河童の謎 | サタンのブログ

サタンのブログ

ブログの説明を入力します。

(1)妖怪論

 日本では、昔から人知の及ばないところに、何か得体のしれないもの、素性が不確かなのもの、曖昧模糊とした謎の生き物が住んでいて、人間界と一線を画しながら、一緒に共存していると思われてきた。彼らは、闇の世界の住人である。姿は見えないが、気配だけがする。古の人は、それを「物の気」と呼んできた。物の気が近寄ってきたとき、何かの拍子に、その気配を見てしまうことがある。その瞬間、物の気は「物の怪」となる。これが妖怪である。人間の知覚が及ばない世界から、物の気は妖怪という姿を取って、現れるのである。妖怪は異界と接する所なら、どこにでも現れる。中でも、川や沼や池といった水が沢山ある所に出てくるのが「河童」である。河童は水辺の妖怪なのである。

{709372AF-27A1-47FA-9DFE-2E4AF9549AE3:01}

 河童は、カエルにイメージが似ている。体の色も緑色が多い。九州では山に登った河童は色が赤いともいい、岩手県遠野の河童は、赤い色をしているという。河童のシンボルは、頭のお皿である。常に水がたまっていると言われている。この水は命の水であり、彼らの生命力の根源である。河童の顔は、愛嬌がある。人間や家畜を水の中に引きずり込む恐ろしい妖怪ながら、間抜けで、へまをしてはすぐ謝る。どこか憎めないのである。一般に、河童の顔は緑色をしている。目は大きい。カエルやトカゲの目のようにどんぐり眼である。丸い目に白目はなく、大きな瞳がらんらんと輝いている。耳は、ほとんどない。鼻は尖っている。口は犬のようであるが、クチバシが描かれる。河童の首は、それほど長くない。しかし、獲物をとるときにいきなり首が長く伸びるのである。河童の定番である甲羅は、必ずしもあるというわけではない。体毛のある河童は、甲羅を背負っていない。生殖器のそばに尾と肛門がある。尾は短く、5~10センチ程度。肛門はあるが、カエルやイモリのように生臭い。体臭がきつい河童であるから、屁も臭い。あまりの臭さゆえ、人間が失神したり病にかかったりするほどである。河童の手足は長い。両腕を下げると、手のひらは膝のあたりまでくる。手足の指の間には、膜があり、水かきとなっている。手の指の数は4本が基本である。中には3本や5本のものもいる。足の指は3本がほとんどである。形としては、アヒルの足に似ている。河童の特技は、泳ぎである。お皿に水がある状態では、ものすごい力を発揮する。河童には、人間の能力を超えた、超能力なるものが備わっている。まずは、テレパシー。人間の考えていることを読むことができる。次にに透明化出来る。体を透明にして、周りから見えなくさせることができる。河童は変身もできる。しばしば、人間の姿に化けて、いろいろな悪さをする。最後に、人間に憑依することもある。河童憑きという現象である。河童の苦手は、ひょうたんである。ひょうたん沈めがトラウマになっている。天敵は、僧侶である。僧侶が行う加持祈祷に弱い。悪さをする河童も、仏様の前ではおとなしくなるのである。河童の好きな食べ物はきゅうりである。花のついた先っぽには目がない。

 妖怪は、本来神であった。それが時代の流れと共に、権威が失墜し、零落して、妖怪になり下がったというのが柳田國男妖怪論の基本テーゼである。当初、龍神として畏怖されていた水神も、その正体が暴かれ、ついには河童という妖怪に零落してしまったのだという。河童は「カワワラワ」→「カワワッパ」→「カッパ」と転化した説明されるが、現在では、河童の別名の一つ「河伯(かはく)」の中国読み「カッパ」に由来するというのが河童学の定説になっている。つまり、「河童=カッパ」とは、「河童=カワワラワ」と「河伯=カッパ」の混成後であり、成立は比較的最近のことである。

