今年4月~6月にかけて、陸前浜街道を水戸から宮城県坂元まで歩いた。続きは秋かなと考えていたうえ、7月に母が亡くなった後の種々の手続きも一段落したので、このシルバーウィーク明け頃を考えていた。が、台風25号が関東に接近し、宮城県付近にも影響あり。天気予報とにらめっこし、タイミングを窺った。
26.9.22(火)
当初予定より1日前倒しで出発。シルバーウィーク中だが、ホテルをゲットできた。これも台風の影響かな。昼過ぎ、盛岡の自宅を出て東北自動車道を南下。JR常磐線亘理駅前のビジホへ。トリップメーターで 213.7km。
26.9.23(水)
ホテルで朝食を取った後、目の前のJR亘理駅へ。この駅は初めてだな。7:49 の上り電車で坂元駅へ。陸前浜街道歩きの残りは、坂元から岩沼までの約27km。1日で歩けない距離ではないが、3か月ぶりの旧街道歩きなので、2回に分けた方がいいだろう。中間地点付近はJR常磐線から少し離れているので、比較的駅に近い亘理で区切ることにした。そんな訳で、この日歩く予定ルートは坂元から亘理までの約16km。
↑この日歩いたルートと写真など
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紙で持ち歩いた白黒地図はこちら
8:10 6月14日以来となる坂元駅から、この日の街道歩き開始。津波に流される前の旧坂元駅はここから 800mほど東にあったようだ。
坂元駅前いちご直売場
駅前にはいちご直売場があった。山元町はいちごの産地で知られている。
8:20 陸前浜街道に合流。この日の陸前浜街道はここからとしよう。
8:36 常磐線の高架が見えた。津波で流された後、山側に移設された区間は高架が多いようだ。
ヒガンバナ
この日は秋分。秋の彼岸。
9:05 合戦原遺跡の標柱を見かけたので、立ち寄ってみた。
山下駅への標識
9:54 山下駅への標識があった。地図で見ると、現在の山下駅はここから 800mほど東にあり、津波に流される前の旧山下駅はそこから更に東に 1kmほどのところにある。この標識はいつ建てられたのかな。新旧どちらの山下駅への標識かな。
10:00 そろそろ小用を足したいと思っていたら、左側に神社の鳥居があった。ここで用を足せそうだ。
當護稲荷神社近くのトイレ
神社の隣に男子用のトイレがあったが、クモの巣だらけで、用を足す前にクモの巣をウォーキング用のステッキで巣を払った。小用の後、當護稲荷神社へ行ったら80代くらいの男性が、敷地の清掃作業をしていた。鳥居の前には自転車が駐めてあったが、この男性の自転車だろう。地元の人の清掃奉仕だろう。
「蠶様」碑
當護稲荷神社の敷地内には「蠶様」と刻まれた石碑があった。繭を作って蛹になったカイコを、人間は茹でてほぐして絹糸を採り、茹でられて死んだ蛹は、砕かれて家畜の餌にされたそうだ。昔の人は他の生き物に感謝の念を込めて、こういう慰霊碑を建てたんだね。こういうところは現代人も見習うべきである。
10:19 コイン精米機3台
水田地帯ではよく見かけるコイン精米機だが、3台も並んでいるのは初めて見た。
11:02 予定ルートから外れたのに気づき、引き返した。引き返した少し先の土手には「立入禁止」の表示。通れそうだったが、やめておいた。迂回したら、立入禁止の土手はハス田の土手だった。
南側のハス田
ハス田は南北2つあり、南側の土手は立入禁止だったが、北側は車道で通れた。
11:19 亘理町に入った
11:25 中原窯跡と書かれた標柱があった。このあたりは窯跡の遺跡が多いな。何でだろう? 良質な粘土が採れるとか?
東京から324km
12:19 造り酒屋があった。
その先、亘理要害に立ち寄ったら、亘理要害本丸跡の解説があった。解説によると、仙台伊達藩が薩長新政府軍に降伏調印した場所とのこと。
トラヤの琺瑯看板
亘理要害からもどり、12:40 トラヤというホルモン焼きの店に、琺瑯看板が多数掛けられていた。昭和レトロかな。
12:48 陸前浜街道から右へ折れ、亘理駅前のホテルへ。この日の陸前浜街道はここまでかな。13:10 駅前のビジホに到着。歩き始めから 18.3km,28,530。
















