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私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 「夏休みですね…」で書き始めていたのが、既に「お盆ですね…」という時節になり、そのお盆も終わった…。子どもたちの夏休みがそろそろ終わるところもあるのでは…という8月の下旬。

 この夏は、相方がパーキンソンの次に、腰痛、さらに鼠経ヘルニアとなり…、これ、医者にかからないで治すにはどうしたらいいのん?と、いろいろと調べていたら、そんなこんなで3週間が過ぎた…。

病院に行けば「手術しか治す方法はありませんねー」と言われるらしい…。

 ネットで調べていたら、整体だとか、体操で筋肉を鍛えることで治る場合もあるのだそう。なんやかやで、久しぶりに取り出した野口晴哉著「整体入門」を読んでいたら、とてもおもしろかった。読み物として読んでも、くすっと笑えるところがあちらこちらにあって、ホントおもしろい。

 

 

   

 

 

 さて、久しぶりにページをめくったら、治りたくない心にふれたところがあったので、今日はこれを抜粋。 非常に難しい我が相方は、病気を利用していかに甘えるか、大切にしてもらえるか…にいつも腐心している…。そういう人の心理についてとても参考になった。

 

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 近頃、「頸椎ヘルニア」、いわゆるムチウチ症という、頸椎5番または6番、7番の異常が大きな問題になっています。

 けれども自動車の衝突事故は、今までも始終あったのです。それが最近になって圧倒的に増えたのはなぜだろうか。そういう人が道場にもたくさんくるので調べてみると、ぶつけられたのだから首が狂ったはずだ、狂ったのだから手がしびれるはずだ、しびれているからこういうようにムチウチ症状が起こるはずだ、という観念症状lあるいはムチウチ症という言葉の自己暗示によるものが非常に多い。今まではこんなに多くなかったがなと思ったが、事故の増えた割合を計算に入れても何十倍か多くなっています。だからムチウチ症といわれるものの中に、観念症状がかなり多くなってきているということは確かです。

 そこで、ムチウチ症の精神分析的処理方法を考えないと、その処置を完璧に行うことがむずかしいということが判ってきました。頸椎六番、七番が狂ったままでもムチウチ症状がなくなってしまったり、矯正されたのに症状の方はそのままだ、というようなことが、かなり多くなってきました。

 以前はムチウチ症状は、頸椎の曲がった人達が訴えるものでした。ところが「いろいろとやってみたけれども、どうしても治らないから先生にやって欲しい」と、整体指導をやっている人達が連れてくる人の首をしらべると、教えられたことをキチンとやってすでに頸椎の異常は正しているのに、治りきっていない。治らないムチウチ症というのが意外に多い。そういうのに心理処置を行うと、すぐ治ってしまうのです。「やはりあそこに行ったら治った」という。しかし、すでに治っているのに、治ったという確認が行われていなかっただけで、それを私が当人に確認するように仕向けただけなのです。

 だから、頸椎六番、七番という骨を強制する技術の他に、ムチウチ症の観念の症状とか、心理ショックとかを処理する方法が判らなければ、ムチウチ症の処置はできないということになる。

 そういう観念的な病気というものは意外に多くて、当人が納得するまではそれがつづく。想像妊娠のように分娩日が来たら凹むようなのなら別に心配はないが、無期限に、未来永劫に持って歩く症状もあります。乳癌とか胃癌とか子宮癌とかいうことに始まって、いろいろな病気にそれが多い。病気の九割がこういう観念症状ではないかと思う。

 一つの病気が有名になってくると、だんだんそういう傾向が起こる、ムチウチ症状も「頸椎ヘルニア」といっているだけだったら、おそらく割に簡単に、骨さえ正せば治ってしまったろうと思うのです。その証拠に、四年前は、誰がやっても頸椎を正すと同時にムチウチ症も治っていました。怪しげな、なかなかな治らない病人が出てきたのは三年前からです、それが圧倒的に多くなったのはなぜだろうか。

 

 一つは交通事故というものが、早く治ってはつまらない、重ければ重いほどよい、もうどうせ命にはかかわりがないのだから、重い方がゆっくり療養できるし、重ければ重いほど見舞金もよぶんにもらえるというような功利的な理由で治りにくくなるという面がある。交通事故には多少ともそういう傾向があります。

