三国街道を歩く 6日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

23.4.28(金)
朝、猿ヶ京の温泉ホテルをチェックアウトし、1kmほど先のコンビニでおにぎりとペットのお茶を購入。猿ヶ京のコンビニはここ1軒らしいので、ここで買っておくのが賢明だろう。
コンビニ近くの休石バス停で、8:42 発の関越交通の路線バスに乗り、猿ヶ京へ。終点の猿ヶ京で関越交通バスからみなかみ町営バス法師行きに乗り継ぎ、永井郷土館入口バス停で下車。
前回の3月20日は永井郷土館入口バス停で帰りのバスに乗ったのだが、その時とはバス停の位置がかなり違っていた。上りと下りで違っているのかな。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

9:12 その永井郷土館入口バス停から歩き始めた。ここから新潟県側の苗場まで公共交通機関はない。途中リタイヤはできないので、峠を越えて苗場まで歩き切るしかない。

9:20 中部北陸自然歩道の入口に着いた。ここから三国峠を越える山道に入る。案内板では「三国峠より永井宿まで約7km、3時間の所要時間です。」とのこと。順番から言うと三国峠と永井宿の順序が逆のような記述だが、いよいよここから三国峠越えとなる。「史跡と高山植物が多く」とも書いてあった。別の板には「ヤマビル」注意との表示。

今までヒルに血を吸われた経験はないが、ヒルは生息域が偏在しているね。40年近く前、仕事で宮城県石巻の近くに1年住んでいた頃、牡鹿半島や金華山にはヒルが多いので気をつけるよう言われたことがあるが、その少し西の東松島(当時は矢本町)にはヒルはいないそうだ。
事前に調べたら、三国峠周辺のこのあたりでは、長岡藩士雪崩遭難の墓付近までがヒルの生息域で、そこより先にはいないそうだ。また、5月頃からヒルが活動を始めるようで、雨上がりが要注意とか。クマ除けの鈴を着用し、自然歩道に入った。ヒルにも遭いませんように。

9:58「大般若塚2.0km 永井宿1.8km」の標識。10:11 朽ちた標識があり、標識板が落ちていた。板には「1.5km」。さっき 1.8km の標識があったのに、何でここが1.5km なの? 永井宿とは別の所からの距離? 10:30 タールのような臭いがした。何だったのか。10:45 永井から3.6kmの標識。
10:48 大般若塚に到着。歩道入口から峠までのほぼ中間点で、法師温泉に至る山道が分岐している。

 

 

「三国峠4.0km、永井宿3.8km、法師温泉2.7km」と標識にあった。また、戊辰戦争の激戦地だったそうで、法師温泉への下り坂入口には新政府軍兵士の墓があった。10分あまり休憩し、ウォーク再開。

11:42 三坂の茶屋跡に到着。geocities の記事によると、坂上田村麻呂の血を引く田村越後守が営んでいた茶屋跡だそうだ。geocities の投稿者はここの解説板の付記についても触れている。
「文久3年3月15日のことがおもしろい。長岡藩主の奥方一行がこの茶屋を通った。奥方一人を運ぶのに総勢578人と馬89匹を要した。御上4人とあるのが奥方のことなら正妻、側室を含めたものとなる。それに同行する女中が50人。内訳;次女中4人、中居女中2人、末女中21人、下女中11人、老女中2人、腰女中10人。色んな種類の女中が居るもんだ。」

11:49 沢渡りの箇所があったが、水量はそれほどでもなかった。そのすぐ先に標識があり、「三国峠1.8km 永井宿6.0km 法師温泉4.0km 国道17号1.3km」地図によると、ここから左に分かれる道は、国道17号の三国トンネル入口手前に出るようだ。

11:58 長岡藩士雪崩遭難の地に到着。藩士の墓があった。江戸で捕えた罪人を護送中の長岡藩士8人がこのあたりで雪崩に遭って死亡したが、同行の人足と駕籠に入れられていた罪人は助かったそうだ。また前述のとおり、ここから先はヤマビルの心配なし。
ところで、帰宅後にGPSログを見て気づいたことだが、グーグルマップの「長岡藩士雪崩遭難の墓」は位置が少しずれているようだ。使っているGPSアプリでもけっこう誤差が出るのだが、前後の位置データを見ると、GPSアプリでの方が実際の位置に近いと思われる。まあ、グーグルマップのマーカ位置の間違いには、今までに何回か気づいたことがある。

長岡藩士の墓のすぐ先にある「三国峠1.5km 大般若塚2.0km」標識の直後、60代くらいの男性とすれ違った。「こんにちは」と挨拶をしたが、素っ気ない返事だった。

 

12:10 2つめの沢渡り。流出した何本かの木で山道が塞がれていた。三国峠最大の難所「くぐつが谷」はこのあたりかな。「くぐつ」は「傀儡」と書くそうだが、この字は「かいらい」と読むのが普通だよな。傀儡、あやつり人形のことを大和言葉で「くぐつ」と言うらしい。知らなんだ。道を塞いでいる木の少し上の方を迂回。渡った直後、下の方に国道17号のトンネル入口が見えた。車数台の後、自転車が1台通っていった。
12:16 3つめの沢渡り。一時的に沢が平らになった所を道が通っているので、渡るのは容易だった。