 「妖怪は零落した神である」と述べたのは民俗学者・柳田國男である。これに対して、民俗学者の小松和彦氏は「妖怪を零落した神だと位置づけると、歴史から闇に隠された重要な部分を見落としてしまう危険がある。妖怪の中には、妖怪とされた人間がいる。妖怪は神ではなく、もともと人間であった。何かの理由で妖怪とされてしまった人々が存在する」というのである。小松氏は、具体例として、河童の藁人形奇譚を挙げ、これに類似した説話を指摘する。河童研究家の大野桂氏は著書「河童の研究」の中で、こう述べている。「河童イメージの背後には、土木・治水工事に携わる下積みの「川の民」の姿が見える。河童が異界の者であるように、これら疎外された川の民は異人なのである」 つまり、歴史の中で疎外され、差別された川の民がいつしか河童と呼ばれるようになり、河童の属性の一部に成った可能性は否定できない。

 

{5B31A59A-06A7-48F0-BAAC-69484F2207C0:01}

水蛭子は、イザナギとイザナミの間に生まれた最初の子供である。水蛭子が零落して河童になった。長崎の諏訪神社の境内にある水天宮では、河童は水蛭子の使いであるという伝説がある。水蛭子が河童であるという事実は、同時に、体が不自由なばかりに捨てられた子供の怨霊が河童であることも意味している。生まれてくることを望まない子供は、堕胎される。生まれたとしても、すぐに処分されてしまう。河童研究家の小島昭生氏は、遊女が堕胎したり、産み落とした子供が川に流され、それが河童になった可能性を指摘する。

(2)未確認動物UMAグレイ論

 河童研究家の多くは、河童を妖怪だと考えている。妖怪は想像上の産物で、あくまでも民俗学の一分野としての扱いというのが基本スタンスである。岩手県遠野では、実際に河童を目撃した人間が存在する。その目撃情報を基に遠野の河童像をまとめると次のようになる。

①身長は約60センチ。全身が赤みを帯びた黄色の体毛に覆われている。

②目はキョロッとしており、黒目。耳はなく、眉のあたりに長い毛が生えており、水から上がると、それが頭に貼り付いたようになり、目のあたりから逆さに生えた毛と合わさって、皿状に見える。

③肩はなで肩で、手足には水かきらしきものがある。

いずれも、一般に知られるている河童像とは微妙に違う。少なくとも甲羅はない。学術的には認められていないが、河童は実在する。妖怪や聖霊ではなく、この世に確固たる肉体を持った動物である。いわば、未確認動物UMAである。UMA河童の身長は約1メートル前後。甲羅はない。体毛はあるものとないものがある。体の色は、圧倒的に赤が多い。頭部に関しても毛髪の濡れ具合と、頭頂部が薄くなっているので皿のように見えるだけのことである。手のひらと足のひらには水かきがある。手の指は4本で、足の指は3本であり、特に足は水鳥のようで、足跡は三角形のようになる。また、指先には爪がある。性質としては、臭い。体中が粘液で覆われていると思われ、それが独特な臭いを発している。運動能力だが、瞬発力が強い。驚異的なジャンプ力を誇り、相当な高さも乗り越えることができる。人間の気配を感じると姿を消す。水中では、かなりの早い速度で泳ぐことができる。その他に、何かしら光を発することがある。

