羽州街道ウォーク13日目 横手→大曲 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

羽州街道ウォークでの次の区間は、横手から大曲まで歩く予定である。時刻表では奥羽線の横手駅から大曲駅まで 18.7km で、地図で見るとほぼ直線である。ところが国道13号は少し湾曲していて、旧羽州街道はそれより更に湾曲している。過去に何度もあった洪水の浸水域の影響かな。

そんな訳でこの日歩くルートは25kmを超えている。寄り道などを考慮すると、30kmを超えるかもしれない。その代わりと言ってはなんだが、路線バスのルートとほぼ重なっていて、平日日中でも毎時1本以上あり、バス停で途中中断・翌日以降再開ができるので気が楽である。

22.5.21(土)
盛岡 7:58 発の秋田新幹線こまち95号に乗り、大曲で乗り換えて横手へ。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

JRは直線だが、旧街道は湾曲している。

 

9:28 横手駅からウォーク開始。すぐに旧羽州街道25番目の宿場、横手宿の中心付近を通過。横手川が直角に曲がっているあたりに出て、橋を渡ったら橋の上から横手城が見えた。
10:30 大鳥山遺蹟の入口付近に立ち寄った。十三塚という塚があり、関根の柵跡ともいうらしい。その先で旧街道が失われた区間を迂回するため、横手高校の角を右に曲がったら、グランドでハンドボールの練習をしていた。この日は土曜なので部活だろう。

 

蛭藻沼のカモ

 

11:40 蛭藻沼という沼に立ち寄った。沼という名だが、人工のため池らしい。

蛭藻沼から旧街道に戻った後、物見遺蹟と書かれた標柱があった。後三年の役の頃の遺蹟とのこと。ほぼ1000年前だな。


国道13号から離れて旧道に入ったら、金生泉と書かれた湧水があった。今でも使われているようだ。そのすぐ先で 12:30 26番目の旧宿場、金沢宿の中心付近を通過。「かなざわ」ではなく「かねざわ」と読むそうだ。
金沢宿の先にも、旧街道が失われて 1km ほど迂回する区間がある。迂回区間を過ぎて国道13号に合流し、野荒町一里塚跡を通過した先のラーメン店に入って昼食とした。横手から、23,388歩,15.3km。

ごま味噌ラーメンの昼食後、国道13号から分かれて27番目の宿場、旧六郷宿にさしかかった。

 

これで羽州街道も半分歩いたかあ。

 

六郷宿の解説板の近くに「羽州街道どまん中」と書かれた柱と解説があった。宿場の数で数えると、この六郷宿が羽州街道の中間になるそうだ。また、羽州街道の宿場の中で、城下の宿場以外では最も大きかったとも書かれていた。
六郷の町の周辺には××清水という場所が多い。湧水が多く、水資源に恵まれているようだ。町を出て国道13号に合流する直前、14:45 側清水という所を通った。ここにも湧水がある。側清水には地蔵堂があり、中に電球やLEDではなく、十数本かそれ以上のろうそくに火が灯されていた。これって、火事にならないかね。ちょっと心配になる。側清水の先で六郷一里塚跡を通過。

国道13号から分れ、JR奥羽線を越えた後、15:40 左ふくらはぎに急に痛みを感じた。以後、左ふくらはぎをだましだまし歩いた。
丸子川の川港跡そばの橋を渡り、旧羽州街道28番目の宿場、大曲宿の中心付近を通過。次の花館宿との合宿で、半月交替だったそうだ。17:00前、予約していたビジホに着いてチェックイン。この日のウォーク終了。昼食後は、17,502歩,11.3km。久々に30km近く歩いたせいか、かなり疲れた。

前回、横手駅前のホテルに泊った時は、コロナワクチン3回接種済証を持って来なかったため、「あきた春割キャンペーン」の割引を受けられなかったが、今回は接種済証のコピーを持って来たので、半額となった。