 

中略

 

 そこでムチウチ症状を治そうとする場合には、まず被害者心理について研究しなければなりません。

 被害者の心の中には、人に害されたということに対する憤り、悲しみがある。と同時に、害を与えられるような立場だったということに対しての自分への同情がある。

 そして、いつのまにか、自分をかわいそうなものだと思い込んでしまっています。憤りがあって相手を攻撃する方は陽性ですが、悲しい方は、自分で自分に同情しているのです。

 その自己同情ということが起こると、被害症状はドッと多くなって、いろいろな異常が内攻し、しかもつづく。あとになって異常が出てくる「後遺症」というものの大部分は、自分で自分に同情する心が動くからです。慢性病でも、自分で自分に同情したり、自分がかわいそうだとか、みじめだとか思うようになると、病気は急に悪くなります。

 そうなった頃からマゾヒズム的傾向が強くなってきて、それがつづいているうちに、かわいそうな自分がいよいよかわいそうであることに快感を感じ、みじめな自分がいよいよみじめになってゆくことに関心を抱き、同情をもち、同時にそれが快感に変わってゆくということになります

 自分への同情というのは、他人は自分のように同情してくれっこないから、他人には、むしろ与えられる面を望むようになっているのです。

 そういう点では、痛いという操法は安心してできるという特色があります。痛いこと、苦しいこと、こんなにひどいことをされなければ治らない、それほどひどい目にあったんだ、そのために片足が不自由になった、寝たり起きたりの生活をしなければならない、とそれでもどこかで満足している。しかし、そういうところで酔っ払われたのではこちらが困ります。自分への同情に酔うこともほどほどにして、早く正常なところに引き戻さなければなりません。それには治すのにも、痛いことに満足しながらも逃げたくなり、逃げて行きながら満足するという痛みの与え方が必要です。ただ余分に痛いからそういう気持ちが満足するのかというと、そうではなりません。心のもうひとつ奥にその痛みが入ってゆくようにすることが大事なのです。

 

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 この話には、そうそう!と手を打ちたくなる。相方について言えば、体調が悪いことで何とか人に優しくしてもらおう…という功利的理由がある。健診で異常だった何かの数値が次の健診で良くなった時など、「よかったねー」などと声をかけようものなら、機嫌が悪くなる…。最初はどうして怒るのか…さっぱりわからなかったが、そういうことなのか…と理解したら、だいぶ傾向がつかめてきた。だから、あまり「良くなったね」と言わないようにしている。「良くなったね」と言うと、一生懸命症状を悪化させて見せるので、こちらもげんなりする。ただただ面倒くさい。野口先生の本で読んでいる分にはおもしろい…で済むのだけど、こういう人を四六時中相手にしているのは、忍耐を必要とする。

 野口先生の人間観察がとてもおもしろいこの本。肉体のみならず、精神的なことまで…、それが軽妙な語り口で綴られている。読み物としてもおもしろい。

 

 そして、中健次郎先生の気功の本にも治りたくないエゴの話が出ていた。こちらはもう少し、心の深いところの話のようだ。心を道具にできる…というのだから、魂の話でしょうかね。こちらの本では潜在意識という言葉で語られている。達磨静座法という瞑想法について…。

 

   

 

------------ ここから

 

 「達磨静座法」は心を静めて体をゆるめ、心身を深くリラックスした状態に保つことで、潜在意識まで浄化できる、すばらしい瞑想法です。

 

 中略

 

 私も妻も、達磨静座法の恩恵を授かりました。夫婦で、400日間の気功修行を始めるために中国へ飛んだときのことです。修行を始める前に、「まだまだ意識が一つにまとまっていないから、まずこれをやりなさい」とY先生にいわれ、達磨静座法を7か月の間続けました。

 そのおかげで自分の潜在意識がかなり浄化され、体調もずいぶんよくなりました。いらないものが取り除かれ、本来の純粋な自分に帰ったような感じです。それに、それまでは心に支配されていたのが、心を自分の道具として使えるようになった気がします