{1327BB1C-8BF4-4BBC-A04D-CC4D6EA7921D:01}


1940年代、アメリカのミシガン湖畔で捕獲された4匹のグレイは、オハイオ州のライトフィールド陸軍航空基地へ搬送され、第32番倉庫に特殊な檻ごと格納された。基地では厳重な管理体制が敷かれた。檻には厳重な鍵をかけ、倉庫を密室化し、さらには屈強の番兵まで配置した。ところが、厳重に隔離されていた4匹のグレイのうち、2匹の姿が消えてしまったのである。事実が発覚すると、基地内に緊急指令が発布され、逃げたグレイの一斉捜索が始まった。その結果、間もなく1匹が見つかった。発見されたときは、かなり衰弱していた。そのため、捕獲は比較的容易であった。脱走した2匹のグレイは、オスとメスだった。最初に発見されたのはオスであった。まだグレイの生態がよくわかっておらず、メスが狂暴であり、プラズマを発生させることも分かっていなかった。これが悲劇を生む。しばらくして、一人の男の遺体が発見された。確認すると、マイケル・ロベット軍曹だった。ロベット軍曹は全身から血をすべて吸い取られ、体を裂かれて、肝臓が抜き取られ、無残な姿になっていた。犯人は、メスのグレイだった。間もなく、メスのグレイは発見され、ガス弾の集中攻撃で気を失ったところを再び捕えられた。その後、4匹のグレイは地下の防空壕に移動させられ、そこで鋼鉄の板で厳重に囲い込んだという。脱走したオスのグレイの衰弱は、かなり激しく、事件後から2日後に死亡した。死体は解剖に回され、そこで詳細なカルテが作られた。グレイに殺されたマイケル・ロベット軍曹だが、アメリカ軍が正式に認めた最初のヒューマン・ミューティレーションの犠牲者であると「M-ファイル」に記されている。

*「M-ファイル」とは、元NSAの高官ブルーム・マッキントッシュにより飛鳥昭雄氏にもたらされた極秘情報のことである。M氏はアメリカ軍の隠蔽体質に我慢が出来なかった一人である。M氏は、自分が死んだ後、1年を待ってこれらの極秘情報を公開するようにと飛鳥昭雄氏に依頼した。M氏の名にちなんで「M-ファイル」と呼んでいる。

 「M-ファイル」によると、数あるUFO事件のうち、ほとんどはフェイクであるという。本当に起こったUFO墜落事件は1947年7月の起きたロズウェル事件だけである。アメリカ軍は、墜落したエイリアンを見て、日本人が攻めてきたと思ったという。エイリアンの正体はモンゴロイドであり、日本人と同じ遺伝子を持っていたからである。そのため、世界最強と自他ともに認めていたアメリカ軍が、こともあろうに、モンゴロイドのUFOによって領空侵犯されたばかりか、立った一発の攻撃も与えることができなかったのである。アメリカ軍というより、アメリカ政府首脳は、全てを極秘にすることを決定した。厄介なのは噂である。そのため、噂を逆手にとって、アメリカに生息するグレイと呼ぶ動物を異星人に仕立てたのである。アメリカ軍は、UMA河童グレイを徹底的に探し出し、生け捕りにする作戦を開始したのである。

 「M-ファイル」によると、UMA河童グレイは両生類であるとしている。グレイは、巨大なカエルのような生物だったのである。グレイが、両生類として特異なのは、直立2足歩行をするという点である。現在、直立2足歩行をするのは哺乳類と鳥類だけである。グレイの心臓には心室中隔が存在し、哺乳類と同様に「2心房2心室」になっている。グレイは声で互いに意思の疎通を図っている。ただし、頭がでかい割には、言語能力はないと「M-ファイル」には記されている。

 UMA河童グレイも基本的には、包接によって体外受精する。(包接とは、両生類が水中で交尾することである。水中でメスが産卵すると、そこにオスが精子を振り掛けることで受精する。いわゆる体外受精である。)UMA河童グレイも、カエルのようにオスがメスの背中に乗るような形となる。この時、オスがメスをお腹の下に抱きかかえるように、両腕でしっかりしがみつく。この後、精包から精子を押し出し、メスが性器であるクロアカに取り込むことで受精が完了する。これはカエルより、サンショウウオに近い。これが河童の相撲ではないかと思われる。発情期になったオスのUMA河童は、自分と同じ姿形をした人間をメスと勘違いして、しがみついてくるのではないだろうか。抱きつかれた方は、相撲と勘違いしているだけで、河童にしてみれば、必死に包接しようとしているかもしれない。河童は、よく尻子玉を抜くと言われる。ぬいた尻子玉は河童の好物でこれを食べるとも言われている。尻子玉自体は、架空の臓器であり、水死体の肛門がぽっかり開いている様子を見た昔の人が、尻子玉を河童に取られたせいだと考えたらしい。河童が集めていた尻子玉というのは、UMA河童の卵ではなかったか。この光景を目撃した人間が勝手に思い込んでしまった可能性がある。

