京街道歩き最終3日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.4.07(月)
前日は雨だったので、京街道歩きの続きはこの日にした。

 

↑この日歩いたルートと写真など
印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら

 

9:25 京阪電鉄淀駅からこの日の街道歩き開始。駅近くの淀小橋旧趾と唐人雁木旧趾に立ち寄った後、東へ向かった。

 

戊辰戦争 淀千両松の戦い 慰霊碑


9:53 戊辰戦争淀千両松の戦いの碑の前を通った。

 

10:35 東高瀬川に架かる歩行者用の狭い橋を渡った。地図には載っていなかったが航空写真に写っていて、通れそうだと見当をつけていたのだが、着いてみたら通行止と書かれて、両側とも入口が塞がれていた。迂回するとやや遠回りになるので、通行止めの鉄パイプ組みを乗り越えて、橋を渡った。よい子の皆さんは真似しないでください。
そのすぐ後、右側の宇治川で何人かカヌーをしているのが見えた。

 

三栖閘門資料館と、伏見十石舟乗り場

 

10:50 三栖閘門資料館を見学。閘門資料館の脇には伏見十石舟の乗り場があり、乗船待ちの人のほとんどは中国語を話していた。

 

戊辰戦争 伏見口の戦い 碑

 

11:17 戊辰戦争激戦地跡碑の前を通過。戊辰戦争は鳥羽伏見の戦いから始まったんだな。

 

寺田屋


11:19 寺田屋の前に立ち寄った。坂本龍馬が暗殺された場所である。暗殺されなければ明治新政府の重鎮になっただろうに、ここで暗殺されたんだね。近くには「龍馬通」という通りもあるそうだ。
また、このあたりが旧伏見宿の中心かな。江戸・日本橋から東海道経由で54番目、中山道経由で70番目の宿場である。
11:30 電気鉄道事業発祥地碑の前を通過。

 

昼食

 

11:57 丹波橋駅近くで昼食。淀駅から歩き始めて 13,551歩、9.2km。12:30 昼食後、街道歩き再開。これまでほぼ平坦な道だったが、伏見宿の先では少しアップダウンが増えてきた。

14:05 オジカソースという看板の工場があり、ソースの臭いがプンプンしていた。

 

大宅一里塚跡

 

14:25 大宅一里塚跡の前を通過

 

道標 右宇治道左大津道

 

14:47 みぎうじみち ひだりおゝつみち(右宇治道左大津道)と刻まれた道標を通過。

 

髭茶屋追分

 

15:12 旧東海道との追分、髭茶屋追分に到着。追分の直前で京都府から滋賀県に入ったはずなのだが、表示がなかったためどこが府県境かわからなかった。いずれにせよここで京街道を踏破し、東海道に合流した。昼食後は 11.0km,16,715歩。旧東海道歩きで最終20日目にこのあたりを歩いたのは 2009年3月21日。16年前になる。

近くの京阪電鉄追分駅から電車で三条京阪へ。三条で京阪電鉄本線に乗り継ぎ、門真のホテルへ戻った。