 また、達磨静座法には、自律神経(無意識のうちに行われる心臓の鼓動や内臓の働きを調節する神経)を整え、内臓をじょうぶにする働きもあるようです。

 それとともに、別に運動をしているわけではないのに、首、肩、腰、膝などの全身の関節の状態もよくなっていきます。体内に気が満ちてきて、たまった気が体の悪いところに流れていき、そこを自然に直してくれるのです。ストレスも消え、心が安定してきて、集中力も増してきます、心身のいろいろな病気でお悩みの人に、ぜひお勧めしたい方法です。

 

-----------いったんここまで

 

 達磨静座法とは4つの部分から成り、全て半跏趺坐で座り、21回呼吸を数えながら、丹田に意識を集中して瞑想をする…というもの。4つの座法は手の所作が異なり、手を組んだり、足の上に置いたりする。男女で足の組み方、手の組み方が異なる。

 そして、この達磨静座法で潜在意識の汚濁を取り除こうとすると、自分のエゴが邪魔をするのだという。

 

-----------再びここから

 

 奇蹟ともいえるような健康効果が得られる達磨静座法ですが、この方法は、特別なイマジネーションを使ったり、特殊な光を見ようとしたりするものではありません。ただ現実に気付いていくこと、今やっていることに心を置く方法です。

 私たちの潜在意識には、いろいろ抑圧されたものがたまっています。いつも同じパターンで反応する条件付けや心のクセがあったり、無意識のうちに心が何かに染まっていたり、とらわれがあったりと、さまざまな汚濁があるのです。

 こうした自分のエゴ(自我)というのは浄化されたくありません。今のままでいたい。それでエゴにとってのバランスをとっているのです。ですから、達磨静座法をしようとすると、エゴがあの手この手で邪魔をしてきます。

 達磨静座法を行っている間にエゴがよく使う手段は、四つあります。

 

1. 雑念だらけになり、集中できない

  いろいろな思いが心の中にわいてきて、妄想だらけになってしまい、瞑想が続かなくなってしまう。これはよくあるパターンです。

2. 瞑想の途中に眠くなる、あるいは寝てしまう

  睡眠不足とか疲れているとかではないのに、瞑想に入ったとたん、ウトウトしてしまう。エゴが眠気を催させて、瞑想できないように邪魔をするのです。

3. 集中できない

  雑念もわかないし、眠くもなりません。ただ、ボーっとしてしまったり、ぼんやりしてしまったりして、瞑想にまったく集中できない状態です。これもエゴの抵抗なのです。

4. 落ち着きがなくなる

  心が上ずって変に興奮してしまい、落ち着きがなくなります。やる気はあるのですが、細かいところまで意識がいかなくなるので、瞑想の妨げになります。

 

 人間とは不思議なもので、よくなりたいと思っても、それを邪魔する力が働きます。それに負けたら、人間は変わっていけません

 達磨静座法を毎日辛抱強く行っていくと、それまでのバランスがこわれて、今度はいい方向で新しいバランスが整っていきます。だからこそ、病気が治ったり、新しい力に目覚めたりと、心身にとても大きな効果があるのです。

 

------------ ここまで

 

 人間てやっかいだわ…。良くなりたくても、それを邪魔する力が自分の中にある…のだ。でも、それを乗り越えて初めて、自分の潜在意識が浄化され、体内に気が満ちてきて、たまった気が体の悪いところに流れていき、そこを自然に直してくれる という。

 これって過去記事 癌を治した人々(12)病気と闘うことより気づきが大事 や  癌を治した人々(13)7.8Hzの志賀一雅氏の話はミラクルだけど、おそらく誰でも実現可能 にメモしたような、癌を克服するプロセスを説明するのかも…。

 

 さて、問題の我が家だけど…、この記事を長い時間をかけて書いている最中に中健次郎先生のこの本をそこいらに置いておいたら、時折相方が熱心に読んでいた。そして、最近は1人で自立して様々な体操をやるようになり、あまり泣き言を言わなくなった。これ、実はすごい進歩なのかも。達磨静座法はやっていないと思うけれど、何か心に響いたものがあったのかも…。努力が実りますように。