私は年に多くて3~4回ほどしか実家に帰れません。
その度に父の認知症の症状が進んでいるのを感じていました。

今日が何日なのかわからない、何度も同じ話をする、お金の管理ができない、冬なのに上着も着ないで外に出て行く、年賀状の宛名書きを同じところで何度も間違う、メガネや時計をなくして(どこにおいたのか忘れて)しまう等々、今まで当たり前にできていたことができなくなっていく父の姿に、これからどうなっていくのかと不安が募りました。
それと同時に、父の介護を母一人にさせてしまっていることに申し訳ない気持ちでいっぱいにもなりました。

父は母や私に暴言を吐くことも多く、その言葉は認知症とはわかっていても深く心に突き刺さりました。
家族だからこそ許せないという言葉もありました。

低血圧なくらいだった母が高血圧の薬を飲むようになり、時にはご近所にも迷惑をかけるようなことも増えてきました。
父のことを「おかしくなったんじゃないか」と噂している人がいることも、自然と耳に入ってくるようにもなりました。

このままでは自宅で生活することが難しくなり、母が一人で介護することにも限界を感じる時がくるだろう、その時のための対策を考えなければと思い始めた矢先、父の膀胱がんが見つかったのです。
認知症と診断されてからも、父の要介護認定の申請はしていませんでした。
その理由は、母曰く「認定を取っても、自分には必要ないとディサービスに行こうとしないだろうし、そもそも要介護認定の人が来たら怒り出すと思う。」

父は記憶力や見当識、判断力、実行力などの中核症状はもちろん、些細なことでイライラしたり怒り出したりすることも多くなり、今まで自分から進んでしていたこと、例えば庭の雑草取りや新聞を時間をかけて読んだりということもなくなってきました。
いわゆる、行動や心理に関する周辺症状です。

しかし、こういった症状はあっても生活に大きな支障はなかった(ないものと思い込んでいたのかもしれませんが…)ことが、認知症だけではなく膀胱がんの進行も進めてしまうことになろうとは、その時は考えもしなかったのです。


父が認知症であると医師から診断されても、母はその事実をなかなか受入れることはできませんでした。
その頃はまだ、もの忘れの症状はあるものの日々の生活にさほど支障はなかったからです。

そのため、以前よりも少しずつ物忘れが進んでいく父に、母はどう対応して良いのかわからなかったのでしょう。
ついついキツイ言葉を使ってしまうこともありました。
ストレスがたまり、イライラすることもあったようです。

しかし、父はその原因も理由もわからないし理解もできません。
父はもともと人への気遣いが苦手で、 おまけに短気で自分勝手な振る舞いをすることも多い人。

それでもこの頃は、母もまだ介護の現実を感じることはなかったようです。