第135回「忘れられない母の日」 | たけちゃんのセカンドライフ

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再任用をせずに定年退職後は自由気ままに生活をしたい。そんな私の退職前と退職後の生活を綴っていきたいと思っています。

1972年(昭和47)の母の日。
私は小学校5年生だった。母の日のプレゼントに何を買うかはすでに決めていた。
それは『豚毛のヘアーブラシ』だ。
なぜ、それに決めたのかというと、母が鏡に向かいながら歯の抜けた安物のブラシで髪をとかしていたからだ。
「なんよ~そのぼろっちいブラシ!」と、冷やかして言ってみたところ・・・、
「ほんまやねぇ~、豚毛のブラシでも使いたいもんやわ~」と、

笑いながら母が答えたのを覚えていたのだ。
さっそくどんなブラシがいいのかと調査を開始した。
私たち兄弟は、母がよく行く美容室にいってみた。
「豚毛のブラシがほしいんだけど、どこで買ったらいいやろ~」とたずねると・・・
なんと!その美容室にとてもいいブラシがあるではないか!
しかも、美容室の人は

「お母さんそのブラシがとても気に入っていたみたいで、いつか欲しいと言っていたわよ」と、言うではないか。

 

もう迷うことはない!! これに決めた!!

 

しかし、そこで重大なことに気がついた。なんと、そのブラシは3,800円もしたのだ!!

私の1ヶ月の小遣いが500円。弟は300円

そしてその時、持っているお金が1,200円しかなかった。

とにかくその場は引き揚げた・・・
 

しかし・・・なんとしてもあのブラシが欲しい!!
 

弟たちと相談して、最終的にお年玉の貯金をおろそうということになった。
翌日、郵便局で貯金をおろしブラシを買った。
 

すごいものを手に入れたような気分だった。
 

母の日当日。弟たちと誇らしげにプレゼントをあげた。
母の喜ぶ顔が少しでも早く見たかった・・・

包装紙を取り、中からブラシがあらわれた。
母は驚き、そして少し涙を拭いて、何度も何度もお礼を言ってくれた。

1992年(平成4)の母の日。
私は31歳になった。あの日からすでに20年が過ぎていた。
毎年のように、その年も花束をもって母を訪ねていった。

他愛もない話をしながら、何の気なしに母の鏡台に座ってみると何とそこに『見覚えのあるブラシ』があった。
長年、使われて歯が抜けぼろぼろになり、もう使い物にならないようなブラシ・・・。
何本かの母の髪の毛がからみついていて、歴史の重さが感じられた。

母は、大切に大切に使っていてくれた・・・

昨年の2021年(令和3)4月母は亡くなった。
もう、花束など、プレゼントを送る相手はいない。
月命日には早いが、今日はお墓に花を供えに行こう。