やっと読了 読みやすくはなかったが 最後までたどり着けて良かった

 

グラス本人の体験はもちろんのこと 彼の母親のくだりは

母として 娘として 胸に迫るものがあった

そこを読んでいた1月24日に お母様が亡くなった日が重なるという偶然

 

この作品を二度読む間に 私自身にとって大きな「告知」があり

もちろん「無事」だという告知であって 大変ありがたかったのだが

一度目と二度目とでは 作品世界の感じ方が多少違った

「距離」がある分 大きく違った というところまではいかなかったが

自らの生と死や 死の恐怖が消えた後の白状な「忘却」や

ともあれ この辺りの作品に増えるたびに

自らの人生を問うことになるのは間違いない

 

書きたいことが浮かんでも 実際に書くところまでいかなくなってしまった

今ここに書けることといえば

 

『ぼくの兄の場合』は 戦争の次の世代の

『玉ねぎの皮を~』は 戦争の中の世代の 私への問い掛けであって

私自身の立場とすれば 前者の方が近く 考えさせられることも多かったが

やはり後者の 最中を生きた人間の回顧には 到底かなわないようにも思った

 

公演から2ヶ月 毎日のようにCD音源を聴き続け

視覚を伴った 立体的な鑑賞体験が 徐々に

聴覚だけの 平面的なものへと戻っていくのが寂しかった

 

それでも 「次」を楽しみに待つのが正しいあり方なのだろう

あれこれ理由を付けて「第九」はスルーしてしまったが

やっぱり 聴きに行ってから後悔する方が良かったかもしれないな

 

さて 3週間で読み切れるだろか

 

賞を取らなければ手に取らない という自分を恥じた

2014年という年は BCJの定期を休んだくらい

どうにも身動きのとれない1年ではあったのだが

 

それと

その少し前までには確かに抱いていた 怒りや 不安や 恐ろしさを

2014年の時点で既に 忘れかけていたかもしれないことと

2018年の今 もちろん無かったことには絶対にならない でも

かなりのパーセンテージで 自分の中から消えつつあることも

本当に 恥ずかしいと思った

 

多和田さんの〈言葉遊び〉が 私にとっても

わかりやすく楽しい表れ方をしているなぁと感じた作品もあり

表題の「献灯使」は 作品世界がどんどん現れて来る構成力に

惹き込まれ でも最後は これはどういうことなのか

自分なりの結論が出ないまま 何度も読まないと無理だけど

 

ともかく 自分を情けなく 恥ずかしく思った

いったいどういうオチが待っているんだろう

今までの生き方からして

結果 何事も無く終わって めでたしめでたし なんてことが

このアタシにもたらされるわけがない

そう思いつつ でもどこかで

きっとそう終わると確信している自分もいて

この2週間 苦しかった

コンサートホールにいても 夢の国にいても

ママさん達と話をしていても

大きな引っかかりが 邪魔をしてきた

 

D という文字と 紹介状 という封書が

これほどの恐怖をもたらすとは 体験してみないとわからない

そういう書き方をしないと再検査に行ってくれないからだよ とか

再検査になった人の〇〇%は異常なしだったって書いてあったよ とか

相方は相方なりにいろいろ調べて励ましてくれたのだが

何が苦しいって 相方と息子を残して云々 ということ

突き詰めると それだけ とも言えた

あとは 自分のことは 記憶と思い出で何とかなりそうな気がしていた

 

こんなことも 何事も無かったから書けるのであって

そうでなかったら 何かを書くなんて行為すら 失っていたかもしれない

 

当日になると

さすがに肝が据わる 部分もあり

恐ろしくて震えそうになる 部分もあり

番号が呼ばれ やっぱりN先生じゃなかった~とちょっぴり落胆しつつ

淡々と進む検査 ドックより全然ラク 痛くない 速い

なんでもない もんだいない

 

えー

 

よかったよかった でオシマイにしてはいけない

恐ろしくて震えた 相方と息子を残して云々 ということが

いつでも 私にも 起こりうるのだという覚悟を持って

謙虚に 真面目に 生きて行かなくてはならない

私は初めて 自らの死と生を 自覚した

 

かつて ここを一緒に訪れた恩師のことを考えた

かつて ここからお通夜に向かった先輩のことを考えた

私は まだ生きて行けるのなら

もっといろんな 素晴らしい経験を積んで

いつかおふたりに その話をしたいと思う

それと たくさん守ってくれてありがとうと言いたい

 

義父が来る予定だった迎えに私が行ったら

どうも浮かない顔をしているので

おじいちゃんの方が良かった? と聞いたのだが

よくよく聞いてみると 思いがけず私が来たので感情が緩んだらしく

でもサッカーには行けないと言ったら泣かれてしまった

いつもは事細かに外出予定を説明するのに

今日は適当にはぐらかされて 何か感じ取っていたようでもあり

久しぶりに一緒に風呂に入って スパルタ算数で泣かされて

絵本も読まずに寝てしまった

子供に大声を上げられるって ありがたいことだけど

私ももっと 大人にならなければ

 

そして この2週間の苦しさを いつも覚えていなければ

舞浜3日間を挟んでも未だ止められない もはや中毒

 

