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私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 先日、友人が言った、「人生は修行やな」。うん、そう思う…私も。彼女は実母や叔母が80過ぎていろいろと体調不良に悩まされている状況を間近に見てきて、しみじみそう言った。

 

 ヨーガやヨーガの呼吸法をぼちぼち続けている。ぼちぼち…と書くのは、くたびれてできない日も結構あって、そんな日は今日は頑張ったからいいやってあっさりあきらめる。そんなで良いのかとも思うが、毎日、生きていることが修行。お掃除もお料理も、皿を洗う事さえ修行と思う。いかに心をこめて行うか…。そんな日々の中で、ふと気づくこともある。

 

 例えば、こんな自分でも考え方が少しずつ変わりつつある。自分が望むように物事が運ばない時(まあ、そんなことばっかりなんだけどさ…)、以前はその原因に腹を立てていた。でも、最近は、そういう状況を導いているのって、結局自分なのかも…と、我が身振り返ることが少しできるようになった。あはは…還暦過ぎてようやくそこか?って、笑えるけれど…、本当にそんなもの。

 せっかちで、今すぐにいろいろとやりたいことを阻止されるといらいらしたけれど、自ら「もうちょっと待とう」と思えるようにもなった。だからできていないことだらけなんだけど、それでもいいか…と。

 

 ヨーガの呼吸法(参照:人生は修行…!?(3) 呼吸法とは…)の「1対4対2の呼吸法」もぼちぼち続けているけれど、これが8秒単位でできるようになった。最初は4秒単位で始めたから、ちょっとずつではあるが、進歩している。8秒単位というのは以下の呼吸を5回繰り返すことになる。

 

 吸う8秒 : 止める32秒 : 吐く16秒

 

 これって、肺活量の問題じゃなくて、多分、いかに少しずつ少しずつ吸う事ができるか、吐くことができるか、そのコントロールの問題なのだなと気づいたら、8秒単位までできるようになった。

 ヨーガ行者の成瀬雅春先生も「普通は吸うのが8秒くらいから難しくなり、10秒を超えるとできる人がかなり少なくなる。」と書いているから、ようやく難しい範疇に入って来た。でも、9秒単位に挑戦するのはまだまだ先になりそう。8秒単位の呼吸ですら、自分の心が静かに落ち着いていないとできない。

 それとは別の話になるけれど、先日、山登りに行く前の晩、明朝3時起きなので9時には寝ようとしたのだけれど、普段宵っ張りなのでこれがなかなか寝付けない。そうだ。1対4対2の呼吸法をやろう…とやってみたら、心が静まって、幸せな気持ちで眠りにつけた。心が落ち着いてないとできない反面、これをやることでさらに心が満たされていく。呼吸って奥が深い。

 

 そして、ヨーガも「自分を観察する」ことが重要だと言うが、単に、ここの筋肉が伸びて痛いとか、そういうことだけじゃなくて、呼吸も観察し、心も観察するのだと言う記述があった。

 

成瀬雅春著「ハタ・ヨーガ完全版」より。

 

   

 

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 しかしヨーガに熟達するために必要なのは、「自己観察力を高める」「自己コントロール能力を高める」だけなのです。いくら難易度の高いアーサナ(座法、ポーズ)ができても、観察力がなくてコントロール能力もなければヨーガのレベルは低いです。同じようにバランスのアーサナを長く続けられても、数多くのアーサナを知っていても、観察力が足りなかったり、自分自身をコントロールできていなければ、ヨーガに卓越していることにはなりません。

 

 その逆に難易度の高いアーサナができなくても、バランスのアーサナを長く続けられなくても、数多くのアーサナを知らなくても、繊細な観察力があり、自己コントロール能力が高ければ、卓越したヨーガ行者になれます。

 

 アーサナとアーサナの間に休息で座った時に、自分の呼吸の状態を観察し、少しでも乱れていればコントロールし、身体の状態を観察し、無駄な力が入っているところがあれば、そこの力を抜きます。身体の状態というのは刻々変化しますので、それも細かく観察し、さらに心の変化も観察します。

 

 こういった観察とコントロールを、逆立ちのときも、ひねりのポーズ、前屈のポーズ、バランスのポーズ、呼吸法、瞑想などのときにも、しっかりとできていればレベルの高いヨーガを実践しているといえます。

 

---------- ここまで

 

 そうかぁ…。ヨーガをやりながら呼吸や心まで観察したことはなかったなぁ。そんなものまで含めての自分なのだ。自分を観察するとはそういうことのようだ。そして、難しいポーズはいつまで経ってもできないから、こういう文章を読むと勇気づけられる。いいや、ぼちぼちでも…、自分を観察することができれば…と。

 

 それから、だいぶ前の記事 治りたくない心 浄化されたくない自我 に書いた 気功の達磨静座法だけど、私も実際にやってみた。今まではすぐに雑念が浮かび、瞑想という域にはなかなか達しなかった私だけど、あまり雑念に惑わされず、眠くもならず座っていられるようになっていた。ただ、ついつい呼吸の方に集中してしまって、丹田に集中するのを忘れていましたが…。これって、 ヨーガの呼吸法「1対4対2の呼吸法」を続けていたから、雑念に囚われなくなったのかもしれないと気づいた。

 

 そして、もう一つ…。ここまで呼吸法を積み重ねてきたら、ヨーガのバランス系のポーズが以前よりもできるようになってきた。これは集中力がついたってことだろうか。今の私はもういいおばちゃんだけど、これ、若い頃にやっていたら、人生がいろいろと変わったかもなーなんて思ったりした。来世はもうちょっと早い時期から取り組むことにしよう…と気の長いことを思うのであった…。

 その前に、「老い」だとか「死」に向かう過程が人生の修行のクライマックスのような気がするけれど、そこも乗り切れるんじゃないかと…。ぼちぼち頑張る日々である。

(今日は「ぼちぼち」だらけの文章になった…)