リクエストどおりに作っていただいて 実物はもっと綺麗だけど
真上から撮っちゃダメなケースだったみたい
菊 じゃないかもだけど 菊 と認識しただけで 心配にもなり


イイお値段するだけあってか 対訳が無料で付いて来た
ここはいつもそうか で 珍しく対訳を見ながら聴いた
コンタクトを強いのに替えて来るのをまたしても忘れて
せっかくの良席も3割減 だからというわけじゃないけど
音だけで充分に楽しめる私だけど
何が歌われているのか がわかると 当然だけど
音の受け取り方がより良くなると思った イマサラナニヲ
下を向きっぱなしにならないように チラッと見て頭に入れて
始まったら前を向く ように努めた なるべくいつも通りに
昨日私の代わりにオペラシティに行った相方に
半分冗談で エコノミー症候群になりかけた と言われ
素人じゃないんだから 文楽で鍛えられてるでしょ! と
叱ったのだが 私もうっかりなりかけたよ 危ない危ない

ドの付く素人耳だから勘違いだろうけど
ほとんどが今までで最高のマタイなのは間違いないとして
今ズレてない?って時があったんだよね
検索で出て来るのって好意的なコメントばっかだし
アラ探ししたいわけじゃない それに
ライヴってのは色々起こるわけで それも含めて
全部受け止めるから楽しいんだともわかってるけど
自分の勘違い 自分の勉強不足 なのかは確かめたい
けど 怖くて聞けないというのが正直なとこ

君様も パートナーが代わると色々変わるんだなー
なんて勝手に思った
君様が色々変えてるんだろうけど もちろん
同じマタイでも 毎年何かしら新しい 別のことに
挑戦というのか やってくれるところが本当に素晴らしくて
だから君様の演奏が違って聞こえるのも当然なんだろうけど

ともかく 凄かった ダメな表現だけど ホント凄かった
凄過ぎてくたびれるんで 年にいっぺんでいいやと思ってしまった
皆さん4日連続で演奏するなんて シンジラレナーイ

あれやこれや考え事しながらではあったけれど
今日はうまく 音楽を楽しめたと思う

そういうことを ド素人なりにこういうところが楽しめた
というような戯言を 聞いてくれる人がいなくなったことを
ここに来るたびに これからも 痛感するんだろうな と
一緒に食事したレストランを眺めながら
まだ飲めない私に付き合って ワインを止めてくれて
あの時恩師は 言葉ではないところで
何を思っていたんだろう


やっと読了 中断してからだいぶ経ってしまっていたが
他にやるべきことのない状況だったこともあり 意外に捗った

順調に読み進んでいた頃は
「世代」や「ジェネレーションギャップ」というものは
確かに存在し 私はそれらを 軽視とは言わないまでも
なるべく意識しないように 無いものとして捉えるように
振る舞って来た けど
それってやっぱりあって 無視できないんだなー
みたいなことを考えながら読んでいたように思う

差を意識し過ぎて溝になってしまうのは良くないにしろ
相手に敬意を払って それを含んで考える という努力を
ないがしろにしてきたような気になった

人生観については 共感できるところが多く
後半はストーリーそのものがおもしろくて
読み始めた頃に抱いた読みにくさは
さすがドイツ文学者!なんて思ったものだったけど
それも今日はまったく感じなかった
文体って 慣れるんだな そうか

長くて あれまた読んでみよ とはなかなかならないというか
だから読了まで相当時間がかかってしまったわけだけど
でもなんか また読んでみたい 次はもっとおもしろく読めるだろう


教授のコラムというのか いくつか載っているので読んでみた
私 先生(教授)の文章ってあまり読んだことないんじゃないか
なんというか とてもわかりやすい 私でもわかった気になる
大好きな先生の 一見わかりやすく読みやすいようで
読んでみるとめちゃくちゃ難しい!文章とは対照的
…悪い意味ではございません!(笑)
批評も文学だから わかりやすさで判断することではないので
ただ こういう文体を書く方だったのか~ と イマサラ

現役時代の私を 恩師がほとんど憶えていなかったように
教授には 私のことは忘れていて欲しいと思う
おそらく憶えていないだろうし 確かめるつもりも全くなく
ただ 部分的に 当時の自分を消してしまいたい


寝かし付けで寝てしまい やっと下りて来てテレビを点けたら
背番号17がゴールを決めたところで
そうだ 代表戦あったんだ とようやく思い出した
しかも そこからでは
それが何点目かわからず そのゴールの重要さがわからず
結果が出て ワタシテキにはあまり喜べない状況であることを
やっと理解するという

そもそも この家でこの私が23時に気付くなんて
数年前にはありえなかったことで
たまたま今日がそういう状況だったということを差し引いても
いかに家が変わって 壊れているか 自分でもよくわかった
それを悲しいとはあまり思えない自分を悲しいとも
思えなくなっている もちろんしょうがないことでもあるし

