陸前浜街道4日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

26.4.25(土)

泉駅前のビジホを出て、JR常磐線の上り電車で磯原へ。8:20 磯原駅からこの日の街道歩き開始。駅前のからくり時計を見られるタイミングはなかった。

 

↑この日歩いたルートと写真など
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印刷して持ち歩いた白黒地図

 

8:27 国道6号線、陸前浜街道に出た。

 

大北川河口

 

国道の歩道は殺風景だったので、並走する大北川の堤防を短区間歩いた。堤防から戻ったところに野口雨情の歌碑があり、グーグルマップには「徳川斉昭公歌碑」と記載されているが、歌碑を読むと雨情の碑のような気がする。それとも隣の碑が斉昭公歌碑なのかな。正確なことはわからない。

 

野口雨情生家入口

 

8:45 野口雨情生家の前に着いた。入口の看板の隣には「のぐち歯科」の看板があったが、その歯科医は雨情の親戚とか末裔だろうか。

 

野口雨情生家

 

吉田松陰遊歴地碑

 

8:52 吉田松陰遊歴地の碑に立ち寄った。5年前の21年9月20日に、奥州街道の蟹田から平舘まで歩いた時、「吉田松陰乗船の場」の前を通ったが、このあたりにも来ていたんだな。

 

津波浸水高の碑

 

松陰遊歴地のそばには、東日本大震災の津波浸水高を示す碑があった。


北茨城市歴史民俗資料館・野口雨情記念館の前に着いたのは 9:00少し前。開館時刻は 9:00だったので、1~2分ほど待ち、この日最初の入館者となった。25分ほど見学。

 

シャボン玉飛んだ

 

資料館の前には雨情の銅像があり、向かって左にはシャボン玉飛んだの像があった。人感センサが働くと、シャボン玉飛んだの曲が流れ、像からシャボン玉が出て来る仕組みになっていた。

 

シーサイドホテル前の島

 

通りゃんせの像

 

国道6号沿いに「通りゃんせの像」があった。「通りゃんせ」も雨情の作詞なんだな。

 

神岡一里塚

 

10:12 草に埋もれかかった神岡一里塚の碑を見つけた。標注や解説板がなく、見落としそうだった。

 

神岡一里塚の碑


国道6号の反対側で、近くに横断歩道もなかったが、片側1車線の区間で、車の途切れるのを待って、一里塚に行った。


陸前浜街道のルートは森塚良郎氏のブログ「日本の街道地図一覧表」で調べたが、そのうち「茨城 03-01 岩城相馬道」によると、茨城・福島県境付近の陸前浜街道は2ルート記載されている。11:30 その2ルートの分岐点に着いた。八坂神社の前の上野村県道踏切で分かれている。

 

踏切から旧街道北西側ルートを望む。

 

北西側ルートはJR常磐線で遮られているようなので、踏切を渡って南東側ルートへ進んだ。

 

倒木で騒ぎ

 

11:43 おばさまがたが4人ほどいて、何か話していた。会話を聞いたところ、どうやら山の木が駐車スペースに倒れて来た直後だったようで、どうすべきか話していた。こういうことに遭遇したのは初めてのような気がする。まあでも、物損や人身事故がなくてよかったですね。

 

鮟鱇の看板

 

11:52 平潟漁港へ下る途中に鮟鱇料理の看板があった。このあたりは深海魚のアンコウが特産だな。11年前の 2015年2月11日、ここと同じ茨城県の大洗にあるかんぽの宿で鮟鱇の肝を食べたが、それ以来アンコウは食べてないな。まあ、値段の高いものなので、頻繁に食することはできない。

 

鮟鱇モニュメント

 

平潟漁港には鮟鱇のモニュメントがあり、その近くには東日本大震災による津波の浸水高を示す碑があった。

 


津波浸水高碑

 

ここから7~8km南には六角堂があり、震災前に一度行った記憶がある。津波で流され、その後再建されたそうだ。
また、近くに特攻艇格納壕跡があるらしいので行ってみたが、どこかはわからなかった。神風特攻隊だの人間魚雷回天だの、まともな作戦などではなく愚かな自暴自棄に違いない。

12:15~ 平潟漁港前で昼食。歩き始めから 11.9km,19,041歩。刺身定食は売り切れたとのことで、魚フライ定食を頼んだ。13:00 昼食後、歩きを再開。


4月に大阪・枚方市に泊まって西国街道を歩いた影響だろう、PCで「ひらかた」をかな漢変換すると「枚方」と変換されていたが、この記事を書いているうちに「平潟」と変換されるようになった。

 

縣界標

 

13:09 縣界標の前を通過。茨城県から福島県に入った。

県境付近の旧街道は2ルートあることを前述し、南東側ルートを歩いたが、北西側ルートには勿来切通があるそうだ。13:23 勿来切通入口の標識があったので、切通に立ち寄った。途中から山道になったが、山道の区間は数百メートルほど。

 

勿来切通

 

13:30 勿来切通に着いた。いったん南下して茨城県側に進み、山道を出た後、同じ道を引き返した。

 

勿来関入口前の島

 

勿来関入口

 

13:45 勿来関の入口付近を通過。勿来関跡には 20年以上前に行ったことがある。「勿来」とは「な来そ」「来ること勿れ」という意味で、ここから先は化外の地だから来るな。というように受け取れる。まあ、東北・奥州蔑視の地名には違いないだろう。

 

後発地震情報


14:00 道路情報の掲示板に、後発地震情報が表示されていた。今年 4月20日発令の後発地震情報、1週間継続とのこと。

 

松の木

 

14:30 変わった形の松の木があり、倒れないよう支え棒もあった。道路もその木を避けて通っていた。何か、いわれのある松なのかな。解説板などは見当たらなかった。

 

いわき七浜海道

 

松の木のそばの路面には「いわき七浜海道」と書かれていた。サイクリングコースなのかな。

 

江戸期中田村絵図

 

14:45 中田八坂神社に立ち寄ったら、江戸時代の村の絵図が書かれた解説板があった。広いいわき市、元は多数の市町村の合併だもんね。このあたりは中田村だったようだ。

 

茶舗

 

鮫川の橋を渡って植田の町に入ったら、古い建物の茶舗があった。店も営業しているようだった。

15:39 陸前浜街道から分かれて JR植田駅へ。15:43 植田駅に到着。昼食後は 15,937歩,10.6km。ちょうど 15:46の下り電車があり、1駅先の泉へ。泉のビジホに戻った。