東区深川ふれあいセンター/平野児童館
東京都江東区平野1-2-3
 

 
滝沢馬琴誕生の地という説明書きがあります。
 
馬琴は明和四年(1767)6月9日、この辺りあった松平信成の用人を勤める下級武士の五男としてこの地にあった松平家の邸内で生まれたそうです。
 
9歳で父親と死別後、安永九年(1780)、14歳で松平家を出るまでここで一家を支えていたようです。
 
 
傍らのモニュメントは馬琴の名を世に知らしめた大河小説「南総里見八犬伝」を模したものになっています。
 
 
 
 
 
ちなみにすぐ隣にあった電柱の住所表記は平野1-2…全然違うやないか。
 
まあわざわざ馬琴の足跡を巡ろうという人もそんなに多くないと思いますし、自分がチェックした情報も十年以上前のものでしたから、改めてこうして情報を上げておくことに意味があるのでしょうね。
 
 
続いて向かうのは九段下。
 
松平家を出た馬琴はその後の放蕩生活を経て、寛政五年(1793)に履物商「伊勢屋」の未亡人の婿となります。
この時に住んだ住居の井戸跡が九段下にあります。
 
九段下駅を地上に出るとき少し迷って交差点の反対側に上がってしまいましたが、5番出口を上がってマクドナルドの左の路地を少し進むと右手にマンションがあります。
 
東建ニューハイツ九段
千代田区九段北1-5-5

 
マンションのエントランスに「滝沢馬琴宅跡の井戸」の碑がありました。
以前はその奥にある井戸も見ることができたようですね。
 
 
30歳を迎えるころには馬琴の創作活動が本格化し、八犬伝の執筆も含めてたくさんの作品がこの地で生まれています。
 
さらに長女幸・二女祐・長男宗伯(鎮五郎)・三女鍬と一男三女にも恵まれたようです。
 
 
後に神田明神下の家を買い宗伯を住まわせ、自身も58歳の時に移り住むまで約30年をここで暮らしたわけです。
 
 
さて、このあと馬琴は神田明神下での生活を経て、最晩年には終の棲家となる四谷信濃仲殿町で12年間暮らし82歳の生涯を閉じます。
 
今回は信濃町には行っていませんが、駅前の日高屋のところに終焉の地の碑があるようです。
 
また西日暮里の青雲寺にも馬琴の筆塚や硯塚の碑があるそうです。
 
時間的にもそろそろ今回のぶらり散策を終えなくてはなりません。
最後に向うのは文京区の茗荷谷。
滝沢馬琴の墓所がある深光寺にお詣りします。
 

茗荷谷という場所は別の意味でも改めて訪れたいエリアでした。