3年前に宮古街道(閉伊街道),一昨年に遠野・釜石街道,昨年は鹿角街道を歩いたので、今年も岩手の旧街道を歩いてみようと、なんとなく気仙沼街道を歩くことにした。
気仙沼街道の大部分は岩手県内にあり、そのルートと沿道の遺跡については、『気仙沼街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第四十集』(岩手県教育委員会 昭和55年)から情報を得た。この報告書は、文化庁が1978(昭和53)年から都道府県教育委員会の協力によって作成した「歴史の道調査報告書」の中の一つで、岩手県分は全国遺跡報告総覧からダウンロードできる。
また、森塚良郎という人が同氏のブログ「日本の街道地図一覧表」に、この報告書の地図をトレースして掲載しており、それも利用した。ただし、報告書の地図以外の部分(文章・写真・図など)は掲載されていない。
25.4.27(日)
自宅を出て盛岡駅前の牛丼チェーン店で朝食。新幹線で一ノ関駅へ行き、在来線で花泉へ。
↑この日歩いたルートと写真など
印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら
8:20 JR東北本線花泉駅から街道歩き開始。8年前の2017年、おくのほそ道ウォークで4月30日に登米市浅水からここ花泉駅まで歩き、翌5月01日に花泉駅から一ノ関駅まで歩いた。駅前の道はその時歩いている。
8:30 芭蕉行脚の碑に立ち寄った。たしか8年前には立ち寄っていない。
8:50 石巻街道と気仙沼街道の追分に到着。花泉駅から2.2km。『気仙沼街道:「歴史の道」調査報告』によると、気仙沼街道の起点がどこであるかは諸説あるそうだが、同報告書ではここを起点として調査報告をしている。
追分付近が旧宿場、金沢(かざわ)宿で、おくのほそ道の曾良随行日記では「加沢」と表記し、「安久津 松嶋より此処迄両人共ニ歩行 雨強降ル 馬ニ乗 一リ 加沢 三リ 一ノ関 皆山坂也 黄昏ニ着 合羽モトヲル也 宿ス」と記述している。大雨の中、馬でこのあたりを通ったことがわかる。
金沢宿の図
金沢宿の問屋場跡,検断所跡の前を通った後、金沢宿の図と説明があった。
金沢八幡神社大名行列
その先の金沢八幡入口の鳥居の前には、大名行列を模した行事の解説があった。
道標
国道342号を挟んでコンビニの向いに道標があった。解説によると「道、右ハいしのまき、左ハうすぎぬ」と刻まれているそうだが、実物の石碑は表面が摩耗していて、読み取れそうになかった。
前鹿野一里塚跡
国道から分かれて、東の緩い上り坂へ。9:20 前鹿野一里塚跡を通過。その先には「気仙沼街道」と書かれた標識が2か所あり、2つめの標識の先で未舗装路になった。民家の前を通り、旧街道が切通しで遮られているところを越えた先でいったん県道に合流し、すぐに県道から分岐。その先で西に栗駒山が見えた。
10:40 地図に植立峠と記載されている場所を通過したが、険しい峠ではなく、平坦な台地だった。峠というからには分水嶺かな。
捕獲用わな警告
11:12 歌澤神社の先で県道から離れ、左の道へ。捕獲用わなの警告表示があった。
節水協力の表示
11:28 節水への協力を呼びかける表示があった。そういえばこのあたりは溜池が多いな。奥羽山脈や北上山地から離れた台地で、水資源が乏しいのだろう。その先のあたりに一里塚跡があるらしいのだが、見当たらなかった。
盛土の先から薮道
その先で林道に入ったが、すぐに赤土の盛土で遮られていた。盛土の先は薮で草ぼうぼうだが、道の痕跡はあった。国土地理院の地図にも点線で道が記載されているので、薮道を進んでみることにした。
湯殿山供養碑
20分ほどで薮から林道に出たあたりに、大きな湯殿山の石碑があった。高さ4mほどもあったかな。湯殿山の石碑はあちこちで見かけるが、これだけ大きいものは珍しい気がする。
また、近くに木の標柱があり、「本陣」「永正四年 ・永正七年 古戦場」と書かれていた。帰宅後に検索したら、戦国時代に起きた永正の乱の古戦場らしいが、この地での戦闘に関する記述は見つけられなかった。