{D0B7FF59-A3F0-4493-BA08-9A2EE01DF8C6:01}

 4匹のグレイのうち2匹が特殊な檻ごと格納された倉庫から脱出したのは、グレイがテレポーテーションした可能性がある。障害物をすり抜けて、瞬間的に移動する能力をUMA河童は持っているかもしれない。物体だけをプラズマで包んでも、壁を透過させることはできない。しかし、障害物である壁の方もプラズマで包むと物体は透過してしまうのである。プラズマには「特異点φ」があり、「特異点φ」を維持しながら、自らの体を包めば、空中飛翔ができる。この状態で、障害物の方にもプラズマを発生させ、そこに突進すれば、障害物をすり抜けることができる。密室状態への侵入や脱出も可能である。プラズマは、亜空間を作り出す性質がある。プラズマに包まれた物は、この3次元世界と重なるようにして、もう一つの別の3次元空間に存在することになる。アメリカ軍は地球内部の亜空間に存在する、もう一つの別な「天体」を確認している。

(3)ユダヤ教神秘主義カッバーラ論

 原始キリスト教には、信徒がユダヤ人であり、ユダヤ教の戒律や風俗、習慣を守っていたという以上に、ユダヤ教神秘主義カッバーラの存在がある。カッバーラとは、ヘブライ語で「受けること」を意味する。絶対神から一方的に与えられる叡智を示す。巷では、カバラと称して、タロット占いや、占星術、姓名判断、魔術などのオカルトが氾濫している。しかし、これらは、本来のカバラ、すなわちカッバーラとは全く次元が違う低俗的なものである。ともすれば、ケリッポトと呼ばれる闇の世界に身を落とすことになる。それだけに危険な代物なのである。それゆえ、カッバーラは一般の人間からは隠され、代々、預言者のみが扱い、奥義を継承してきたのである。カッバーラがユダヤ教の密教と呼ばれるのはそのためである。表の顕教とは全く違う世界がそこにはある。

 聖書には多くの象徴が散りばめられている。原始キリスト教には、これらを読み解くカッバーラが教義として存在していたのである。エルサレム教団が聖地エルサレムを離れ、極東の日本に向かったのは預言に従ったからである。預言者がエルサレム教団を導いたのである。カッバーラを手にした預言者がユダヤ人キリスト教徒を導き、アジアまでやってきたのである。秦氏を率いてきたのは弓月君(ゆみずきのきみ)である。

 「生命の樹」において、最も重要のものは、3本の柱である。柱が3本あるということは、絶対神が3人存在していることを意味する。それを象徴しているのが、イスラエルの「三種の神器」である。契約の箱の中に、マンナが入っている金の壺(マナの壺)、芽を出したアロンの杖、モースの十戒石板がある。これは、三種の神器で示された3人の絶対神が「契約の箱」に示される一つの世界を構成していることを象徴している。

 絶対三神唯一世界の奥義を公開した人物がイエス・キリストである。イエスは、この世に絶対神が3人いることを「御父と御子と聖霊」という表現で明らかにしている。現在のキリスト教は、実質的に唯一神であるという「三位一体」の教義を考え出した。しかし、それはカッバーラの奥義から大きく離れてしまうのである。

