陸前浜街道9日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

一つ前の記事に書いたとおり、陸前浜街道の続きをいつにするか少し思案していたが、東北の梅雨入りは未だで、気温もまだ高くなかったので、天気予報を見ながら、6月中に少し歩くことにした。

26.6.11(木)
盛岡の自宅を出て福島県南相馬市へ。原ノ町駅前のホテルにチェックイン。

26.6.12(金)
この日の天気予報では昼頃に急な雨があるとのこと。降水確率も高かったが、この急な雨さえしのげば、他の時間帯はさほど降らないらしい。少し迷ったが歩くことにした。

JR原ノ町駅から常磐線で浪江へ。原ノ町、浪江両駅とも初めてである。両駅ともJR東のスイカ対応駅だが、原ノ町は仙台エリア、浪江は首都圏エリアなので、原ノ町⇔浪江間をスイカで乗ることはできないとのこと。切符を買って乗車した。
浪江駅のスイカ改札では、4~5人のグループの何人かが何でダメなの? と言い、同じグループの1人がエリアを跨ぐのでダメなことを説明していた。やはり間違えてスイカで乗る人がいたか。

 


↑この日歩いたルートと写真など
→地図が表示されない場合はこちら
紙で持ち歩いた白黒地図はこちら

 

9:10 浪江駅からこの日の街道歩き開始。帰還困難区域以北の陸前浜街道歩きは当初、浪江駅前からまっすぐ街道に出た地点と考えていたが、南の帰還困難区域の方へ少しだけ行ってみた。

 

高瀬川の橋の土手から
写真の山の裏あたりは帰還困難区域らしい

 

9:22 高瀬川の橋に着き、ここから北上。ここをこの日の陸前浜街道歩きスタートとしよう。少し変かな。

 


震災前の浪江町新町商店街解説


9:33 遠くで雷鳴がしてきた。急な雨が近いかも。震災前の商店街の解説があった。

 

ホタルブクロ

 

戊辰戦争殉難の碑

 

9:55 戊辰戦争殉難の碑を過ぎて5分ほど後から小雨が降り始めた。10:20 農家の作業小屋の屋根下を借りて雨宿り開始。けっこうな土砂降りになってきた。天気予報どおりだから、これは折り込み済み。スマホで雨雲レーダの情報を見ながら30分以上待ち、10:55 小雨の中歩き再開。

 

11:30 JR桃内駅のトイレを借りた。ここでも数分雨宿り。

 

常磐線の陸橋 桃内駅の少し北

 

12:40 小高駅前「めざせ殿様食堂」で昼食。浪江駅から 17,501歩、高瀬川の橋でUターンしてから11.0kmほど。13:10 昼食後歩きを再開。雨はすっかり上がり、陽が射し始めていた。

 

やや古い橋

 

13:30 やや古い橋を2つ渡った後、旧道の入口に差しかかったが、旧道と言うより民家への階段に見えた。ここは迂回。
その先にも旧道区間があり、短いながらも山道になったが、グランド脇を通る山道だった。あまり使われていないようなグランドだったが、脇の斜面では3人ほどが草刈り作業をしていた。旧道と思われる道は途中で途切れ、引き返し。草刈り作業員に会釈して、14:03 県道に出た。

 

道標

 

14:23 傾いた道標があり、「向、右 小高町至約一里、左 原町至約一里半」と書かれていた。
15時頃、溜め池脇の道を通った後、続きの道を間違え。引き返した。

 

檻わな

 

15:28 檻わながあった。大きさから見て、クマ用ではないだろう。この辺りではクマの目撃情報はないらしいが、クマに遭遇しませんように。

 

道標

 

15:30 道標があり、「安政七庚申 妙見社 八幡社 道」と刻まれていた。江戸時代の道標でも、こういう書体なら私でも読める。

 

相馬野馬追祭場地の碑

 

15:55 相馬野馬追の会場脇を通過。野馬というからには、昔は野生の馬がいたんだろうな。会場脇には空間放射線量計があった。

 

小林眼科醫院

 

16:20 やや古い建物の眼科医院があった。この医院前でこの日の陸前浜街道は終わり。昼食後は 11.7km。右へ折れ、原ノ町駅前のホテルへ。途中のコンビニでこの晩のビールとつまみを購入。16:40 原ノ町駅前のホテルに到着。昼食後は 20,141歩。