25.4.07(月)
前日は雨だったので、京街道歩きの続きはこの日にした。
↑この日歩いたルートと写真など
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9:25 京阪電鉄淀駅からこの日の街道歩き開始。駅近くの淀小橋旧趾と唐人雁木旧趾に立ち寄った後、東へ向かった。
戊辰戦争 淀千両松の戦い 慰霊碑
9:53 戊辰戦争淀千両松の戦いの碑の前を通った。
10:35 東高瀬川に架かる歩行者用の狭い橋を渡った。地図には載っていなかったが航空写真に写っていて、通れそうだと見当をつけていたのだが、着いてみたら通行止と書かれて、両側とも入口が塞がれていた。迂回するとやや遠回りになるので、通行止めの鉄パイプ組みを乗り越えて、橋を渡った。よい子の皆さんは真似しないでください。
そのすぐ後、右側の宇治川で何人かカヌーをしているのが見えた。
三栖閘門資料館と、伏見十石舟乗り場
10:50 三栖閘門資料館を見学。閘門資料館の脇には伏見十石舟の乗り場があり、乗船待ちの人のほとんどは中国語を話していた。
戊辰戦争 伏見口の戦い 碑
11:17 戊辰戦争激戦地跡碑の前を通過。戊辰戦争は鳥羽伏見の戦いから始まったんだな。
寺田屋
11:19 寺田屋の前に立ち寄った。坂本龍馬が暗殺された場所である。暗殺されなければ明治新政府の重鎮になっただろうに、ここで暗殺されたんだね。近くには「龍馬通」という通りもあるそうだ。
また、このあたりが旧伏見宿の中心かな。江戸・日本橋から東海道経由で54番目、中山道経由で70番目の宿場である。
11:30 電気鉄道事業発祥地碑の前を通過。
昼食
11:57 丹波橋駅近くで昼食。淀駅から歩き始めて 13,551歩、9.2km。12:30 昼食後、街道歩き再開。これまでほぼ平坦な道だったが、伏見宿の先では少しアップダウンが増えてきた。
14:05 オジカソースという看板の工場があり、ソースの臭いがプンプンしていた。
大宅一里塚跡
14:25 大宅一里塚跡の前を通過
道標 右宇治道左大津道
14:47 みぎうじみち ひだりおゝつみち(右宇治道左大津道)と刻まれた道標を通過。
髭茶屋追分
15:12 旧東海道との追分、髭茶屋追分に到着。追分の直前で京都府から滋賀県に入ったはずなのだが、表示がなかったためどこが府県境かわからなかった。いずれにせよここで京街道を踏破し、東海道に合流した。昼食後は 11.0km,16,715歩。旧東海道歩きで最終20日目にこのあたりを歩いたのは 2009年3月21日。16年前になる。
近くの京阪電鉄追分駅から電車で三条京阪へ。三条で京阪電鉄本線に乗り継ぎ、門真のホテルへ戻った。