鎌倉街道中道2日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.10.24(金)
この日の天気予報では降水確率 20%ほどで、雨の心配はほとんどなさそうだったので、鎌倉街道の続きを歩くことにしたが、ビジホを出たら雨がパラリと来た。大船駅で東海道線に乗り、戸塚駅で横浜市営地下鉄に乗り換えて下永谷駅へ。

 


↑この日歩いたルートと写真など
→地図が表示されない場合はこちら

 

印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら
経緯度・名称は、らんまるさんのブログから引用

 

9:23 横浜市営地下鉄下永谷駅からこの日の街道歩き開始。

 

未舗装路

 

坂を上って鎌倉街道に合流した地点のすぐ先から未舗装路。車は通れる。

 

歩行者のみの道へ

 

少し先で、車道から歩行者のみの道へ。更に住宅に挟まれた道を通り、下永谷市民の森に出た。五山見亭という標識があったが、どこにあるかわからなかった。

 

松拍稲荷大明神

 

9:57 尾根道に入った。途中に祠があった。尾根道から下り、10:10 旧東海道に合流。

 

最初に歩いた旧街道は東海道だった。2008年のことである。特にきっかけはなかった。強いて言えば会社の同僚に、旧東海道を完歩した人がいたことくらいだった。東海道歩きの2日目に、保土ヶ谷から藤沢まで歩いたのは、2008年8月31日だった。その途中、品濃一里塚付近で青島政夫という人物に出会った。帽子に「日本百街道踏破」と書いてあったので、何だか怪しい爺さんだなあと直感したが、やはりそうだった。静岡県袋井市在住で、クリーニング店を営むかたわら、日本各地の街道を歩いていることで知られる人らしい。その時は品濃一里塚から藤沢まで青島政夫氏と一緒に歩いた。

10:33 横浜新道の上を陸橋で渡ったあたりから、少し陽が射してきた。これから晴れてくるかな。その先、旧道ルートがゲートで施錠されている箇所があった。ここから 1.5kmほどの間、鎌倉街道は戸塚カントリークラブに遮られている。迂回ルートに出たが、その迂回ルートは横浜に住んでいた頃何度か車で通った道である。
10:58 雨がパラパラ降ってきた。どうやらこの日の天気予報ははずれたようだ。

 

帰ってきた気持ちになる

 

11:17 旭区に入った。31年以上住んでいた横浜市旭区である。やはり帰ってきたような気持ちになるなあ。

 


相模と武蔵の境

 

旭区に入ったすぐ先に、相模と武蔵の境、都塚の標柱があった。11:32 こども自然公園でトイレを借りた。この公園にも何度も来たなあ。

正午頃、14年近く(2006年9月~2020年6月)住んでいたアパートの前に立ち寄った。もちろん現在では他人が住んでいる。

 

畠山重忠 首塚

 

12:33 旭区役所脇にある、畠山重忠の首塚、首洗い井戸に立ち寄った。もちろん以前立ち寄ったことがある。
12:50~13:20 相模鉄道鶴ヶ峰駅前のココロット鶴ヶ峰で昼食。歩き始めから 13.1km,20,847歩。

 

このあたりの相鉄の線路は数年前から地下化工事が始まり、2033年完成予定とのこと。私が住んでいた頃から、どんどん変わって行くんだな。

昼食後、街道歩きを再開。18年近く(1988年11月~2006年9月)住んでいた場所に行った。昭和が終わる1か月半ほど前、28歳の時に会社の独身寮を出てそこに転居したのだが、その時は「次に引っ越しをするのは結婚する時になるのかな」などと、大甘なことを考えていた。住んでいたのはぼろアパートだったが、今では新しい建物になっていた。

 


白根不動

 

近くの白根不動に立ち寄った。ここにも何度も来たなあ。その先、見覚えのある交差点や、見覚えのある2つの道の段差などがあった。いずれも車で何度も通った場所だったことを思い出した。そのあたりから雨がやや強くなってきたが、何とか傘無しで歩けた。

中山の手前で中原街道(県道45号)と交叉。このあたりの中原街道は、2012年4月21日に JR武蔵中原駅から小田急桜ヶ丘駅まで歩いている。

14:59 JR横浜線中山駅でこの日の街道歩き終了。昼食後は 6.3km,10,750歩。横浜駅で東海道線に乗り継ぎ、大船駅前のビジホに戻った。

テレビの天気予報では、この日の予報は外れたことを認めていた。予想より雲がかなり多かったとか。