三国街道を歩く 7日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

23.4.29(土)
朝、苗場プリンスをチェックアウト。前泊の猿ヶ京とここと、宿泊費と食事代の合計が2日続けて2万円を超えてしまった。場所からして仕方がないが、ビジホなら4泊くらいできる金額かな。まあ、たまにはこういう贅沢もいいさ。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

8:55 苗場こと旧浅貝宿のプリンスホテルから歩き始め、すぐに国道17号に出た。旧道は川沿いに変電所の方へ向かっていたらしいのだが、今では行き止まりらしいので、そのまま苗場のスキー場を背に国道17号を北上。

スノーシェードを2つ潜った。スマホのGPSアプリで採取したログを帰宅後に見たら、スノーシェード区間ではやはり誤差が大きく出ている。
2つめのスノーシェードを出たら、左に遊歩道の痕跡のような道が見えた。やや草ぼうぼうだが、歩けないことはなさそうだった。川沿いの旧道からここに出られたかも。
3つめのシェードの中で峠らしき地点を通過。火打峠だろう。浅貝川の谷から二居川の谷に移ったことになる。この先、湯沢までの旧街道と国道17号は、いくつか峠を越える。

9:42 シェードのすぐ先「苗場ふれあいの郷」の角で右折したら別荘事務所があり、関係者以外立入禁止とも書かれていた。苗場ふれあいの郷の私道なのかな?
geocities の記事(2008年)には、工事で立ち入ることができず川の西側の国道を山鳥原公園まで歩いたことが書かれている。また「街道歩き旅」の地図でもここを避けて川の西側の国道を通っている。
これに対して、日本山岳会「三国街道「二居峠越え」調査山行報告」という記事では、昨年10月16日に山鳥原公園からここまで川の東側を北から歩いたことが書かれていた。
昨年の記事の方が現状に近いだろうと予想し、この道を歩くことにした。そのまま進み、橋を渡って川の東側へ。
9:45「平標山登山口」と書かれた標柱があった。こういう標識があるなら私道じゃないだろ。とも思ったが、正確な事は不明。
首都圏のお金持ちのものであろう何軒もの別荘の中の道を進み、未舗装路に入ったら 9:52 歩きの人とすれ違った。近くのどこか別荘の人かな。お互いに会釈をした。

10:00 山鳥原公園に着いた。ビジタセンターがあり、トイレを借りて小用。ビジタセンターにあった自然歩道の地図を確認したら、その地図でも川の東の道をここまで避け、ここで橋を渡って東の道に入っている。
山鳥原公園からは再度別荘街への車道となる。10:12 立入禁止の表示があり、ロープも張られていた。
ロープの張られた左の山道が立入禁止で、舗装路は公道という意味かな。舗装路を進み、別荘街の終わりから未舗装の道へ。国土地理院の地図では点線となっているが、geocities の記事では「山鳥原公園から二居宿まで旧道がのこっていておよそ2.5kmほどの自然歩道が整備されている。」

自然歩道に入ってすぐ、ジョギングの人とすれ違った。近くのどこか別荘の人だろう。自然歩道の途中には、左右の山林が伐採された区画があり、その区間だけは左右の視界が開けた。自然歩道の終点が見えた頃、さっきすれ違ったジョギングの人に、今度は追い抜かれた。
国道17号の旧道であろう舗装路に出て地王堂川の橋を渡り、三国街道17番目の旧宿場、二居(ふたい)宿に入った。スキーブームの頃は、二居スキー場,田代スキー場の客で賑わったようだ。

 

旧二居宿から二居峠方面を望む

 

郵便局向いの富沢旅館が旧本陣で、富沢家は1609(慶長14)年以来、庄屋・問屋・本陣役を勤めた旧家だそうだ。建物は戊辰戦争で焼失した後、1869(明治2)年に再建されたものとのこと。また、郵便局の脇には「三國村道路元標」があった。三国村の中心は二居だったということか。10:55 その先の自販機で飲み物を買おうとしたが、自販機は使えなかった。苗場こと浅貝から、9,478歩,7.4km。
ここでスマホのGPSアプリをいったん止めた後、再スタートするのを忘れてしまった。このため二居宿から二居峠までの区間は、GPSログがない。