どのように演奏されているかを視覚的に認識することによって

これほど魅力が倍増した楽曲はない

もともと好きだし 自分に合っていたんだろう

視覚的という意味では 見慣れた上からの角度の方が

セクシーに見えた気がするけど それはたぶん気のせいで

それよりも 前日までの

「御迷惑だったら」という心配を一気に吹っ飛ばす

去年に引き続いての大勘違いの可能性も否めないのだが

ともかく 一気に吹っ飛ばす事態が起きた

舞浜で写真を撮ってる人達がよく書いてる

「視線いただきました!!」とはこういうことを言うんだろうな

それまでは 極力逸らして来てしまったけど

この日は まっすぐ見つめたまま 拍手を送った

クリスマスオラトリオが終わってしまう寂しさから

大泣きしてしまいたい気分もよぎったが それは我慢して

笑顔で 拍手を送った

 

遡って 駅から会場へ急ぎ足で向かっていると

前方に 懐かしい鞄の持ち方をしてる人が歩いていて

それがまたもれなく素敵で 歩き方まで魅力的で

あ~素敵な要素って共通するんだな~ なんて思ってたら

君様じゃない!?!?

きゃ~ 無理~ ジーンズ×ダウンコート×ボサボサ髪

recognize されることはないとわかってても 無理!!!

思わずスピードダウン 人間距離をしっかりキープ とほほ

せめて演奏会の日だけは 自分なりに精一杯

たかが知れてても ガンバって行かなきゃダメだな とほほだ

 

そもそも何がキッカケだったの?

その人を探していたのかもしれない

その人を見つけたのかもしれない

似ているかと聞かれれば 今となっては全然似ていないし

惹かれるところも全然似ていない

でも やっぱり私は 何かを探していて 何かを見つけて

結果的に とても素晴らしい時間の過ごし方を手に入れた

 

本当にたくましくなった 天気が良く暖かかったこともあり

今回はカヌーに初挑戦 風邪をひいた私は見送っただけだが

苦労しながらも楽しかったらしい

怖がって入れなかったカリブの海賊にも乗れたし

ウエスタンリバー鉄道の恐竜も怖がらなくなったし

まさかタワーオブテラーもクリアするとは思わなかった

本人なりに怖い思いをしているんだろうが

私みたいに酔って気持ち悪くなったりはしないようで

ただ速いだけ ただ落ちるだけ と

機嫌が良ければ 言い切る

ただし タワテラはしばらくいい らしい そりゃそうか

 

色々と頑張らせたし

色々と我慢させたし

欲しがってるウッディとバズを買ってあげようかと思う

 

マナーの悪い人を恨んだり

無駄な待ち時間にイライラしたり

息子に怒鳴り散らしたり 出来るのも

終わりが見えていないからだ

 

 

松坂桃李さんとか 溝端淳平さんとか ここに来るなら

舞台も観に行ってみようかなと 初めて思った

こないだWOWOWで観た上川さんの舞台は

堺雅人さんが笑顔で人を斬りまくるんで怖かったけど

舞台って こんなに完璧に作り上げられてるんだ と

TEAM NACS を観ても実感したし

そろそろ 苦手意識もなくなってきたかなと

でもねぇ 舞台って チケット取れないんだよねぇ

 

せっかく生きているんだから 色々とやってみないとね

 

今日1日は 怖いこと考えないで過ごそう

一番手は店休 二番手は定休

受け取った時は うーんやっぱり三番手だなー なんて思っちゃったけど

よく見たらなかなか凝ってくれてた しかも今日の君様の衣装にピッタシ

これが御迷惑でないことを祈るのみ って心配なら止めりゃいいのにね

 

ドイツ語仲間だったマダムがハーフタイム全部使っておしゃべりしてくれた

そもそも何がキッカケだったの? うーん 見た目です とは言えない!

そもそものメサイアの話とか ライプツィヒの話とか

普段は誰も相手をしてくれない話が出来るというのは本当に幸せなこと

 

待ちに待ったクリスマスオラトリオ

ずっと耳だけだったのに目が入って 今まで聴こえてなかった音も聴こえた

こんなに君様が大活躍の楽曲は他にないんじゃないかな

ソロありデュエットあり あまりにステキでセクシーで

始まってすぐは感激のあまり涙ちょちょぎれてたくせに

途中から嬉しくて嬉しくて ニヤニヤが止まらなかった

しかも全編明るく 幸せな気持ちになる 作りも本当におもしろい

 

今まだここには書けない恐怖を抱えて

聴いている間は 一応それを忘れることが出来ていたわけだが

こんな風に感動するのは 裏にその恐怖があるからだということも

わかっていた

こんなに素敵な演奏をナマで聴けて もう思い残すことはない なんて

人生のゴールラインがまだ見えてないから言えることで

もし視界に入ってたら そんなこと 絶対に言えない

 

同じ日というだけでそんなに便乗しちゃいけないのかもだけど

かつて まだBACHのBも知らなかった頃から

まるで自分がお祝いされてるみたい♪ とウハウハしながら聴いてた

そんな能天気な楽しみ方を おばーさんになるまで続けられるといいな