第16回のブログで「座右の銘」として、相田みつを

「幸せはいつも自分の心がきめる」を紹介した。

 

 

実は、相田みつをの詩でもう一つ好き?なものがある。

これも有名なので知っている人も多いと思うが・・・

「そのうち」
そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供から手が放れたら
そのうち 仕事が落ちついたら
そのうち 時間のゆとりができたら
 
そのうち………
そのうち………
そのうち……… と、
できない理由
くりかえしているうちに

結局は何もやらなかった
空しい人生の幕がおりて
顔の上に 淋しい墓標が立つ

そのうちそのうち
日が暮れる
いまきたこの道
かえれない


この詩は、拡大コピーされてパウチされたものが、我が家のリビングに飾られている。
何年も前のことでいつだったか忘れたが、わざわざ「貼りなさい」と持ってきたのが、亡くなった母である。

どういうつもりで持ってきたのかわからない。

自分がしたかったのにできなかったことがあったのか?

それとも

あなたはこうならないようにしなさいよと言いたかったのか?

そういえば最近、お金を「貯める」ことではなく「使い切る」ことに焦点を当てた、これまでにないお金の教科書が注目を集めているそうだ。
『DIE WITH ZERO ~人生が豊かになりすぎる究極のルール』という翻訳書で、昨年の発売からじわじわと口コミで話題となり、続々と重版が決まっているらしい。

 

 

生きているうちにお金を使い切ること、つまり「ゼロで死ぬ」を目指さないと、人生の限りある時間エネルギー無駄にしてしまうということらしい。

「いつ死ぬかなんてわからない」という疑問が湧いてくるが、
「生きられる最長の年齢を想定し、1年の消費額を決定せよ」ということらしい。
 

確かに、1億円をこつこつ貯めたものの、結局死んでしまい、残された遺族が、遺産をめぐって醜い争いをする話を聞いたことがあるが、
これでは何のために我慢をしてお金を貯めてきたのかわからない。

でも・・、最長の年齢を想定し、収支計画を立てる・・とはいうものの、

65歳からもらえる予定の年金は物価スライド制だが、今後どうなるかわからないし、税金だって上がるかも知れない。
そう考えると、「ゼロで死ぬ」のは、理想かもしれないが簡単なことでは無い。

そのため、結局、働くことでリスクを少なくせざるを得ないのが現実なのだろう。

「したいことをする」といっても、それがお金がかかることならば、

お金にお金を稼いでもらう方法を考えなければならない。

ただ、退職後の「投資の失敗」は許されない。

よく考えなければ・・・