意味ありげな雲の話 | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 私は雲を眺めるのが結構好きである。最初はケムトレイルや、それのせいで色づく雲だったり、電磁波照射かなと思われる波状雲を空に探していた。でも、最近は、この雲は何だか意味ありげだなぁと思って眺める。きっかけはこの本である。

 

     

 

 この口絵の写真。この雲たちは神様たちの乗り物なのだそうで…。

 

     

 

この雲たちのことをこんなふうに布施氏は語っている。秋山氏はスプーン曲げで有名な方。

 

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布施:

 まだ不思議な写真は続くんですが、実は2011年11月、出雲に行ってきたんです。なぜ行くことになったかというと、「神在祭のときに出雲に行けば神様に会えるから、行きなさい」という直感がきたんですね。「え~、本当かな」と思いつつも、直感に従って、神在祭がいつ開催されているかを調べて、出雲まで出かけてきました。2011年11月は11月の上旬が神在祭の開催期間だったんですね。レンタカーで京都から丹後半島を経て、三日目ぐらいに出雲の国に入ったんですが、そのころから空に船の底みたいに湾曲した雲が目立つようになってきたんですね。そのとき「船」という直感がきます。その夜、満月が煌煌と夜空を照らしていたんですが、そのとき今まで見たことがないような巨大な暈が月にかかっているのを目撃しました。そして翌10日、出雲大社の神在祭を見て、次の目的地に向かう途中、日本海の方を見ると、前日と同じように船の底のように湾曲した雲が浮かんでいたんです。でも、その数がすごかった。何百、何千という船型の雲が沖に向かって続いていたんです。これがその写真です。

 写真では数が少なく見えますが、沖に向かって、何百艘、何千艘という天空浮船(あめのそらうきふね)が空に停泊しているような感じでした。

 

秋山:

 出雲の神在祭では、そういう不思議な雲が現れるんですよね。

 

布施:

 秋山さんも見たんですか?

 

秋山:

 ええ、僕も神在祭のときに出雲に行ったことがある。夜、空を見ると、巨大な船の塊のような、異様な雲が上空に出ていました。雑誌「週間百不思議」にもそのときの写真が掲載されました。これがその時の写真です・

 

布施:

 ああ、すごい雲ですね、もこもこと沸き立つような雲。

 

秋山:

 これは不思議な雲だなと思って観察をしていると、その雲の塊が動き出したんですね。それで、みんなで、車で追いかけたんです。後をつけろ~って言って。夜だったんですけど。そうしたら、出雲大社の上空で消えたんですね。まるで出雲大社に吸い込まれるようにスーッと消えたんです。

 

布施:

 消えた!何だったんですか、その雲は。

 

秋山:

 天空浮船。または、そこから投映されたビジョンでしょう。

 

布施:

 やはり天空浮船ですか。神々の乗り物なんでしょうか、竹内さん。

 

竹内:

 そのように正統竹内文書には書かれております。僕はあまり信じていませんが、口伝ですから。

 

布施:

 では結論として、出雲の神在祭に合わせて、全国、いや全世界から八百万の神々が天空浮船に乗って出雲に集まってくるのであるということでよろしいでしょうか。

 

-------------- ここまで

 

 へぇ、神様の乗り物ねぇ…。よくわからんなぁ…。最初はそう思っていた。でも、保江邦夫先生の素領域論を知ってから、そういうこともあるのかも…と思うようになった。保江先生のこの著書「願いをかなえる「縄文ゲート」の開き方」から抜粋

 

 

     

 

-------- ここから

 

 素領域論とは、日本人ではじめてノーベル賞(物理学賞)を受賞したことで知られている湯川秀樹先生が最晩年に研究されていた理論で、それを「宇宙の背後に潜む基本原理」として僕が発展させたものです。

 素領域論では、この世の物質や肉体は「素領域」と呼ばれる泡のなかに存在する素粒子の集合体で、その泡のすべてを包み込んでいる部分が、「完全調和の場」の一部からなる霊体(霊魂)です。

 霊体は肉体よりも先に存在しているひな型のようなもので、この泡を取り囲んでいる部分が「あの世」や「神様の領域」である「宇宙」にあたります。

 そしてこの一つひとつの泡のなかに、肉体を構成するための素粒子が入って肉体組織がつくられることで、晴れてこの世に誕生、となります。

 つまり、僕たちの魂が肉体を得るプロセスとは、つぎのようになっています。

1.肉体ができる前にまずあの世にひな型(霊体)ができる

2.1.でできたあの世の側のひな型に、重なるように3次元の肉体が収れんし、合体している。

 

 

中略

 

 従来の物理学では、泡のなか、すなわち素粒子(物質)しか見ていませんでした。

 一方、素領域論は、泡を生み出す完全調和の世界と泡との関係に着目することから、「あの世(霊体)」と「この世(肉体)」の両方のしくみを統合する物理学といってもいいかもしれません。
 

-------- ここまで

 

 素粒子というのは、物質を構成している最小単位の粒子だけど、素領域というのは空間をどんどん細かくしていった時の最小単位の領域と考えたらよいかな。保江先生の著書「神の物理学」にもこう定義されている。

  「空間」の構成要素が「素領域」にほかならない」

 

 上にメモしたことは、人の肉体についての素領域と素粒子の関係。同様に何等かの霊体が構成する素領域に雲を構成するための素粒子が存在したら、それはきっと意味ありげな雲になる。冒頭にメモした神様の乗り物だったり、神様だったりするのかも。

 さて、この霊体が水を媒介にしている例を保江先生はこのように書いている。

 

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 霊体と肉体の大きな違いの一つは、霊体は霞のように自由に姿を変えられるところです。

 たとえば、古今東西、幽霊はよく霧の中に出てきますが、そのわけは、霊体は水(湿気)を媒介にしているからだといえます。

 肉体を構成する素粒子の構造物のなかで、最初にできるのが水分子です。つまり、水のなかに霊的なエネルギーが宿った状態になり、それが霧状に現れてくるのです。媒介する物質が水である理由は、水には情報を記憶(転写)できる働きがあるからです。

 これこそ、幽霊が霧状の場所に姿を表したり、沼地や井戸などの水辺で目撃されたりする理由です。ですから、湿気の多い霧状の場所があれば、水を介して霊体のまま移動することができるわけです。

 

中略

 

 また今でも、よく龍神や鳳凰の形の雲が出現することがありますが、あれは霊体が雲の形になって現れているからです。

 

--------- ここまで

 

 それで、これを読んで以来、いつも空を見上げて、何かいたらいいなぁ…と思う。

 

 

 これは山中湖畔から富士山を撮ったもの。この雲の不自然な形は何だか意味ありげ…。霊峰富士がバックだから、何かがいたのかも…と思いたくなる。

 

そんなわけで…、浜辺で雲を眺めているのもまた楽し…。

 

 

どんな雲を見てもだんだん意味ありげに思えてくるのである…。

下田の浜にて…。