日蝕の後、帰国の途へ | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

24.4.10(水)
空港近くのホテルをチェックアウトし、デトロイト空港へ。定刻 13:30 のデルタ航空 275 便に搭乗。往路の機内はほぼ満席だったが、復路となるこの便は空いていた。定員の3割ほどだろう。

歯性上顎洞炎で1月27日から耳鼻科で治療開始。2月2日からは歯科での治療も開始。上顎洞炎の原因となった歯の治療は終わったが、入れ替わるように別の歯が痛くなり始め、治療開始。
何度も今回の米国旅行は危ぶまれた。旅程は変えられるが、日蝕は天文現象だから起きる日時は決まっていて、そこは変えられない。

当初は3週間の予定で、4月17日の航空便を予約していたのだが、歯の治療をせざるを得なくなったため、1週間前倒ししてこの日の便となった。
往路4月2日,復路4月17日の正規割引航空券は18万6千円ほどだったが、変更不可のためキャンセルした。返金額は8万4千円ほどで、10万円を超えるキャンセル料金となったが、まあ、これはしかたがない。治療中の歯の仮詰めが取れたりした場合、1週間余計に我慢するよりはましだろう。

24.4.11(木)
到着4時間ほど前に、機内のトイレで何かトラブルがあったようだ。客室乗務員が懐中電灯を持って、トイレのドアを開けたまま、工具を持って来て応急修理をしていた。定刻 16:10 のところ、35分ほどの遅れで羽田着。
 

私の席の前は女性3人連れで、フランス語で会話していた。カナダのフランス語圏ケベック州あたりから、デトロイトで乗り継いだのかな。その3人連れに続いて降り、後ろを歩いて行ったら羽田の地上職員がいて、日本人乗客には「ありがとうございました。」と言っていたが、3人連れには「Thank you very much.」と言った。言われたその3人は顔を見合わせていた。
顔を見合わせたのは「私達は誇り高い(?)フランス語圏から来たのよ」なのか、「日本人は、英語圏の住民とフランス語圏住民との区別もできないのか?」なのか。かく言う私も、区別できませんが・・

欧米人が、日本人・韓国人・中国人を区別できないのと同じことかも。でも、4月04日の記事に書いたレンタカーの電子鍵トラブルで、気転を効かしてくれたサブウェイの女性店員は、警察への電話で、私について「日本人か韓国人のようで、英語が上手くない。」と言っていたが、中国人とは言っていなかった。どうやら日本人・韓国人と、中国人は識別していたようにも思える。

税関での入国手続き,荷物受取りの後、京急に乗った。新幹線で盛岡まで帰れる時間だが、遅くなるのでこの日は京急蒲田駅近くのホテルに一泊。

24.4.12(金)
新幹線に乗り、正午頃盛岡駅に着いた。自宅方面への路線バスは4月1日からかなり減便となったが、15分後にちょうどあった。2週間のうちに盛岡もだいぶ暖かくなったね。緑も増えたな。

乗った路線バスのルートは岩手県庁前を通る。県庁前には観光名所「石割桜」があるが、ちょうど咲いていて、何人もの人が写真を撮っていた。ああ。咲いたなあ。2週間ぶりに帰宅。帰宅後のニュースでは、この日、盛岡に桜の開花宣言が出たそうだ。

午後は予約していた歯科へ。歯の仮詰は取れずに2週間もった。


24.4.13(土)
午前は耳鼻科へ行った。これまた2週間ぶり。午後は強い眠気に襲われた。歯科と耳鼻科での治療を再開し、安心して気が抜けたせいかな。時差ボケもまだあるようだ。若い頃は1~2日ほどで回復した時差ボケも、歳を取るとなかなか回復しにくくなっていくね。