{924AB800-1848-4A7B-B6CC-B31719869C20:01}


 エルサレム教団は預言者を抱き、カッバーラを手にしていた。日本に渡来してきた秦氏の思想の根幹にあるのはカッバーラである。大和朝廷の基礎を築いた秦氏の思想は、「陰陽道」に反映している。陰陽道とはあらゆる事象を陰と陽の対立補完構造として読み解くことに最大の特徴がある。陰陽道の護符図形としては、「セーマン・ドーマン」が有名である。「セーマン」は安倍清明の名にちなむもので、五芒星を描く。「ソロモンの星」として知られる神秘図形である。「ドーマン」は芦屋道満にちなんでその図形は格子模様の「九字」である。世間に露出している呪符は、みな表の陰陽道である。表が陰陽道なら裏は「迦波羅(かばら)」という。迦波羅とはカッバーラのことを指す。

 さて、表の陰陽道の呪符は「セーマン=五芒星」「ドーマン=九字」と、いずれも奇数である。これに対して、裏の迦波羅では偶数を基本とする。つまり、表に1を足せばよい。すると、セーマン=五芒星は「裏セーマン=六芒星」となり、ドーマン=九字は「裏ドーマン=十字」となる。六芒星は「ダビデの星」となり、十字はキリスト教のシンボルである。つまり、迦波羅の呪符「裏セーマン・裏ドーマン」は六芒星と十字の組み合わせであり、意味するのはユダヤ教とキリスト教である。これは、ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏が迦波羅を握っており、同時に迦波羅は秦氏であることを端的に示しているのである。

 迦波羅はインドでは「カパーラ」といい、「皿」を意味する。カッパという名称が河童の象徴である頭の皿=迦波羅を指している可能性はある。河童は人や家畜の尻子玉を取るというが、これは「尻取り」遊びを暗示している。迦波羅の尻「羅」を取れば、残るは「迦波」である。これがカッパと読まれた可能性もある。河童のお皿は王冠を意味する。カッバーラの視点からすれば、絶対神から選ばれた預言者として、栄光ある姿を表現している。河童の場合、頭のお皿に注がれるのは水である。これは「生命の水」である。河童が背負う甲羅にも重要な意味が込められている。河童は迦波羅を背負っているのである。これは「生命の樹」を背負ったアダム・カドモンである。甲羅は亀の特徴である。中国の「尚書(しょうしょ)」によると、大きな亀の甲羅に記号が刻まれていて、それが数を表していたようであった。それが1から9までの数字で魔方陣の配列になっていたのである。道教では、この魔方陣を「洛書(らくしょ)」と呼ぶ。これは易は勿論、四柱推命や奇門遁甲などにも使われている。カッバーラでは、数の秘術を「ゲマトリア数秘術」と呼ぶ。ゲマトリアにおいて、数字は1桁しかない。1桁になるまで、各桁の数字をすべて足していく。(私も誕生日占いで1桁変換を行っている。)亀の甲羅に刻まれた3次魔方陣は数秘術で表現された「生命の樹」に他ならない。河童が亀の甲羅を背負っているのは、すなわち「洛書」を背負っていることを意味する。

 古事記によると、原初には混沌だけがあり、そこからひとりでに「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」と「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の三神が誕生したという。これが造化三神である。神道は八百万の神々というが、それらの頂点には造化三神が君臨する。造化三神の正体は絶対三神である。その対応を示す場次のようになる。

天之御中主神=御父=エロヒム

高御産巣日神=高木神=御子=ヤハウェ=イエス・キリスト

神産巣日神=聖霊=ルーハ

呪いの藁人形は、闇の陰陽道「左道」である。なぜなら、それを行った人間の身をも滅ぼすからである。河童が藁人形から生まれたというのは、呪いの藁人形から生まれたことを示している。藁人形から生まれた河童の正体は、イエス・キリストなのである。河童は全人類の救世主・イエス・キリストだったのである。

 カッバーラの象徴が河童という妖怪に次々と付加されていった点にある。迦波羅が河童に目を付けたのは、河童という存在があったからである。現実的な存在として河童は実在したからである。