 

三国峠

 

12:32 標高1,244mの三国峠に到着。北向きの日陰には残雪があった。永井から 15,178歩,7.0km。御坂三社神社前のベンチで、持参したおにぎりとペット茶の昼食。


「三国峠を越えた人々」という石碑があり、峠を越えた人の名が30名ほど刻まれていた。坂上田村麻呂を筆頭に、平安時代から昭和まで多彩な顔ぶれ。伊能忠敬もあったから、彼の測量隊も通っているんだな。

三国峠の名は、上野,信濃,越後の三国の境という意味だそうで、峠の御阪三社神社が祀っているのも、上野の赤城明神、信濃の諏訪明神、越後の弥彦明神だそうだ。ただ、現在の三県境界点はここから10km以上も西に位置し、信州は通らない。

そろそろ峠から下り始めようとしていた 13:00、ガサガサ音がし、南西方向の山道から、40代くらいの男性が下山して来た。話しをしたら、群馬県境稜線トレイルを歩いているとのこと。前夜は三坂峠の避難小屋に一泊し、この日はいったん帰宅するとのこと。

トレイルの男が下山して行った後、御坂三社神社の格納庫を見たら扉は施錠されていないようだった。扉を開けたら中に堂があり、絵馬と言うべきか否か、「明治百年祭」と書かれた板があった。
私が小学校低学年の頃、牧伸二がウクレレを手に「やんなっちゃった」という曲を歌っていて、いくつかの歌詞の中に「明治百年」というのがあった気がする。もう半世紀以上前だな。ちなみに再来年は昭和百年になる。

13:14 三国峠から下り始めた。旧街道ウォークを始めて以降、本州中央分水嶺を何度も越えたな。中山道の碓氷,和田,塩尻,鳥居峠、おくのほそ道では堺田,倉坂,塩津峠、そして昨年羽州街道の金山峠。たしか今回が9か所目となる。9か所の中で、ここは和田峠に次いで2番目に高いだろう。まあ、本州中央分水嶺と言っても必ずしも高い峠・険しい峠だけではないから、列挙・比較してもあまり意味はないか。

新潟県側の自然歩道入口は、国道17号線三国トンネル出口のすぐ脇にある。出たのは 13:46 で、峠からわずか30分で下りた。峠から1.3km。ただ、越後側の旧街道は現在の自然歩道新潟県区間より東の山中を通っていたらしい。

関越自動車道の関越トンネル開通以前は、この三国トンネル経由が自動車輸送の主力ルートだった訳だが、ずいぶん狭いトンネルだね。歩道はなく、歩いて通るのは危険そう。

トンネル出口のすぐ先はスノーシェードになっている。シェード内の車道は工事中で片側交互通行だった。シェード外側の歩道を通った。ここは工事中でなくても、シェード外の歩道を通るのがよさそうだ。浅貝川に沿って国道17号を下り、14:02 標高1000m の標識があった。スマホのGPSアプリでは標高1051m。


西武ヴィラ苗場の前を通過した後、企業の保養施設の看板前を通過。三国街道16番目の旧宿場、浅貝宿が近いようだ。浅貝と言うより苗場という名の方が有名だろう。言わずと知れたスキーリゾートで、夏にはフジロックフェスティバルの会場となる。2020年のフジロックはコロナ禍で中止、21年と昨22年は開催したものの出場辞退者もいたとか。今年はどうなるかな。私は音楽の趣味はあまりないので、見に来るつもりはない。

14:30 旧宿場入口の右手にある御宿本陣前を通過。旧浅貝宿の本陣で、問屋も務めていたそうだ。1635(寛永12)年に浅貝宿に本陣が設けられて以来、400年近く続く、超老舗旅館とのこと。geocities の記事(2008年)によると、2008年時点での当主は18代目だそうだ。

当初、旧三国街道を歩く以上はこの旧本陣に是非泊りたいと考えた。スキーシーズンは終わっているし、平日なら予約できるかなと思ったが宿泊プランは2人以上。やはりお一人様は敬遠されるんだね。更に不思議なことにこの日は何故か休館日。

で、苗場プリンスホテルを予約。ビジホに比べるとやはり高いが、お一人様でも予約できた。当初のスケジュールでは4月25日にここに泊まる予定だったが、雨予報のため4月28日となった。大型連休の前日だが、25日から28日に予約変更できた。

15:00 前、チェックイン。「登山ですか?」と聞かれたので、「三国街道を歩いていて、今日は猿ヶ京から来ました。登山ではないです。」と答えた。昼食後は 9,756歩,5.7km。プリンスホテルに泊まるのはたしか初めて。この高級ホテルチェーンには、過去に泊まっていないと思う。