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私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 先の記事に人生とは修行…みたいなことを書いた…。(参照:人生は修行…!?) がしかし、思うようにならない日々が続いた。ヨーガもろくにできずに1日が終わったり、その原因となる相方にいらいらしてみたり…。そんなわけで、「だめだ…これでは…」と思っているうちに早や5月。

 本当は心落ち着けて、瞑想やヨーガに取り組めるのが理想だけれど、忙しい毎日のうちで、なかなかそんな時間もとれなかったり、夜は疲れて寝てしまったり…と、言い訳がましいことを書いている。

 こんなでいいのかな…と思ったりするけれど、スキーに行った時に暇なリフトの上で、一生懸命、呼吸法を試してみたり、ひたすら音を聞く瞑想をしてみたり…と、全くもっていい加減な行者である。

 

 そういえば、こういった行法だけじゃなくて、日々の心がけみたいなものがあったな…と思い出した。行法ができないのなら、せめて、日々の暮らしの中でできることを…と、過去記事 ヨーガの修行 より良い世界のために… にヨーガの修行についてメモしたことを再掲。

 

成瀬雅春著「呼吸法の極意 ゆっくり吐くこと」 より

 

 

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ヨーガの8階梯

 

1.ヤマ(禁戒)

 アヒンサー(非暴力) 

   徹底した非暴力。

   人間だけでなく、あらゆる生あるものの心を平穏にしてしまう。

 サッティヤ(正直)

   正直というのもなかなかやっかりである。

   「私は一度も嘘をついたことがない」といった嘘つき者の小話が

   あるくらい、正直というのは難しい。

   サッティヤというのは、たとえ方便であっても

   嘘をついてはいけない、という厳しいものである。

 アステヤ(不盗)

   盗みをしないことに徹すれば、金銀財宝が自然に集まって来ると

   いわれている。

 ブラフマチャリヤ(禁欲)

   修行中の者に対する戒律。修行が完成すれば

   必ずしも課せられない。

 アパリグラハ(不貧) 

   無欲、無所欲という訳もされているように、

   必要以上の物欲を起こさない。

 

2.ニヤマ(勧戒)

 シャウチャ(清浄)

    心身を清浄に保ち、身体と心を浄化するように努める、。

 サントーシャ(知足)

    生命をつなぐもののみで満足し、それ以上は求めない。

    その結果、無上の幸福が得られるとされている。

 タパス(苦行)

    焼くという意味のタパスは、心身の汚れを焼いて浄化する。

 スヴァディヤーヤ(読誦)

    聖典を研究して、霊的な探求をすると自分の望む神霊と会える。   

 イーシュヴァラプラニアーナ(自在神への祈念)

    神に全てを任せることで、サマーディに至れる。

 

3.アーサナ(座法)

 快適で安定した座り方を目指すのがアーサナである。逆立ちやバランスのポーズなどのアーサナはよい状態で瞑想するために開発された。そして熟達するとアーサナを通して瞑想の最高の境地えあるサマーディ体験ができるようになる。

 

4.プラーナーヤーマ(呼吸法)

 プラーナーヤーマには、吐く、吸う、止めるという3つのパターンがある。そして第4のパターンがケーヴァラ・クンバカ(単独の保息)と呼ばれるものである。瞑想が深まると訪れるとされる、自然に息が止まる状態を指す。そして実践的に最も重要なのが、ヴァーユ(風)のコントロールである。本書はそのヴァーユのコントロールに向けてかいたものである。

 

5.プラディヤーハーラ(制感)

 常に外に向かってしまう感覚を内側に向けて、

 内なる神に意識を向けることである。

 

6.ダーラナー(集中)

 心をある特定の場に結び付けることが、ダーラナーである。

 

7.ディヤーナ(瞑想)

 そのダーラナーを持続すると、ごく自然に瞑想状態に移行する。

 それがディヤーナである。

 

