光秀 そして周山城 | 春空に一息 

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(旧ブログ名 ひめたんとほっとTea Time)

こんにちは。今日も来て下さり、有難うございます。

 

明智は、

毛利攻めのために、上図の、黄色の線のようなルートを、開拓していたそうです。。(信長のために)

(山陰地方を通るルート)

 

1番右が、坂本城(滋賀)、そして横が、周山城(京都)です。

だから、

周山城は、毛利攻めの拠点として、明智が建てた、城だったそうです。(NHK 歴史探偵より)

ところが、

信長は、一方で、

羽柴秀吉   とも、毛利攻めの話を進めていたそうです。

 

そして、結局、

秀吉が作った、毛利攻めのルート(下の、光っているルート)を、

採用したそうです。(山陽地方を通るルート)

 

こんな事情があり、

明智が作った、山陰地方を通るルートは、

結局、不採用になってしまったそうです・・ せっかく建てた城も・・

(信長としては、戦略上、そのほうがいいという判断だったんでしょうが)

周山城の、天守の想像図。(NHK 歴史探偵より) (※  今は廃城になってます)  (1580年 築城)

屋根は、瓦じゃなくて、

檜皮葺(ひわだぶき)だったんじゃないか、との事です。

 

この天守は、

京都の、花の御所(足利将軍家の邸宅)に似せて、

建てられた可能性があるそうです。。

 

だとすると、光秀の、足利将軍家への忠誠の気持ちも、感じられます。。

 

それにしても、

何で光秀は、こんな大きな山城を作ったんでしょう??(西日本では最大級の山城だそう)

あの安土城をしのぐ、大きさなんだとか・・。 

何か、私には、安土城への、対抗意識バリバリな感じが、伝わってくるんですが・・

 

 

 

「光秀が、天下を狙っていた、なんて、馬鹿馬鹿しい・・」、という論が多いみたいですが・・

ある宣教師の証言で、

「光秀は、(信長から)莫大な富を得た事で、(丹波を平定し、34万石になった)

どうも、

自分は、天下を治められるんじゃないか・・自分なら、できるんじゃないか・・と信じてしまった所がある」

という話もありました。。

(この話は、「麒麟がくる」には、出ませんでしたが)

信長に気に入られ、

異例のスピード昇進を続け、毛利攻めの総司令官に任ぜられる秀吉(トシキロ)

そんな秀吉の存在を脅威に思う、光秀。(上が光秀)

 

光秀が、

本能寺の変を起こすに至る心理というのは、

一筋縄ではいかない・・

様々な要因が、入り混じっていそうです・・

 

 

周山城へと続く道です。

慈眼寺(光秀公を祀るお寺)にも、参拝しました。

周山城の、ふもとにあります。

今は安らかに、眠ってほしいです。

 

今日も読んで下さり、有難うございます。

 

(鎌倉殿の13人の感想は、10/11(火)にupする予定です)