Y字路右の「トレッキングコース 二居峠」の標識から左へ。国土地理院の地図では大部分が点線の山道だが、前述の山岳会の調査報告では昨年通れているから問題ないだろう。30分ほどで二居峠に到着。峠の林道に出る直前の道は少し荒れていて、代わりにロープが張られていた。ロープを掴んで上った。
11:35 二居峠の東屋で息を整え水分を補給。二居宿から 2,947歩。スマホのGPSアプリを止めたままだったことに気づき、再スタート。

「トレッキングコース」は峠で林道と交叉している。未舗装でも車の通れる林道があると、なんとなく安心するね。
林道から再び山道に入って峠を下り始めた。この自然歩道だかトレッキングコースには、標柱が何か所かあったが、距離が書かれていなかった。方向の矢印だけでなく、できれば距離も表示して欲しいもんだ。
下る途中でところどころ残雪の上を歩いた。真新しい足跡が既に1人分あったので、私より少し前に誰かが歩いたようだ。同じこの日か前日以前かは判らない。

再び林道と交差した後は上りになった。午前に通った火打峠やこの先の芝原峠は隣の谷へ移る峠だが、二居峠はそうではない。地図で見ると二居川・清津川の難所を避ける峠で、ピークが2か所ある。
12:09 2つめの峠に到着。「中の峠・茶屋跡」と書かれた解説板があった。大正時代まで茶屋が一軒あったそうだ。

中の峠から下りる道は、国土地理院の地図ではそのまま国道17号に出るが、geocities の記事には「国道に出る直前で右に曲がり、沢の橋を渡って国道のガードを潜ると、最後の山道に出る。」というようなことが書かれていた。
12:37 実際にそのような橋があったので渡った後、国道の下を潜り、最後の山道に出た。すぐに車道に出て貝掛温泉の入口を過ぎた後、シェードとシェードの間で国道17号に合流。

いったん国道のシェードの中に入ったが、外側を歩けそうだったのですぐに隙間から外に出た。シェードの外側の部分、作業用通路らしき所を歩いて通ることができ、12分ほどでシェード出口に出た。「三俣スノーシェード 851m」と書かれた標識があった。

シェード出口から10分ほど後、通りがかりのワゴン車が後続車があるのにわざわざ停まり、運転していた人から「トンネルのところにクマがいたぞ。気を付けろ。」と言われた。トンネルとはさっきの三俣スノーシェードのことかな。私が外側を歩いた時は気付かなかった。「えっ。クマですか? ありがとうございます。」と返事した。

みつまたロープウェイの手前で右の道へ入った。国道の旧道だろう。三国街道18番目の旧宿場、三俣宿に差しかかった。スキーブームの頃は「かぐら三俣」の名もCMでよく耳にしたなあ。

13:30 池田家前に到着。三俣宿の脇本陣で、問屋も務めたそうだ。建物は築360年になるとか。旧三俣宿は 1918(大正7)年に大雪崩に襲われ、158名が犠牲になったそうだ。その慰霊碑があるそうなのだが、どこにあるか判らなかった。代わりにと言っては何だが、三俣村道路元標という石標があった。

道の駅みつまたを横切り、13:42 バス停に到着。取りあえずここがこの日のゴール。二居峠から 12,524歩。ここから越後湯沢まで 9km ほどで、距離と時刻からすると歩いてもよさそうだが、芝原峠を越えることになる。それなりに標高差のある峠で、この日は既に峠をいくつか越えたので、ここで終えることにした。バス停の位置と発車時刻を確認した後、昼食を取りに道の駅へ。昼食後、14:35 の路線バスに乗った。


新幹線の越後湯沢駅に到着し、盛岡までの乗車券・特急券を購入。上越新幹線上りから東北新幹線下りへ乗り継ぐ場合、上越と東北の特急料金は別計算。逆の場合も同様。上越と北陸の乗り継ぎでも同様。
同じ新幹線の路線を同じ方向に乗り継ぐ時の特急料金は通しで計算するのだが、こういう場合は別計算なのはおかしいね。これも東京一極集中の現れだ。


越後湯沢 15:13 の上越新幹線で大宮へ。大宮で東北新幹線に乗り継ぎ、盛岡駅着は 17:58。越後湯沢から盛岡まで2時間45分かあ。速いもんだ。