5月19日に鹿角街道を7日かけて歩き終えたので、何となく次は浄法寺街道を歩いてみることにした。鹿角街道で中ほどの荒屋から分かれて、奥州街道の福岡に至る街道である。
街道ルートは、全国遺跡報告総覧の下にある『浄法寺・八戸街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十七集』(岩手県教育委員会 昭和56年)で調べた。
24.5.30(木)
盛岡駅前の牛丼店で朝食後、駅西口 7:20 発の高速バスに乗車。鹿角街道5日目(5月11日)と6日目(5月18日)にも乗ったバスである。
↓この日歩いたルートと写真
高速安代バス停で下車。バス停隣のコンビニでトイレを借り、飲料と昼食を購入。東北道沿いの道を歩き、8:40 鹿角街道との追分に到着。安代バス停から、1.5km,2,250歩。4週間前の5月03日に歩いて通った所である。ここから浄法寺街道に入った。浄法寺まで公共交通機関がないので、浄法寺までの約20kmは歩き切らねばならない。
土屋正恵選手ありがとう
9:26 「土屋正恵選手ありがとう 北京オリンピック」と書かれた看板があった。何の選手だっけ? 帰宅後に検索したら、クロスカントリーの選手だった。このあたりの出身なのかな? 同県出身者とはいえ、上位入賞者でないとよく覚えてないな。
「右ハあらや 左ハ山みち」かな?
10:08 「右ハあらや左ハ山●」と刻まれた石の道標があった。『浄法寺・八戸街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十七集』には載っていないので確証はないが、「右ハあらや」は「右は荒屋」の意味だろう。左側の1行は「左ハ山みち」かな。寄進者らしき名前を刻んだ石も手前にあった。いつ頃作られた道標かな。
浄法寺鹿角街道
10:35 「浄法寺鹿角街道」と書かれた木の標柱があり、そばに埋もれかかった石碑があった。近くには、木の剪定をしている人がいた。
ひょうたんと唐辛子
10:39 ひょうたんと唐辛子を吊している家があった。見たときは農家の軒先かなとも思ったが、農家のような感じではなかった。帰宅後に検索したら、令和4年度岩手県“食の匠”認定者の店とのことだった。営業している雰囲気はなかったのだが。
11:00 過ぎ、川沿いの難所を避けて山側を通る区間に差しかかった。ただ、半分ほどは高速道の切通しで失われたようで、現在は通れそうがない。高速の下を潜って旧道入口付近まで行った後、引き返して川沿いの県道へ向かった。もちろん今では舗装された道である。
浄法寺塗工場跡
川沿いの難所が始まる地点に「浄法寺塗本舗」と書かれた看板があった。使われなくなった漆器工場の建物らしい。なお、浄法寺塗は今でも生産されているそうだ。
木彫りの河童
12:27 閉店した店の前にグロテスクな木彫りがあった。河童のようだった。
12:40 「キッチンガーデン」という施設に到着。名前からみて外食できるかなとも思ったが、産直の販売所だった。ここの屋外テーブルで、持参したコンビニおにぎりの昼食にした。鹿角街道との追分から、15.8km,23,995歩。
12:58 昼食後、街道歩き再開。13:15 滝見橋で安比川を渡り、浄法寺の市街方向へ向かった。
篆書らしき「馬頭観世音」碑
浄法寺市街の手前に、軽く一山越えるところがあり、お寺がある。お寺の山門前に「馬頭観世音」と刻まれた石碑があったが、書体が篆書のようだった。馬頭観音の石碑で篆書というのは珍しいような気もするが、そうでもないのかな? 比較的新しい石碑に見えた。
13:40 二戸市役所浄法寺支所に到着。トイレを借りた。支所の前には浄法寺バス停があり、当初予定ではここまでだった。昼食後は、2.9km,4,521歩。バスの発車時刻まで3時間近くあるので、それまでどうしようか。浄法寺には、あの瀬戸内寂聴師が住職を務めていた天台寺があり、行ってみようかとも考えたが、やや遠いので、街道を先へ進むことにした。
15:00過ぎ、漆沢バス停に到着。この日の浄法寺街道歩き終了。市役所支所から、4.3km,6,389歩。バス停には真新しい建物の待合室があり、中で1時間半ほど待った。
16:37 のJRバスに乗ったら、運転士は女性だった。JRバス東北の二戸営業所で女性運転士というと、4年前8月16日の記事「ついに知人に感染者」にアップした中学の同級生の可能性もあるが、話しかけるのはやめておいた。
バスで二戸駅へ。二戸から新幹線で帰宅。