鳥取城跡 | 春空に一息 

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(旧ブログ名 ひめたんとほっとTea Time)

こんにちは。今日も来て下さり有難うございます。

鳥取に行きました。

鳥取駅前の様子です。

市内の雪は、こんな感じです。

気温は、寒いですが、

何とかしのげる位の寒さでした。

 

鳥取城跡を訪れました。

鳥取城は、

思った以上に、色々、エピソードがたくさんあるお城でしたので・・

今回、一番お伝えしたいポイントは2つです。

 

1つ目・・この城は、今から500年ほど前、戦国時代に建てられました。天主跡は、山の頂上にあり、二の丸、三の丸跡は、山の麓(ふもと)にあります。

2つ目・・1581年、豊臣秀吉が、2万の軍勢で、この城に攻めてきて、兵糧攻めで、この城を落城させたのが有名です。

 

 

お城に関しては素人ですので・・ あらためて、天守って何なのか、調べました。。

天守とは、城主が立て籠もる、最後の砦の事だそうです。(お城の最終防御拠点

基本、城主が生活する場所ではないそうです。あとは、敵の様子の監視や、武器や食料を備蓄したりする所だそうです。。

 

鳥取城は、久松山の山頂に城跡があり、

山麓にも、城跡があるという、

そういう構成になっていました。。 (今回、山頂には、雪で危険もあり、登ってません。山頂にも、かなりの遺構がありそうです)

 

鳥取城の天守は、・・

かつて、山の上にあったそうです。 (久松山の山頂)  

1573年、山の上に、3層の天守があったそう。(山名豊国が、別の城から、移築してきたそう。) これが、最初の天守と思います。

(ちなみにこの年は、室町幕府が滅亡したでもあります 足利義昭が、京から追放されてしまった年。)

幻の天守。

その後、

1600年頃、池田長吉が、

山の上は強風が吹くため、ゆがんだら困るので、天守を、2層に改築したそうです。

これは、1693年に、落雷で焼失してしまったそうです。

 

お堀の様子です。

城内の地図です。

三階櫓のあった跡です(櫓台)

1617年頃に、ここに三階櫓(やぐら)が建てられた、とあります。

1693年に、山頂の天守が落雷で焼失してからは、

この三階櫓と、もう一つ別の場所の菱櫓(ひしやぐら)とで、

明治維新の頃まで、

この鳥取城の威容を誇っていたそうです。

三階櫓跡からの眺めです

菱櫓(ひしやぐら)の跡です(櫓台)

菱櫓跡からの眺めです 良く見渡せます。

二ノ丸跡です

背後に、久松山が見えています。

三階櫓も菱櫓も、二の丸にありました。

表御門跡です

上の写真のような、石垣で作られたお城の姿は、

1582年以降に整備された、と

書いてありました。

 

「ふるさと」という名曲がありますが・・

この作曲をしたのは、

岡野貞一さんという、

鳥取市ご出身の方だそうです。

 

鳥取に行ったのは初めてでしたが、

実際にお城の跡を見ると、

とても迫力がありました。見れて良かったです。

敷地は、かなり広く、お城の規模も、大きかったです。

 

鳥取は、とても静かな、穏やかな街でした。

時間がなかったので、鳥取砂丘には行けませんでした・・(日帰りでした)

まだまだ、色んな見所があり、機会があれば

また訪れたいと思います。

 

最後まで読んで下さり、有難うございます。

寒いので、お体どうかご自愛下さい。