空白の23時間 遮断していた23時間
読書が数ヶ月ぶりに捗ったのは
息子を遮断していたから
私の対応の結果が 悪い方向に出ていることはわかっていても
相談したらおそらくそう言って来るだろう保健師さん達の
アドバイスどおりに出来るんだったら最初からそうしてるだろう

何を言っても聞かない 自分勝手 感情的 頑固
書いてみると 思春期の私みたい まさしく反抗期
これが思春期にまた振りかかって来るかと思うと
今から恐ろしい 私みたいな人間にはなって欲しくない
私の対応は 私の親のそれはだいぶ違ってるはずなのに
私みたい と感じてしまうのが怖い

相談してしまえば早いんだろうけど 億劫で出来ない
パソコンから携帯に送れなくなり 長文メールが書けない
電話は保険屋さんとくらい
ワードローブを変えようという気に ようやくなれたのに
結局また 引き戻される

ひとりで出掛けていいよ と言ってくれるけど
もともと私は ひとりで外出したことなどなかった
ドイツは例外で ひとりで動くしかない環境だったし
それまでは ひとり飯なんて絶対に出来ない人間だった
ずっとふたりで出掛けていた どこに行くにも
相方は忘れてしまったらしい

昨日の字幕版を録り逃し
今日の吹替版を息子と観た

期待以上におもしろかった
あれこれ深読みすることも出来るのかもしれないが
小説と同じように 描かれていることを素直に解釈して
自分らしく味わえば充分だと思う

吹替えは吹替えならではの魅力があるけど
私はやっぱり 出来れば字幕で観たい方
どの作品も 主役の声に違和感が 性格悪っ



今日のメインはこっちの吹替版だったのだが
初めての映画2本立てに息子は疲れ気味で
それでも絵本で大筋を知っているだけに
途中ダレながらも最後まで観ていた

コメントを聞いてると やっぱり理解できてないんだな
と思わざるを得ない場面が多く まぁ当然なのだが
「DVD焼きながらもう一度観よう」と言ったら
「いま観る~!」と言って聞かなかったので
彼なりに 何か気に入るものがあったのなら良かった

ちなみに3度目の私 ビンボンとこでまた泣いた(笑)
電車は順調 食事も堪能 久しぶりの定期公演
でも 出て来た君様が別人のように見えて
最初はどうしてもキモチがノッてくれなかった
休憩を挟んで すべてが 向こうもこっちも
通常営業に戻り(戻ったように見え)
やっと楽曲を楽しめるところまで来たのだけど
そもそも 数日前から 行きたくて行きたくてソワソワ
というのがまったくなく どっちかといえば億劫で
行かなくてよいなら行かないかも くらいの傾き加減
行かなくてよいなんて誰が決めるんだよ
とにかく 私自身の状態がよろしくなかった

何年も視聴させてもらってたサイトがリニューアルして
全曲視聴ができなくなり 自然と耳が遠退き 予習もままならず
予習する気も公演前日にならないと起きないほど
私の状態がよろしくなかったのが正直なところ

だから カンタータが始まって
君様の出番の多さと役割の重さからして
お花は必須だったと痛烈に後悔 これこそ後の祭り
息子預かってもらうのにも慣れて
時間的には充分余裕あったのに
気付いた時には日付が変わって公演当日
予約しそびれた というのは後付けの言い訳

何年も経って 良くない方の慣れ かもしれないが
せっかくライヴで聴いているのに
前ほどビンビンに感動できなくなった気がする
いつか絶対に聴きたい 君様のソロがあるカンタータを
いま仮に聴けたとしても ちょっと前のようには
ビリビリ感じられないんじゃないかと とても怖い


いや でも 独りでこれ食べてる時
単においしかったのもあるし
久しぶりにゆっくり食べられたこともあるけど
そうそう こういう時間 こういう自分 って
何かを取り戻した気はしたんだよね
食べ物で ってのが私らしくて情けないけど

いや やっぱり 今日の君様は何か違った
何年も見てるから 気のせいってことは無い
気のせいの方がいいんだけど 何もなければ

次はちゃんとお花持って行こう
やらずに後悔より やって後悔だ うむ

今日は吹替版をオンタイムで

息子にとっては映画初体験
90分もつだろうかという不安も
4,50分頃ちょっとダレてきた場面もあったが
最後までしっかり観てくれて よかった

しかし 当たり前だし仕方ないことでもあるが
「死」というものを理解していない息子は
おそらくそのために 怖がるかと心配したシーンも平気で
結局最後まで 観賞中は理解できなかったようなので
寝かし付けの絵本読みで 改めて説明してみたが
私だって 未だにうまく受け入れられていないことを
3歳の息子に理解させようなんて おこがましい

「泣いちゃうからお父さんは一緒に観ないで独りで観るんだって」
という笑い話を前後にしていたこともあるのか
観賞中は泣かなかった息子が
絵本の読み聞かせの最後 私が映画で泣いた場面で
少し泣いた
理解が深まったこともあるのだろう
映画でも物語でも 描かれていることを正しく受け取り
素直に感応できる人でいて欲しい
それを表に出さなくなる 出せなくなる日も来るだろうが