8.サマーディ

 さらにディヤーナの状態を持続し続けるとサマーディに入る。

 したがってダーラナーからディヤーナ、サマーディというプロセスは

 連続的に訪れるものなので、総称してサンヤマと呼ばれる。

 

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 そして、上記の修行について、どのようにやっていけばよいかが述べられている。

 

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 この順番どおりに修行しようとしたら、その1番目のアヒンサー(非暴力)だけで一生を費やしてしまうことになり、そこから先の修行に辿り着けなくなってしまうだろう。しかも、おそらくはそのアヒンサーすらも守れないままに終わってしまうことになる。

 そこでヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)という、やってはいけないことと、やるべきことを決めた戒律を守りながら、アーサナ(座法)、プラーナーヤーマ(呼吸法)、プラティヤハーラ(制感)という、自分をコントロールする修行を積むことで、ダーラナー(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)という、サンヤマ(綜制)に至れる、と考えればよい。

 そして8階梯の最後のサマーディ(三昧)の体験をすることで、8階梯の1番目のアヒンサー(非暴力)に成功する可能性が出てくることになる。それほどアヒンサーは大変な行法なのである。

 

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 そして、非暴力を貫く「アヒンサー」について、とても興味深いことが書かれていた。

 

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 「アヒンサー」は不殺生や非暴力というように訳されているが、それがなぜサマーディ体験より大変なものかというと、単に殺生をしないとか暴力を振るわないという程度ならばそれほど難しくはないのだが、『ヨーガ・スートラ』に、「非暴力の戒行に徹したならば、その人の側ではすべてのものが敵意を捨てる」(2・35)とされているからだ。

 殺生をしないとか暴力を振るわないで一生を過ごす、という人はたくさんいる。しかし「いやな奴だ」とか「殴ってしまいたい」という人を傷付けるような考えさえも、起こしてはいけないのがヨーガのアヒンサーなのである。ヨーガの修行に成功すると、人を傷付けるような考えも起きないだけでなく、そのヨーガ行者の前では、相手のほうも人を傷付けるような考えを一切起こさないようになる。だから、そのヨーガ行者の周りでは、誰1人として暴力的な行為も考えも起こさないようになる。

 それほどアヒンサーというのは深い内容の修行だから大変なのである。アヒンサー(非暴力)を実践したことで有名なマハトマ・ガンジーも、テロリストに殺されてしまったのだから、厳しい見方をすればアヒンサーに成功しなかったことになる。もし、アヒンサーに成功していれば、テロリストの意識から、マハトマ・ガンジーを殺そうという気持ちが消えてしまい、暗殺行為が起こせなかっただろう。

 ヨーガに熟達した行者は、森の中でもライオンや毒蛇に襲われることがない。というのもこのアヒンサーのためなのである。

 

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 なんと、あのガンジーですら、アヒンサーの修行には成功していなかった…と。暗殺されてしまった…というのがその証拠であるらしい…。成瀬氏の他の著書で、蚊ですら、愛を送れば刺されることは無いらしい…と読んだ。蚊に刺されているうちはまだまだなのだ。

 そして、普段、カチンときても、「手を出す」ことまではしないけれど、その「カチンとくる」ことすら許されないのがアヒンサーの修行だ。これはなかなか難しい。カチンとくる材料は、身近にごまんとある。

 我が身可愛さのあまり傍若無人になりがちな我が相方と共にいれば、罵りたくなることだらけだが…この頃は、「この人と一緒にいることは本当に良い修行になる…」と思うようにしている。いつもできるとは限らないけど…。

 

 しかし…ですね、このアヒンサーという修行は、もちろん難しいけれど、この修行に成功する人が増えたら、世の中は平和になるっていうことだな…。成功した人の周りの人が人を傷付けるような考えを一切起こさないようになるということだものね。気が遠くなるような未来にそういう日が来るのかな。

 ああ、過去に1万年も平和が続いた縄文時代があるけれど、単に食べ物など自然の恵みが豊かだっただけでなく、アヒンサーに成功したような精神性の高い人々が多かったのかも…なんて想像力をたくましくしたりする…。