5年ほど前から母は認知症を患っており、2年前から施設に入所している。認知症とは誠に残酷な病気で、周りの人間を悲しませ、そして失望を与える。父は母の認知症が進行して被害妄想から始まり、昼夜は逆転し、徘徊をくりかえしても最期まで自分が面倒を見ると言ってきかなかった。しかし、父の体調が日を追うごとに悪化し、疲労困憊している様子であったため、施設へ入所させざるを得なかった。生真面目な父はほぼ毎日施設を訪問していたが、その頃には母には父が誰であるかが認識できていなかった。父は母の好物である果物を持参し、母に現実を一生懸命に説くが、いつも徒労に終わっていた。
入所して1年ほど経ったある日、突然父がクモ膜下出血で急逝した。母にいくら尽くしても、自分が必要とされていないのが堪えたのかもしれない。母は父については誰か判断がつかなかったが、息子である私には見当がついていた。二人で会いに行くと父が余りにも不憫で仕方なかった。「貴方はどなた?」と言われる父を見ていられなかった。
父が死んでからは自分が1週間に1回は会いに行くようにしている。訪問するといつも笑顔で「あなたの事は覚えてますよ。」と言って迎えてくれた。施設の人も「自慢の息子さんが来たね~、今日もご機嫌になったね。」と言うと、満更でもない表情をしていた。会話は相変わらず過去と現実が交錯して、取り留めの無い内容だったが終止楽しそうだった。
ところが昨日の訪問では、いつもと様子が違った。目が虚ろでいつもの笑顔が無かった。「息子だよ。」と言っても反応が無く、「あなたは甥だね。私の兄さんの息子でしょ。」と言ってくる。覚悟はしていたが、とうとう息子である自分も分からなくなってきたようだ。昔、祖母が死ぬ間際に意識が朦朧とし、娘である母に「あなたは誰ですか?他人なのによくしてくれるね。」と言われ、「実の娘なのに」言いながら号泣していたのを思い出した。
認知症は2度人が死ぬ、と思っている。認知症になった時中身は既に本人ではなくなってしまう。肉体はあるが気持ちが通じ合う事はない。既にお別れしているのだ。中身の抜けた肉体に翻弄され、振り回されている。昔話に「姥捨て山」と言う話があったが、とても非情で残酷な事だと思った。しかし、今ではある意味正解かもしれないと思えるようになった。
昨日帰りの車で、昔を思い出すと涙が止まらなくなった。いつかはこの日が来る事を覚悟していたとは言え、あまりにも辛かった。勝気だった母にはいつも尻を叩かれていた。そんな母の面影も段々と遠くへ逝ってしまっている。








































