林道を少し進んでスマホで位置を確認したら、予定ルートよりだんだん北にずれていた。ちょうど正午頃だった。引き返して湯殿山石碑まで戻り、そこからは薮の中にある道の痕跡を辿って進むことにした。今度の薮道はさっきの薮道よりも薮が深く、アップダウンもあって倒木も多かったがなんとか通って行った。
20分ほどで左側(北側)に林道が見えた。予定ルートは右側(南側)だと思っていたので戸惑ったが、このひどい薮道はごめんなので、その林道に出た。結果としては予定のルートだったようだ。12:35 県道に出た。この日の山道区間はこれで終わり。県道を東進したら遠くに北上大橋が見えてきた。
北上川の狭隘区間
13:20 北上川の橋を渡った。北上川は岩手・宮城県境付近のこのあたりで狭隘区間を通っている。両岸の谷幅も川幅も狭く、洪水の多い地帯でもある。今の時期は雪どけ水もあるせいか、水量が多い。
谷起の渡し跡付近
現在の北上大橋のすぐ左(北側)に、旧街道の谷起(やぎ)の渡しがあったらしい。
旧 川崎村
渡った先に「川崎村」の道路標識があった。一関市に合併される前、東磐井郡川崎村だった頃の標識だな。近くの浪分神社に立ち寄った後、旧宿場薄衣宿を通った。薄衣の読みは「うすぎぬ」だそうだ。
13:50 旧街道から国道284号線に出た。この日の気仙沼街道歩きはここまで。旧金沢宿から15.5km。東進から西進に向きを変え、道の駅かわさきへ。14:00前、道の駅かわさきに到着。花泉駅から 29,046歩。朝、コンビニで買ったおにぎりを食した。
道の駅かわさきには、一ノ関駅⇔気仙沼の路線バスが通っていて、昨年秋まで平日は1日9往復,土日祝8往復あった。当初はここでそのバスに乗って帰る計画を立てていたが、今回調べ直したら、昨年10月から平日3往復,土日祝1往復に減っていた。
全国的に路線バスが縮小,減便されているのは知っているが、一気に 1/3とはねえ。しかも一ノ関駅行きはすべて午前の便。これでは道の駅かわさきまで歩いた後、帰宅の手段に使えない。調べ直してよかったな。
これとは別に、一関⇔千厩の路線バスがあり、ついさっき歩いて来た旧宿場薄衣を通り、平日6往復,土日祝3往復ある。この日は日曜で、薄衣 16:04発の一関営業所行きの便があるが、1時間半以上あるので、道の駅かわさきから、北西に 3kmほど離れたJR大船渡線の陸中門崎駅まで歩くことにした。
なお、次回の気仙沼街道歩きの続きでは、バスで道の駅かわさきへ行き、そこから歩き始める予定である。
遅い昼食の後、道の駅かわさきから歩き始めた。ついさっき歩いたばかりの旧宿場薄衣を通った。仙台藩御本蔵跡や一関藩御本蔵跡があるそうなのだが、どこかはわからなかった。
大船渡線100年 陸中門崎駅で
15:05 陸中門崎駅に到着。この日の歩き終了。道の駅かわさきから 5,486歩,旧街道から国道に出た箇所から 15.5km。
15:22 発の一ノ関行き気動車に乗車。すぐに北上川の鉄橋を渡った。この鉄橋で半世紀近く前の架け替えの際にあったエピソードを思いだした。
老朽化で橋桁を架け替える準備をしていたのだが、架け替えの少し前に信越本線(現在のえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン)沿線で土石流災害が発生し、長期不通となった。復旧のため、流出した信越線の盛土区間には橋梁を新設することになったのだが、橋桁の新造に長期間を要する見通しとなった。そこでこの大船渡線北上川橋梁架け替え用に造ってあった橋桁に白羽の矢が立ち、急遽、架け替えを延期して、信越線の復旧用に持って行ったそうだ。もちろんその後で大船渡線用ももう一度造ったのだろうが、当時少し話題になった。
たしか 1978年か 79年頃だった記憶があり、今回ネット検索したら、1978年5月18日に起きた白田切川土石流災害で、死者13名を出す災害だったそうだ。
一ノ関で東北本線に乗り継いで帰宅。